日亜友好会の生い立ちとあゆみ



日亜友好会の生い立ち


    アフガニスタンは旧ソ連軍の撤退後の内戦、その後のタリバーンによる支配、 2002年6月のカルザイ氏による新政府の樹立と一見平和が
   訪れたように報道されています。パキスタンに逃れた300万人以上の難民のほとんどは以前、農業を営んでいました。しかしアフガニスタン
   国内に多く残る地雷、今なお続く米英軍による空爆、加えて治安の悪さは難民の帰還を妨げていますまた、アフガニスタン国内ではマラリヤ、
   風土病や最近は干ばつのため、毎年おびただしい生命が失われています。これは、対応できる医療設備が存在しないこと、住民のうち、医療
   を受けたり、医薬品を買えるお金を持っている人たちが極わずかのためでもあります。
    そこで吉住登医師(福音診療所長)とその趣旨に賛同した人たちは、1996年以来、毎夏パキスタンの難民キャンプの移動無料診療と数種
   の難民の支援を行ってきました。ときには内戦で混乱しているアフガニスタン国内まで入って診療活動もしました。現地からは、さらに継続的な
   支援を求める声が高まり、1999年にはパキスタン国内のペシャワールに産婦人科診療所(母子センター)を開設しました。
    まだまだ、アフガニスタン国内全土に平和が戻る日はほど遠いと思います。この働きを特定の個人的な支援でなく広く一般からの支援を受け
   て続けるため、その母体作りを広く呼びかけ、多くの力を結集するために日亜友好会が誕生しました。1999年10月、NPO法人(特定非営利
   活動法人)として埼玉県知事の認証を受けました。


歩 み


1996年 8月 アフガニスタン国内、ダライヌールにて無料移動診療を行う。 (医師と看護婦その他計5名を派遣)
1997年 8月 パキスタン、ペシャワールの難民キャンプにて無料移動診療と食料配布を行う。 (医師その他計3名を派遣)
1998年 8月 パキスタン、ペシャワールの難民キャンプにて無料移動診療を行う。その後、食料配布計画中トマホークミサイル攻撃
による反米デモのため緊急帰国 (医師と看護婦その他計4名を派遣)
1999年 8月 パキスタン、ペシャワールの難民キャンプにて無料移動診療と市内に産婦人科診療所の開設 (2名を派遣)
2000年 9月 パキスタン、ペシャワールの難民キャンプにて無料移動診療と産婦人科診療所の開設のセレモニーを行う。 (医師・看
護婦とボランティア4名を含む計8名を派遣)
2000年12月 パキスタン、ペシャワールの難民キャンプで緊急食糧援助を行う。 (3名を派遣)
2001年 5月 パキスタン、ペシャワールの難民キャンプで緊急食糧援助の確認を行う。 (ボランティア2名を含む計4名を派遣)
8月 パキスタン、ペシャワールの難民キャンプで今後の援助の調査を行う。 (ボランティア1名を含む計3名を派遣)
12月 パキスタン、ペシャワールの難民キャンプで埼玉県国際協力基金の助成とJR総連の資金援助を受け緊急食糧援助を
行う。 (2名を派遣)
2002年 5月 パキスタン、部族支配地域の難民キャンプで埼玉県国際協会の助成と子ども平和基金の資金援助を受け緊急食糧援
助を行う。埼玉県知事より10万円をお預かりしました。 (ボランティア1名を含む計12名を派遣)
9月 パキスタン、部族支配地域の難民キャンプで埼玉県国際交流協会の助成と子ども平和基金の資金援助を受け緊急食
糧援助を行う。 (5名を派遣)
2003年 4月
5月
パキスタン、部族支配地域の難民キャンプで北本市国際交流ラウンジ委員会の預託、子ども平和基金から資金と人的
な支援と埼玉県国際交流協会の助成を受け緊急食糧援助を行う。 (ボランティア4名を含む計6名を派遣)
8月 パキスタン、ペシャワールで2003年4月期活動の最終確認。アフガニスタン、カーブルでJRU・PAC現地事務所支援を受
けて今後の援助調査を行う。 (2名を派遣)
2004年8月 パキスタン、マンセラー地区にて子ども平和基金から資金と人的な支援、埼玉県国際交流協会の助成を受けて支援活
動を行う (3名を派遣)






                                                    
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