Frederick Delius: Works: Stage

Updated: Jul 7, 1996

Stage:

  1. Fennimore and Gerda (フェニモアとゲルダ)
    RT
    RT 01/08
    compose
    1909 - 1910
    first performance
    Oct 21, 1919, Gustav Brecher, Frankfurt am Main, Operahaus
    memo
    11場のオペラ
    原作 J. P. Jacobsen (イェーンス・ペーター・ヤコブセン) の『ニイルス・リイネ (Niels Lyhne) 』。台本ディーリアス (原歌詞はドイツ語) 。
    間奏曲
    三浦淳史のライナー・ノートによれば, 2つのゲルダの場とゲルダの最後の 4 小節から構想されている (フェニモアとゲルダは, 主人公ニイルス・リイネをめぐる二人の女性で, 前者に9つ, 後者に幕をとじる2つの場が割り当てられている) 。オペラでは, リイネはゲルダの純愛に救われる。以上 Te-25CT-3 より。
    井上和男編著『クラシック音楽作品名辞典』三省堂刊によれば, 作曲は 1908〜10年。
    1909年着手。 1911年4月一応完成。 1913年終結部の改訂および追加。(Carley書簡集)
    実際のところ, Beecham はけしてこの曲を振らなかった。彼は単にこの曲が好きではなかったのだ。(同下巻p.67)
    エーブラハムの訳注に曰く, 「ヤコブセンの「内的自伝とでもいうべき」 (山室静) この小説を, ディーリアスは, 「互いに独立な二幕に仕切られた」 (スロニムスキー) 歌劇とする。そこでは「画家と詩人が, フェニモアという名の少女を求めてはげしく争う」ものの, 「詩人が, 幼さを残す恋人ゲルダに心の慰めを見いだすにおよんで, 幸せな結末へと推移してゆく」 (ニコラス・スロニムスキー『一九〇〇年以後の音楽』 Nicolas Slonimsky, Music since 1990, Fourth Edition, 1971, p.316) 」 (Jürg Stenzl, ed. Art Nouveau, Jugendstil und Musik, 1980, 平島, 平尾共訳 音楽之友社 1993, p.314)
    原作は邦訳がある。ヤコブセン全集 全一巻 山室静訳 青娥書房, 1975 (『アラベスク』もあり)  河出書房新社版のグリーン版世界文学全集第3集第14巻にも収録されていた (リルケ『マルテの手記』併録) 。

  2. Folkeraadet (人民議会)
    RT
    RT 01/05
    compose
    1897
    first performance
    Nov 1897, cond. Delius, Christiania
    memo
    G. Heiberg による戯曲の付随音楽。
    井上和男編著『クラシック音楽作品名辞典』三省堂刊に記載なし。が, 『ノールウェイ組曲 (Norwegian Suite) 』というタイトルで「 G. ハイベルグの劇『フォルケラーデット』の間奏曲として作曲したもの。」という記述がある。
    1897年夏〜秋作曲。
    ちなみに 1924 年のプロダクションで新しい付随音楽を書いたのは, これまた友人のハルヴォルセン (Johan Halvorsen) 。
    Heiberg の要請は, 第 2, 3, 5 幕への 3 つの間奏曲のみだった。ディーリアスはこれに序曲といくつかの小曲を加えた。

