ハルナの友情閑静な住宅地の一角。
通りに面した一軒の家の庭から、明るい声が道路にまでひびいている。
午後の陽射しは傾き出したばかりで、結の家の庭に置かれたテーブルの上のパラソルはその影を半分芝生の上に落としている。
テーブルの上には氷の入ったジュースのグラスが3つ。
それぞれのグラスの下には色とりどりのコースターが敷かれている。
結の母が織ったものだという。
きれいにお菓子を盛りつけたかごとともに庭におりてきた結の母は、結が無造作にグラスをテーブルに直接置くのを見て「結ったら」と笑うと、 このコースターを出して敷いてくれたのだ。
すてきなお母さんだわ、と春菜は思う。結ちゃんもあんなすてきなお母さんになるのかしら。
結の未来の姿が見えるような気がして、瞳の中で二人を重ねあわせる。
しかし当の結はそんな春菜の視線には全く気づかず、何かを取ってくると言うなり家の中にばたばたと駆け込んでいってしまった。
そういえばアンティが、結の未来は特に読みづらいと言っていたのを思い出す。
もちろん、未来予測を能力として持つアンティができないことを自分ができるはずもないのだけれど・・・
それ以前に視線が留まる暇すら与えなかった結に春菜は思わずくすりと笑った。
賑やかな結がいなくなると、聞こえるのは小鳥のさえずりだけになってしまう。
春菜はパラソルの陰になる席に座っているもう一人に注意を向けた。
彼女は結が入って行ったドアの方へ顔を向け、さきほどから口をひきむすんで黙ったままだ。
珍しいことではない。
バグルスとの戦いを終えてからは少しずつ打ち解けてきたとはいえ、 まだ気軽に他愛ないおしゃべりをするまでにはいたらない。
もともとそういう性質なのかもしれないが生い立ちがその傾向にさらに拍車をかけたようで、
現実世界でのレイコやアキコを交えた笑いの絶えない軽いおしゃべりであれ、
チャットルームで平和なひとときを過ごすコレクターズとの冗談交じりの会話であれ、
その場には居るものの、自ら口を開いて話に加わろうとはほとんどしなかった。
それなら、こちらから話かけてあげよう。内気だった私に結ちゃんが話しかけてくれたように。
沈黙の中、どことなく緊張がうかがえる相手の横顔を見やる。
一対一で話をするのは超未来都市ネットの地下水路以来ではないだろうか。
「篠崎さん、ジャムは好き?」
何気ない問いだった。
「え?・・・」
しかし振り向いた愛は、春菜の問いにとまどった表情でそのまま言葉を途切れさせてしまった。
yesかnoの一言で終わる簡潔な答えを無意識のうちに予想していたため、春菜は相手の反応を意外に思った。
嫌い・・・、なのかしら?
「ごめんなさい、嫌いだったら気にしないで。」
愛ははっと我に返った。
「いえ違うの、別に嫌いじゃないわ。ただ・・」
その先は続かず、言葉を飲み込むと目をそらしてしまう。
春菜は不安になった。
何か悪いことをきいてしまったのかもしれない。
申し訳なく思ってもう一度謝ろうとした時、
「ジャムが、どうかしたの?」
沈黙を繕うためか、彼女にしては明るい声。
春菜は謝罪の言葉を押し戻して、代わりに愛に合わせて明るい声で答えた。
「え、ええ、明日、レスキューさんが女の子だけでお茶会をしましょうって誘ってくれたでしょう?
