「そういうことだから、あまり気にしない方がいいわね。」
「なるほど、よくわかりました。やはりあなたに相談してよかった。感謝しますよ。」
「困った時はお互い様よ。もっとも、本当は私の専門は恋占いなんだけど。」
「そちらのほうはわたくしにはとんと縁が無いようでして。」
執事は特に嘆く様子もなく言った。背筋をぴんと伸ばして小さな椅子にかしこまって座っている。
その慇懃な態度は前に会った時とまるで変わらない。
しかしおだやかな表情と優しい眼が、彼を以前とは別人のように見せている。
実際、バグルス事件に深く関与してさんざん皆を苦しめたのは黒川に操られていたことによるものなのだから
以前の彼のほうが別人であったと言うほうが正しいのだろう。
窓の無い部屋の中、執事と机を挟んだ向かい側に座るのはアンティ。
いつもなら彼女がその席に座っている時は顔まで覆う白い衣を纏って神秘的な占い師を演出しているのだが、
今はその整った美しい顔と流れる髪をあらわにした普段の格好だ。
そういえば、普段は占ってもらおうとやってくる人であふれているこのネットが、今日はしんとして人の気配が無い。
占いを待つ人がくつろいで待てるように作られた待合室も、今はただその空間の広さを際立たせるのみ。
入り口の脇にはアンティーク人形が、知らずにやってくる人のために「closed」と書かれた看板を目立つように持って座っていた。
「無理に相談にのっていただいて、まことにありがとうございました。今日は本当はこちらのお仕事はお休みなのでしたね。」
「ええ。今日はコムネットの高速化プログラムを走らせる日だからあまりお客もこないだろうと思ってお休みにしたのよ。」
「そうでしたか。この度のコムネットスピードダウンについてはわたくしにも責任がある。
わたくしとしたことがまったく、操られていたとはいえ皆様に多大なご迷惑をおかけして・・・
このようにわたくし自身がいまだ存在すること自体が恐縮でなりません。本来ならば消去されても仕方の無いところでしたのに。」
「それは違うわ。あなたはあの時すでに元のソフトに戻っていたんですもの。
間違いを犯したからといってあなたを消去するなんて、それこそあの黒川と同じなのではないかしら?」
「しかし、あらゆることに不都合の無いよう気を配るのがわたくし執事たるものの務め。
それが、悪心を持った者に操られて不都合ばかりを起こしていたなど・・・、
この度のことは、わたくしの心に隙があったせいではないかと思えてならないのです。
そのようなプログラムが、果たして役に立つものなのでしょうか。」
アンティはひじをついて指を組み、目の前に置かれた透き通る水晶玉を眺めた。
その玉の曇りの無い表面をスクリーンにして、過去の光景を投影するように。
「『誰だっていろいろな欠点がある。けれどいいところだってたくさんある。私はみんなのそんなところが大好きよ』」
「なんとおっしゃいましたか?」
控えめに聞き返す執事にアンティはにっこりした。
「ユイの言葉よ。ユイが以前、私達コレクターズにそう言ったの。」
「ほう、あのお嬢さんですか・・・。不思議な方ですな。」
「私達はみんな、彼女の言葉に何度も救われているのよ。彼女がいなければ、私達はいまここにこうして居ないかもしれない。」
「なるほど。そういえばわたくしが操られていた時、中でもブランクネットでみなさんに最後のご迷惑をおかけたときのことです。
記憶はあいまいなのですが、あの方には非常に驚かされた覚えがあるのですよ。
ご存知のように暴走するわたくしをあの方が止めてくださった訳ですが、なんと申しますか、あの瞬間・・・」
「未来を変えた?」
アンティは相手の言葉を読んで先に答えた。
いや、言葉を予測するまでもない。あの時アンティも執事と同じ事を感じたのだ。
「そうです、そんな感じを受けましたよ。大した方だ。」
「そう、ユイはその可能性を、未来を良い方向へ変える可能性を持っている。
本当は誰だって持っている可能性なのだけど・・・あの子はそれを形にすることができるのね。」
「うらやましいことですな。」
「ええ、ほんとに・・・。」
目を伏せたアンティを執事は少しの間考え深げに見つめていたが、静かに立ち上がった。
「これ以上あなたのお時間を取らせては申し訳ない。そろそろ失礼いたしますよ。」
「そうね。それじゃ。」
執事を見送るためにアンティは戸口まで一緒に向かった。
扉のそばで執事は立ち止まるとくるりと振り返った。
「ありがとうございました。先ほどあのお嬢さんがうらやましいと申しましたが、わたくしはあなたのこともうらやましいのですよ。大した予知能力です。」
そう言うと、うやうやしく頭を下げた。彼の職業上“最大級の敬意”とされる完璧な角度で腰を折って。
音も立てずにぴったりと閉じられた扉を見つめ、アンティは執事の言葉を反芻した。
あなたはユイをうらやましく思ってらっしゃるようだが、あなたの力だって十分素晴らしいものではないですか。
少なくとも、あなたが常々感じているほど無力なものではない。
おだやかにアンティを見つめる執事の目は明らかにそう語っていた。
「確かにね。」
少なくとも、自分には未来に何が起こるか予測することはできるのだ。それを変えることはできなくても。
私は私に出来ることをする以外に無い。
ため息をつくとアンティは部屋の片隅にあるアンティーク時計をみやった。
チャットルームで開かれるお茶会の時間までまだ少しあるようだ。
踵を返して占い部屋の自分の席に戻り、精神を統一させるために軽くまぶたを閉じる。
そのまま水晶玉に手をかざすと、青白く水晶が輝き始める。
その奥に宿る光にいつものように目をこらす。ぼんやりと像を結んだそれは、見慣れたコレクターズチャットルームだ。
もうまもなくすると結と春菜がにぎやかにおしゃべりしながらバーチャルインしてくるだろう。
レスキューはキッチンで鼻歌を歌いながら今日の紅茶の茶葉を決める。これは準備をするものの特権だ。
シンクロは傍の一室に居る。何か思いにふけっているのだろうか。
そして
「ふふ・・お茶会には少しゆっくり行ったほうがよさそうね。誰かさんがはりきって見回りにきそうだわ。」
未来を見通すことができるというのは、確かに便利なことではあるのだ。
アンティが集中を解いて、水晶玉にかざした手をおろそうとしたその時。
一瞬、玉の中にiちゃんの泣きそうな顔が映った。
「?!」
アンティは自分の記憶が本当に水晶玉の中に投影されたのかと思った。そんなはずはないのだけど・・・。
iちゃんの繊細な性格は今も変わらず、ちょっとしたことで泣いてしまったりすることはある。
だが今玉の中に映ったのは現在、もしくは未来のiちゃんではない。
アンティには断言できた。あれは過去の、バグルスに冒されていた頃のiちゃんだ。
なぜ過去の映像が映ったのだろう・・・?さらに水晶玉をのぞく。
しかしその先はもやがかかったように曇り、目をこらしても何も見えない。
これはまるで・・アンティはかつて同じように未来がよく見えなかったことがあったのを思い出した。
まるでバグルスについて占った時のようではないか?
何度ももう一度今の映像を映そうと試してみるが、玉は再びiちゃんの像を結ぶことはなく、
またその先の未来を映し出すことも無かった。
不安が募った。何か不確定な要素が未来に混じり込んでいる。それも、ごく間近に。
眉を寄せるアンティの手の下で、水晶玉は今は能天気なコントロルが見回りに出て行く姿を捉えるばかりだった。