  3. Hassan (ハッサン)
    RT
    RT 01/09
    compose
    1920 - 1923
    first performance
    Jun 1, 1923, Darmstadt, Hessische Lands-Theater,
    Sep 20, 1923, London, His Majesty's Theater, full version
    memo
    Carley 書簡集によれば, 1920年に着手, 1921年初稿完成。 1923年最終稿完成。 1929年1月〜5月, 管弦楽組曲に編曲。
    J. E. Flecker (フレッカー) の 5 幕の戯曲のための付随音楽。
    三浦淳史のライナー・ノートによれば, 1935年5月26日, リンプスフィールドの教会墓地でビーチャムが子飼いの LPO を振って故人に手向ける (本作よりセレナード, 加えて小管弦楽のための2つの小品 (2 Pieces for Small Orchestra)) 。以上 Ph-30CD-3015 より。
    井上和男編著『クラシック音楽作品名辞典』三省堂刊によれば, タイトルは『 Hassan or The golden journey to Samarkand (ハッサン, もしくはサマルカンドへのすばらしい旅) 』。作曲は1920年。『セレナード』は, ヴィオラ奏者の Lionel Tartis によるヴィオラ・ソロ・ヴァージョン (と, その録音) がある (ARC inc. T20P-504) 。
    原作は 1948年, Penguin に入ったそうである。
    以下, EMI盤 "Hassan" のライナー (Dawn Redwood) より。
    プロモーターの Basil Dean は, 付随音楽の作曲に対しラヴェルをはじめとして 9 人もの作曲家をノミネートしたそうである。 Dean が最終的にディーリアスに依頼するのを決定したのは, 1920年4月, 『村のロミオとジュリエット (A Village Romeo and Juliet) 』のリライト版を聴いたからだという伝説があるそうだ (「"Hassan" にうってつけなのはこの男だね」) 。真偽はともかく, 頷ける話ではある。
    もともとの依頼は各幕の前奏曲と場面転換部分の付曲だったが, ダルムシュタットでの初演後, Dean は追加の曲が必要だと感じた。ディーリアスは大声で抗議した。例の業病である。ディーリアスはパーシー・グレインジャー (Percy Grainger) の助力を得て完成させた。ディーリアスは衣装付きのリハーサル2回と公演 2 回に立ち会った。騒々しい観客にぞっとしながらもグレインジャーに語って曰く「舞台全体はほんとうにすばらしい」。 1923年9月20日のロンドン公演は大好評で, 281 回のロング・ランになったそうである。
    ハッサン--中年の菓子屋の物語
    • 第1幕 ハッサンは若く蠱惑的なヤスミンにたいそう惚れ込んでいる。彼は媚薬を仕込んだキャンディを作り, 年若いセリムの持たせてヤスミンに届けさせる。が, セリムはそれを自分で作って持ってきたのだと偽り, ヤスミンの寝室にもぐり込む。ハッサンがプレゼントの効き目や如何にと訪れるとセリムとヤスミンが一緒に出てきてハッサンを嘲笑する。ハッサンは絶望して二羽の鳩の泉のそばで気絶する。
       ハッサンが気絶している間に商人に扮したお忍びのカリフの一行が登場。とある家に呼びかけると吊り篭が一つ降りてくる。この篭に乗って家に入れという。みな乗り込むが, 愛想が尽きた宮廷詩人のイシャークだけは身代わりにハッサンをその篭に押し込む。
    • 第2幕 「動く壁」と呼ばれる家の中。主人の命令でハッサンは身繕いされる。一行は, 最初は乞食たちの, 最後には褐色の美女たちの合唱で歓待される。乞食の王ラフィが登場。ラフィの「カリフ生殺し」計画。理由はと聞かれてラフィは, 許嫁のパーヴァニが結婚式の前日に誘拐され, カリフのハレムに売り飛ばされた顛末を語る。カリフ一党はラフィを取り押さえようとするが, 動く壁が降りてきてカリフ一行を閉じこめてします。女たちが歌いながらかれらを嘲笑する。
       ハッサンのアイディアで格子の下から通りに落とされた書き付けは, 公安の長にに届けられ, カリフとその一行はやっとのことで救出される。ハッサンは褒美に宮廷官吏の地位を得る。イシャークは主人を捨てて遁走した顛末を詩に歌わされるという刑を宣けるが, みごとな即興詩で難を逃れる。
    • 第3幕 ハッサンがカリフの宮廷に豪奢な衣装で登場。心変わりしたヤスミンはハッサンを訪れ, 誘惑しようとする。はじめははめつけていたハッサンだが, けっきょくは降参。次の場は兵士たちの歌「サラセンの戦いの歌」で始まる。ラフィの裁き。カリフは, ラフィとパーヴァニに, パーヴァニがハレムに戻りラフィがバグダッドを永久追放されるか, 愛の一日を過ごしたあと拷問死するかの二つに一つを選ばせる。
    • 第4幕 牢獄。ハッサンとイシャークは見張り番を買収して獄を覗く。第2場でパーヴァニはラフィを説得して, 二つめの条件を選ぶ。
    • 第5幕 ハッサンはカリフに嘆願するが, 逆に新居を没収され, 刑の執行立ち会いを命令される。日没, ヤスミンが刑執行を見物にやってくる。終幕の場。ハッサンとイシャークは宮廷生活に幻滅し, 去る。バグダッドの月の門で商人や巡礼たちに混じり, サマルカンドへの黄金の道を歩む。

  4. Irmelin (イルメリン)
    RT
    RT 01/02
    compose
    1890 - 1892
    first performance
    May 4, 1953, E. Graham, T. Round, RPO, cond. Beecham, Oxford New Theatre
    memo
    3幕のオペラ
    台本ディーリアス
    三浦淳史のライナー・ノートによれば, タイトル・ロールの王女をヒロインとする北欧神話に基づく最初のオペラ。未出版。作曲時のほぼ40年後, 前奏曲を改作。以上 Te-25CT-3 より。
    井上和男編著『クラシック音楽作品名辞典』三省堂刊によれば, 台本は作曲者自身, 初演は 1953 年オクスフォードにて。この上演は元イギリス首相のヒースも聴いていた (Music : A Joy for Life) 。
    1894年フローラン・シュミット (Florent Schmitt) がピアノ伴奏版作成。

