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Pavane pour une infante defunte


Meme(x),
We all Thanx you for your great instillation.


I cried for madder music and for stronger wine,
But when the feast is finished and the lamps expire,
Then falls thy shadow, Cynara! the night is thine;
And I am desolate and sick of an old passion,
Yea hungry for the lips of my desire:
I have been faithful to thee, Cynara! in my fashion.

from "Non Sum Qualis Eram Bonae Sub Regno Cynara"
by Ernest Dowson.

● めめさんのこと

 本名は池田操、ハンドルは、「Memex」、「So!」、「市川 連」、「めめ」を用いていた。「市川 連」というペンネームは Mac 系の雑誌や単行本でもしばしば目にする名前である。が、わたしたち HP 連中や frock 連中からすれば、「めめ」 or 「めめさん」である。ときに「めめくす」、「めめ姉」となることもある。「めめ」は「メメ」や「メメ」になるときもある。わたしはもっぱら「めめさん」と呼んでいた。この「めめ」というハンドルは、つげ義春の借用であろうと思いこんでいたが、本人に聞いてみると、

-- 以下、某 HP のログより
144 [93/04/24 04:15] TCC00164 dagmar
○「人間の知的作業を電気のマシーンで支援するということを初めて提案したものが、大統領科学顧問ヴァネヴァー・ブッシュ(Vannevar Bush)の MEMEX であった。産業革命以来、機会は肉体労働の苦役を解放するためのものであったが、1945年に提案された MEMEX はそういった機械とは全く異なる知的作業のための機械であり、知的作業に従事する人間の増大や、物質だけでなく非物質を重視する時代が到来することを予見したものであった。しかし、まだ効率化のための道具という古い考えも引きずっていた」from 浜野保樹インタビュー(季刊 "AXIS" P.62)  文意の割りには、あまり知的な文章とは思えませんが、しかし、「めめくす」って、これから取られたんですか?(^^;)

149 [93/04/25 01:34] PDF01617 めめ
○ダグマさん▼おっしゃるとおり、私のハンドルはハイパーテキストの原意であるMemexからとっています。こういう有機的データの集合体(マラルメやボルヘスがもっている「世界を記述する本」という、あの考えですね。宮沢賢治もそのようなことを書いていましたっけ)が自分用にひとつ欲しいんです(^_^;)。オールラウンドレファランサであり、オールラウンドのブラウザ/プレイヤであるような。それからMemex自身の語源meme(模倣、記憶)の意味も含みます。もちろん模倣子の意味も(^_^;)。

168 [93/04/28 01:28] TCC00164 dagmar
○めめさん 宮澤賢治の「世界を記述する本」は、『銀河鉄道の夜』ブルカニロ博士稿のラストに出てくる思想ですね。あれは、ふつーなら『キメ』のキーワードにしてしまうと思うんですが、それを結局削除してしまった宮澤賢治という人物は……(^^;) 凡人にはおよびもつかない。m(_ _)m  まさかと思ってましたが、まさか本当だとは!>>MEMEX の語源。
-- 引用終り

こうである。「何者だ、こいつわ?」と思わず助詞を間違えてしまいそうな印象である。

 初めてオンラインでお逢いしたのは、確か 1991 年頃の fmacbg での RT に乱入した際だと思われる。それから現在まで、結局生身のめめさんにお逢いしたことはない。某 SN 氏(プログレ・ファンで知らない奴はもぐりだ)が主宰していた HP のオフラインで、とある呑み会を撮影したテープを観、その中で動いているめめさんを観たのが最初で最後である。ただし、静止しているめめさんは幾度となく見掛けた。それもそのはず、めめさんの肩書の一つは Mac 関連のライターだった。

 そんな出逢いであったが、しょっちゅう見掛けたのが frock での RT だったというのがめめさんの底の深さをうかがわせる。ときどきしか RT には行かないのだが、行くと必ずめめさんがいた。当時の錚々たるメンバーに囲まれ、めめさんは美学・芸術学、美術史専攻とは思えないようなノリで、機関銃のようなスピードでコンソールにテキストを打ち出すのだった。

 めめさんから、1993 年の 12 月、Mac の HP を作ったので遊びに来いというメールを受け取って、のこのこと見に行った。わたしは、わりあい始めの方の参加者だったと思う。「参上」と夜中の3時過ぎにメッセージを入れると間髪を入れず(4時半に!)歓迎レスがついた。その中で、

「彼は広島在住のプログラマさんであり、また、隔離室の方でもあります(^_^;。 実はわたし、ダグマさんが作って下さった「alien」というユーティリティを愛用してまして、クライアント先へ行ってインストールする仕事があると、必ずこの「alien」もそのマシンに入れて来てしまうという習性があります(^_^;。これ、ぜったい便利でっせ(^^)>おおる。たしかFROCKのライブラリにもアップされていたと思います。」

と、かましてくれていた。(^^) ここは、わたしのような一ユーザから、A氏やS氏、Y氏、F氏、H氏、I氏などのようなその道のプロ連中まで、O氏やI氏のようにシスオペ・レベルの人々も乞われて覗いていたようだ。それだけ多くの人に慕われていたということだ。バカ話から MS-Word, A/UX 等のディープな話題まで、音楽、美術、文学、コンピュータ、いろいろなテーマが飛び交っていた。めめさんは、とにかくなんでもよく知っていた。博覧強記の生きた見本である。メーカ相手に怒りまくった話を読んだこともあった。あのスリムな身体のどこにそんなエネルギーがあったのか。

