10年分のおもてなし


「あら」
「あ・・あい、ちゃん・・」

コレクターズチャットルームに足を踏み入れた愛は立ち止まった。
メインルームの真ん中にある多機能テーブルの椅子には、iちゃんだけがちょこんと座っていた。
普段はコレクターズが座っている椅子はiちゃんには高すぎるのだが、
宙に浮いた足はぶらぶらさせることもなく爪先をそろえておとなしくしていた。

「どうしたの?他のみんなはいないの?」
広いメインルームを横切りながら尋ねる。
「うん」
「そう・・」
「・・・おるすばん」
「え?」
「おるすばんしてるの。」
「一人で?そう、偉いわね。」
そう言われてiちゃんははにかむように笑う。つられて愛も自然と微笑んだ。
「あい、ちゃんは・・?」
「ああ、私は犬養博士にご用が」
「はかせ、いないの。」
「そうね、いないみたいね。・・・じゃあ私もお留守番しようかしら」
「ほんとう?」
「ええ。そのうち帰ってくるだろうし、ね。」
いつもiちゃんと一緒だったくまちゃんも自由に動き回れるようになって、今はいないようだ。
一人ぼっちでいる事がきっと心細かったのだろう。
ぱあっと明るくなったiちゃんの顔を覗き込んで愛は心温まるのを感じた。
「iちゃん、のどかわいてない?」
「かわいてる」
「じゃあ、何か飲もうか。」
「うん!」
iちゃんは椅子からとん、と降りると、愛の先に立ってキッチンスペースへとことこと走ってゆく。
それほど広くも無いが機能的に作られたキッチンの壁に、一見それとはわからないように組み込まれている冷蔵庫にiちゃんは迷いもせず一直線に駆け寄ると、小さな体いっぱい使ってドアを開け、その影から愛を見上げた。
「なに、のむ?」
「え?・・あ、じゃあ、オレンジジュース。」
愛はとっさに一番取り出しやすい位置に見えているジュースを選んだ。
「んしょ・・んしょ。」
iちゃんは小さく呟きながらジュースの入ったピッチャーを引っ張り出し、つま先立ちでテーブルに置く。
本当は自分がiちゃんにココアでも入れてあげようかと思っていたのだけど・・・。
愛は先手を打たれたことが少しおかしくて微笑しながら後ろを向き、きちんと整理された食器棚を開けた。
手に馴染むコップを2つ選んで振り返る。
その間にiちゃんは、さも当然のようにキッチンの作業椅子の上に立ってジュースのピッチャーの握り手を引き寄せていた。
愛がコップを置くと、二人分のジュースをゆっくりと注いでくれる。
ああ、そうか。
愛はコムネットでの時間を思い出した。
コレクターとして迎え入れられたばかりの自分が、このチャットルームで過ごした時間はまだそんなにない。
あの一連のバグルス騒ぎが片付いてからここに出入りするようになったiちゃんも同様であるとばかり思っていたが、コムネットの時間の進み方は現実の256倍なのだ。
つまり、iちゃんは愛よりずっとこのチャットルームの勝手を知っているのだ。
愛は一人で留守番をしているiちゃんを労るつもりだったのだが、
iちゃんは逆に滅多にチャットルームに来ない愛を彼女なりにもてなそうとしてくれているのだろう。
・・ふと気づくと小さな手を伸ばして物言いたげにこちらを見ている。
「ストロー・・、」
「あ、はいはい・・どこにあるの?」
「引き出し。」
iちゃんの手の届かない引き出しからストローを二本取り出して渡すと、コップにそれを挿してくれる。
「はい、ありがとう。じゃあ持っていくわ」
ぴょんと椅子から飛び降りたiちゃんは待ちきれないように扉へ走ってゆき、はやく、と誘う。
それに愛はわかったとうなずいて応えながら、変わったなと実感する。
変わったのか、それともあるべきところに戻ったのか。
どちらでもいい。愛はただ嬉しかった。
なみなみとジュースが注がれたコップ二つと、ついでに目についたお菓子のかごもお盆にのせてメインルームに戻ると、iちゃんはまた椅子の上に立って待っていた。
愛がテーブルにお盆を置くと、iちゃんは何かもどかしそうに愛のそばの椅子を指差す。
「?・・・座るの?」
その意味するところを汲み取って椅子に腰を下ろすと、iちゃんはお盆からコップを慎重に持ち上げて愛の前に置いた。
続いて真剣な顔をして中身をこぼさないよう自分のコップとお菓子のかごもお盆からおろす。
無事にテーブルに置き終わるとiちゃんは満足げにはあっと息をついて、スカートをたくし込みながら立っていた椅子に座った。
そして大きな目で愛を見上げ、少し恥ずかしそうに言う。
「どうぞ。」

もし――――もし父の願った通り、あの頃に自分達が出会っていたなら、
一人ぼっちだった自分の友達としてこの子と巡り合っていたなら、
きっとこんな風に一緒にままごとをしたのだろう。

10年の年月を経て、やっと一緒にテーブルを囲むことができた小さな友達を見つめて愛は微笑んだ。
「いただきます。」
コップを両手で包んで引き寄せると、iちゃんはふわふわしたほっぺを赤くして嬉しそうに笑った。