  5. Koanga (コアンガ)
    RT
    RT 01/04
    compose
    1895 - 1897
    first performance
    Mar 30, 1904, C. Whitehill, cond. Fritz Cassirer, Elberfeld, Staadttheater
    memo
    3幕のリリック・ドラマ
    原作 G.W.Cable (ケーブル) 台本 C.F.Keary (キーリィ)
    井上和男編著『クラシック音楽作品名辞典』三省堂刊によれば, 原作はケーブルの『グランディッシメス』。内容はムラート (?) であるパルミラとコアンガの恋物語。
    Koanga はイェルカが飼い慣らしていたコクマルガラス (コクマルガラスと言えばコンラート・ローレンツやがな) の名前から取った。
    台本作成は Jutta Bell が協力。
    1895年着手。 (Carley書簡集) 。1898年改作。
    1897年(98年?), フローラン・シュミット (Florent Schmitt) がピアノ伴奏版作成。
    1899年, ディーリアス・コンサートで部分演奏。
    1904年の初演後同年に 2 回再演。 1914年6月8日, ビーチャムの指揮する all-Delius Concert で, Duke's Hall, Royal Academy of Music で第3幕を再演。 1915年4月13日, ロイヤル・フィルハーモニク協会のコンサートでエピローグを再演。指揮はもちろんビーチャム。

  6. The Magic Fountain (魔法の泉)
    RT
    RT 01/03
    compose
    1893 - 1895
    first performance
    memo
    3幕のリリック・ドラマ
    台本ディーリアス。
    井上和男編著『クラシック音楽作品名辞典』三省堂刊によれば, 作曲は1893年, 未出版だそうだが, 1980年, ラヴェルのヴォーカル・スコアをもとにフェンビーが復元したらしい。 BBCからディスクも出とるがな。
    1894年半ばに着手。 1895年6月完成。 1898年, マイナーな改訂。 (Carley書簡集)。
    1895年フローラン・シュミット (Florent Schmitt) がピアノ伴奏版作成。
    台本作成は Jutta Bell が協力。 (Carley書簡集)。

  7. Margot la rouge (マルゴ・ラ・ルージュ)
    RT
    RT 01/07
    compose
    1902
    first performance
    memo
    1幕のリリック・ドラマ
    台本 Rosenval (ローゼンヴァル) 。
    三浦淳史のライナー・ノートによれば, 構想したが未完に終わった1幕オペラ。以上 Te-25CT-3 より。
    井上和男編著『クラシック音楽作品名辞典』三省堂刊によれば, 台本はローゼンヴァル夫人 (Berthe Gaston-Danville) 。
    イタリアの楽譜出版者 Sonzogno がスポンサーになった Concorso Melodrammatico にエントリするために作曲。ただし入賞したのは, Lorenzo Filiasi (1878-1963)の1幕劇 "manuel Menendez" で, 1904年5月15日にミラノで上演。
    1901年末着手か? 1902年6月6日完成。
    1902年, ラヴェルがピアノ伴奏版作成 (Ravel) 。こっちは1905年頃パリで出版。 1905年, 上演を目論んでいたFritz Cassiereは, Bolton-Bäckersに独訳台本を作成させる手筈を整えていたが, その時のタイトルは, "A Night in Paris"というものだった。