 ○MacのデザインはやっぱりSEにとどめを差すとおもうんですよ。(中略)なぜSEのデザインが面白いか、というと「これひとつだけで、すべてOKさっ!」というジョブスの強迫観念が具体化された最後のデザインだからなんだよね。モニタ埋め込みのオールインワンタイプだったらその頃ほかにもあったのだろうけど、ポータブリィ(8Kg…ガキ一人分の重さだぞ(^_^;)…もあってポータブリィというのは白人成年男子に限る発想だけどね)というコンセプトがまともに実現され、しかも成功たのはたぶんMacだけだったんじゃないかとおもう。なぜポータブリィであることが大切なのかというと、Mac誕生のコンセプトが「for the rest of us」だったからなのだ。いままでコンプータが使えなかったひと、というのの中には設置してある場所が限られてるので思い立って好きなときに使えないひと、というのも入っているとおもうんだよ。ほれ、アランケイの「でーなぶっく」にもかんたんに持ち運びが可能、というのが条件に上げられてたでせう。いつも使ってる机のうえでも、時にはよその場所にもっていってもOKさっ、っていうコンセプトを初めて「形」にして見せてくれた、というところでPlus、そしてそれを洗練化したものとしてSEのデザインはすげー、とおもうのであります。しかしカラクラはたしかにPlusの末裔かもしれないけど、10Kgもあってはちょっと毛唐といえどもポータブリィとは言いがたいわなー。

 ○コンシューマサイドを歩け  小ワザに凝ったり、メカフェチな姿勢をとる雑誌が嫌だ、っていうユーザが出現してきている事実に隔世の感を感じるわたしです(^_^;)。普通パソコン雑誌って、そゆネタを仕入れるために読むものだったんだけどなあ。つまりユーザ(読者)が明らかにいままでと変わってきているということになるよね。これはすごく喜ばしい傾向だわ。メーカの意図はともかくパソコンの家電化が始まっているということだとおもうんですよ。あと、よく考えればそゆユーザが通信して、しかも書き込みもする、っていう事実もすごいよね。いわゆるパソコン雑誌と通信って普通のひとにとってみれば別世界(ヲタク界とかさ)のシロモノだったとおもうんだが。パソコンにモデムがあらかじめ内蔵されるようになり、商用ネットがグラフィカルなユーザインタフェースを持つようになったら、ヴィデオ機器の家電化が起きた時と同じくらい、メディアとしてすげー大化けがくるような気がする。  というようなこともあって、去年の暮れくらいからそゆユーザに受けるようにモノを書かなくてはダメだなあ、と真剣に考えているんですよ。

 (以上の発言は 1993 年の発言からランダムに引用した)

 このような「めめ節」とでも言うべき文体が、どれほどその本人を表現したり得ているのかは、わたしには不明のままだが、想像するだけでも楽しいものがある。少なくともネットワーク上での仮想人格は、常にこちらの想像を越えて奥深いものだった。

 かと思うと、
176 [93/04/29 19:06] PDF01617 めめ
>>ダグマさん
 ダグマさんが所属されていたバンドはジェネシスのコピーとかされていたんですよね? 聞いてみたいわあ、「幻惑の」とか(^_^)。ピガブのいるころというと、カブリものなんかもコピーされたんでしょうか(^_^;)。うちになぜか月影倶楽部っていうオイロス系のジェネシスコピーをやってたバンドのヴィデオがあるんですが、しっかりカブリものも作ってたりして可笑しいです(^_^;)。

178 [93/04/29 22:38] TCC00164 dagmar
●めめさん わたしの所属していたバンドは今でも現役ですが、今ではオリジナルしかやってない模様です。(;_;)
 結婚式の時は冗談でやりましたが、ヴォーカル(地理教師)は、生徒に作らせたという黄色の毛糸のカツラと、子泣きじじぃの仮面を被って現われました。まぁ "The Musical Box" だから、あながちハズした格好ではないですね。(^^;)

181 [93/04/30 02:19] PDF01617 めめ うはは(^_^;)>子泣じじい
▼ダグマさん
 ●あ、子泣ジジィは近い>ミュージカルボクス  舌ぺろぺろやったんでしょうか(^_^;)。見てみたいなあ(^_^;)

 このようなバカ話にもちゃんと付き合ってくれるのである。

 繰り返しになるが、生身のめめさんにお逢いしたことはない。最初に訃報を読んだときは愕然としたが、その後もあまり哀しいと思った記憶はない。M氏の言葉にあるとおり、いまでも、メールを出したら返事が来そうな気がするからだ。身近にめめさんに接している人たちの哀しみや怒りを想像すると、慄然とせざるを得ない。が、少なくとも、わたしには、この広大なネットワークに、めめさんの意識が遍在しているような気がする。


注)半角カナを全角に変更しました。
NISHIHARA Satoshi, < mail me >
Created: Jan 13, 1996, Updated: Apr 20, 1996
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