結ちゃん、紅茶にジャム入れるの好きだから、少し持っていこうと思ってるの。」
「紅茶に・・・?」
「ロシアンティーよ。みんなは変だって言うけど、結ちゃんはそれが好きなの。
それで、もし篠崎さんもジャムが好きだったら、たくさん作らなくちゃって思っただけなのよ。」
「春菜の手作り?」
ああ、と何か思い当たったようだった。
「そうなの。前にも一度結ちゃんに作ってあげたことがあるんだけど、その時とっても喜んでくれたから、それで明日も、って。」
紅茶に入れるだけでなくお茶うけのクッキーやケーキにも添えて、あっというまに瓶を空にしてしまった結の嬉しそうな顔を思い出して春菜は微笑んだ。
「そう。前にフォローも美味しいって言ってたわ」
「まあ、フォローさんが?嬉しいわ。明日は女の子だけだっていうからフォローさんは来ないかもしれないけど・・・
じゃあフォローさんの分も作って、置いていってあげたほうがいいかしら。」
「そうね」
愛は日向に座る春菜をまぶしそうな目で見やる。そして、
「春菜は優しいのね」
ぽつんと呟いた。
グラスの中の氷がからん、と空ろな音をたてて揺れた。
唐突にも思えた愛の言葉に対し、春菜は穏やかな声で思ったことをそのまま口に出した。
「あら、篠崎さんだってみんなにいろいろと気を使ってくれているじゃない。」
「私が?まさか」
「いいえ、今日のテニスの時も、レイコちゃんやアキコちゃんにお芝居を教えてくれるって約束していたでしょう。
みんなとっても嬉しそうだったわ。」
「あれは、ただ成り行きで」
「でも本気で言ってくれたんでしょう?」
一呼吸の後、愛は低く答えた。
「・・・わからない」
わからない?本当に?・・・
目で問いかけるが、相手の視線は春菜の脇を素通りしてあらぬ方へすえられている。
「演技かもしれないわ」
それは挑戦的に、しかしどこかひとごとのようになげやりな口調で言い放たれて、春菜は言葉を失った。
遠くにすえられていた愛の視線が戻って来て春菜の顔に焦点が定まり、はっと後悔の表情が浮かんだ。
避けるように顔をそむけ、自分だけに向かって口の中で呟く。
「いえ、・・・もしそんな演技ができるなら、最初からもっとうまくやってるか・・」
二人は黙り込んだ。
一方はうなだれてテーブルに目を落としたまま、もう一方は無表情に横を向いたまま。
「私が結ちゃんの代わりにコレクターをすることになった時ね。」
沈黙を破って春菜は静かに話しはじめた。
「本当は私とても怖かった。 コレクターズのみなさんにはお願いして仲間になってもらっていたけれど、 お互いに心の底では私じゃ駄目なんだって思っていて、それでも何も口に出せずに戦ってた。 どうしてもやらなきゃいけない、って思ってたから・・・。
でもね、結ちゃんは私に言ったの、そんなの全然私らしくないって。 もっと自分の気持ちに素直になれって・・そう言ってくれたの。
結ちゃんにはちゃんとわかっていたのね。不思議なくらい人のこころがわかる人。」
結が居るだろう家の方に目をやり、軽くまぶたを閉じる。
そう・・・コレクターズは人間のコレクターが結だったからこそ信じて共に戦う決心をしたのだろうし、グロッサーも結の前では自分でさえ知らなかった姿を明らかにしてその言葉に心うたれたのだ。
本当に不思議、ともう一度声に出さずに言って目を開けると愛の視線とぶつかった。
陽射しから陰になる席に座って身じろぎ一つしないその姿を春菜はまっすぐに見つめる。
「ねえ篠崎さん、自分を嫌ったり傷つけたりするのはもうやめて。
そしてもっと大事にしてあげて・・・本当のあなたを。
あなたは本当は自分で思ってるような人じゃないわ。そうでしょう?だって、」
ふっと声を和らげ、にっこり微笑んだ。
「結ちゃんは、あなたが優しい人だっていつもみんなに言ってるんですもの。」
息を呑む音が聞こえた。
どうぞ気づいて。
自分がもうやわらかい光の下に立っているんだという事を。
まつげをふせて頭を垂れた愛を、春菜はこぼれるような微笑みを浮かべたまま見守る。
結を抱えて逃げ込んだ地下水路でコレクター・アイを見上げた、あの時のように。
輪郭さえはっきりしない暗がりの中でなおも顔を覆う、そのバイザーの下にはどんな感情が隠されていたのだろう。
グラスの側面には無数の露がきらめき、見ているうちにいくつかの露が合わさってつうっと流れ落ちた。
きらきら光る滴を手織りのコースターがじんわりと吸い込んでゆく。
ゆっくりと愛は顔をあげた。
春菜と合わせた瞳の中にはこれまでにない素直な光が宿っていた。
「ごめんなさい」
「あやまらないで。」
「ええ、・・・ありがとう。」
少し頬を染めておずおずと微笑んだ彼女に、春菜は心からの笑顔で応えた。
パラソルの下、風が軽く通り抜けていった。