  8. A Village Romeo and Juliet (村のロミオとジュリエット)
    RT
    RT 01/06
    compose
    1900 - 1901
    first performance
    Feb 21, 1907, cond. Cassirer, Berlin, Komische Oper
    memo
    1幕6場のリリック・ドラマ
    原作 Gottfried Keller (ゴットフリート・ケラー (1819 - 1910))。
    台本 C. F. Keary (キーリィ)。
    原作は邦訳あり。『村のロメオとユリア』草間平作訳 1934年 (1972年改訳) 岩波文庫, 『村のロミオとジュリエット』伊藤武雄訳 1953 年 角川文庫
    間奏曲は有名な『楽園への道 (The Walk to the Paradise Garden) 』
    三浦淳史のライナー・ノートによれば, 3幕6場のオペラの間奏曲 (5場と6場の間) は 1910年イギリス初演に際してビーチャムの要請で書き加えられた。オペラはディーリアスの最高傑作といわれている。「楽園」とは「寂しい山腹の景勝の地を占めている料理店」のこと。シェイクスピアの悲劇をふまえて設定されているスイス山村の素朴な少年少女にとって「『楽園への道 (The Walk to the Paradise Garden) 』」は, 二人を死に導く道だったのである。曲はチェロとバスーンのワルツ風の導入主題で始まり, 主部は2つの哀切な主題によって築かれている。ディーリアス芸術のエッセンスともいうべき美しいミニアチュアで, しばしば演奏される。以上 Te-25CT-3 より。
    井上和男編著『クラシック音楽作品名辞典』三省堂刊によれば, 原作はケラーの『 Romeo und Julia auf dem Dorfe 』。台本は作曲者自身。イギリス初演は 1910年ロンドン。内容はわかい男女の悲恋物語, とある。そりゃそうだが……。
    音楽之友社版『最新名曲解説全集』 (三浦淳史解説) によれば, 初演の指揮者はフリッツ・カッシラー (Fritz Cassirer 1871 - 1961年) でドイツ語上演。ロンドン初演は 1910年2月22日。ロンドン, コヴェント・ガーデン王立劇場。間奏曲『楽園への道 (The Walk to the Paradise Garden)』の作曲は, 推定 1914-15年ごろ。単独初演はビーチャムだろうが, 時期は不明。
    1902年, フローラン・シュミット (Florent Schmitt) がピアノ伴奏版作成。
    C. F. Keary の最初の台本は 1897年。 1899年11月13日着手。 1901年完成。 1910年, Otto Lindenmann がヴォーカル・スコアを作成。 Harmonie から出版。 1911年6月16日, ビーチャム主催のオール・ディーリアス・コンサートで間奏曲を演奏。スコアは Harmonie から出版。 1914年6月8日, ビーチャムの指揮する all-Delius Concert で, Duke's Hall, Royal Academy of Music で終景を再演。独唱は Agnes Nicholls と Frank Mullings 。 1914年11月24日, ビーチャムの指揮で, New Yorkの フィルハーモニク・コンサートで, 第5場の『市の舞踏』と『楽園への道(The Walk to the Paradise Garden)』を再演。 1915年2月25日, Hallé コンサートで第2幕が再演される。 1920年のロンドン上演における愉快な逸話がある (Hugh Vickers "Great Operatic Disasters") 。 1920年3月19日, 3月25日, 4月5日, ビーチャムによる新プロダクション。サーリを Walter Hyde, ヴレーリを Miriam Licette, ヴァイオリン弾きを Percy Heming が歌う。 1927年12月, Wiesbaden で再演。 1932年5月20日, ラジオ放送?ビーチャムの指揮, BBCSO, 合唱指揮は Stanford Robinson 。

    1978年9月20日初出の, Meredith Davies が RPO を指揮した国内盤 (エンジェル/東芝EMI EAC77259-60) の評 (ちなみにこれは Karajan/BPO "Salome" と同日発売) 。

    「話題の作曲家, ディーリアスの本格的なオペラの初登場だ。土地に執着し対立する農夫の子供たち, サーリとヴレンチェンの清らかな恋は, 毒薬といった小道具がないだけに, 本物の「ロメオとジュリエット」よりもリアルな感動にあふれている。だがディーリアスはどこまでも幻想的で, 特に第六場の幕切れはほとんどたえ難いほどの美しさだ。全篇大きな愛の二重唱の中に, 村の市のにぎわいや農夫の争いが点描されるという構成も心憎く, オーケストラが実に雄弁にドラマの雰囲気を描きつくす。これほど天国的なオペラも珍しく, 自然への愛, 若者たちへの愛が, ディーリアスの心情をとおしてうたい上げられ, きき手もまたたえがたい感動にさいなまれる。」
    (出谷啓 音楽之友社刊 週間FM誌より)

    「いつの世にも”ロメオとジュリエットの悲劇”は絶えることがなさそうだ。ディーリアスの「村のロメオとジュリエット」は, ”醜い争いを続ける親たちのかげにひそかに芽生え育って行く少年と少女の恋。スイスの一農村にくりひろげられる悲しくも美しい物語” (岩波文庫ケラー作「村のロメオとユリア」の帯より) をオペラ化したもので, その音楽は可憐な少年少女の悲恋のように静かな美しさにあふれている。一幅の名画「楽園への道」 (間奏曲) を経て二人が入水したあとの余韻も深い。ロイヤル合唱協会の指揮者メレディス・デイヴィスの暖かいまとめ方もよい。」
    (三浦淳史 音楽之友社刊 週間FM誌より)

    ちなみに, 二人の筆者ともディーリアンとして有名である。

  9. Zanoni (ザノニ)
    RT
    RT 01/01
    compose
    1888
    first performance
    memo
    付随音楽。台本ディーリアス。
    ビーチャムの伝記に依れば, もともとはオペラ化の意向があったそうな。原作は, あの『ポンペイ最後の日』のブルワー・リットン (Bulwer Lytton) のロマンス(1842年)。
    なんと, 翻訳がある! 富山+村田共訳『ザノーニ』 (上下巻) 国書刊行会 (ゴシック叢書)
    井上和男編著『クラシック音楽作品名辞典』三省堂刊に記載なし。
    1888年夏に手掛けるも未完。 (Carley書簡集)


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Created: Jul 7, 1996