Reina 怜奈の憂鬱な1日
T
「藤沢・・・。それ、やめてくれない?」
日誌を書いていた怜奈は、さっきから自分の横顔に注がれている視線に耐えら
れず、 ペンの置くと、隣にいる藤沢を睨んだ。
「何をやめるんですか?」
しかし彼は、とぼけているのかいないのか判然としない表情で問い返してきた。
それがまた怜奈の癪に障る。
「そうやって、人の顔をじろじろ見ないでっていっってるの。」
放課後とはいえ、まだ教室には生徒が残っているので、高まる苛立ちを押し殺し
た低い声で怜奈は繰り返す。
「お気に障りましたか?それは大変失礼しました。つい、見惚れてしまって・・・。」
春風のように穏やかな笑みを添えて藤沢はのたまった。
(こ、こいつ〜。聞いてる方が恥ずかしくなるような言葉をよくもまあぬけぬけと。
怜奈の脳裏で赤いシグナルが点滅しはじめたが、いくつかの好奇の視線が向け
られている事に気付き、辛うじて怒りを飲み込んだ。
「・・・そんな事言ってる暇があるなら、これの続き書いて担任に提出しておいて。
あんただって週番なんだから。」
これ以上藤沢に変な事を言われるのはご免だと、怜奈は早々に帰る事に決め、
日誌を彼に押し付ける。
「分かりました。」
押し付けられて嫌な顔をするでもなく、藤沢は至って素直に日誌を受け取って、
続きを書き始めた。
「じゃあ、後頼むわね。」
帰り支度を終えた怜奈は短く言って席を立った。
「お気をつけて。」
悔しいくらい、耳に快い藤沢の低い声が追いかけてくる。それを遮るようにドアを
閉め、怜奈は教室を出て行った。
「おい、藤沢。お前香鳴なんかのどこがいいわけ?」
2人のやりとりを一部始終見ていたらしい3人の男子生徒がやって来て、怜奈の
出て行ったドアを見て尋ねた。
「どういう意味。」
ちょうど書き終えた日誌を閉じた藤沢は、その言い草に少々腹立ちながらも顔を
上げた。
「いや、だってよ、タカビーな感じじゃん。今も「後頼むわね」なんか言っちゃってさ。」
「割と美人だからってお高くとまってるよな。」
「影で何やってるかわかんねえタイプだぞ。あれは。」
「だよなー。」
藤沢の事などお構いなしに3人は好き勝手に言いたい放題だ。
「さて。」
唐突に立ち上がって、藤沢は不愉快な会話を立ち切った。
「女性を肴に盛り上がってる男は見るに耐えないな。特に悪口は最低だ。」
丁寧だが、怜奈に対するとは全く違う、冷ややかな口調。
「何だと!?」
それを聞きとがめた1人が、藤沢を睨む。
「おやっ、聞こえましたか。独り言のともりだったんですが。」
煽りを存分に含んだ言葉に、3人顔面に怒気を滲ませた。
「喧嘩売ってんのかよ!」
最初に睨んだ大柄な生徒・・・高野とか言った・・・が、凄んでみせる。
「そんなつもりはありませんよ。言ったでしょう?独り事だって。」
しかし藤沢は臆する気配などみじんもさせずに応じた。
「てめえのスカした態度が気に食わねぇんだよ!」
剣呑な空気に、他の生徒達も興味津々の顔付きで集まって来る。男子の間でも
美貌による嫉妬は存在する。一方が藤沢だとわかると、もう一方の応援に回った。
そんな微妙な心理状態のおかげで、ギャラリーを味方に付けた高野が、
「殴られた後にも同じ態度でいられるか試してやる。」
喧嘩慣れした手付きで、藤沢の襟首を掴む。
「・・・もう少しオリジナリティーのある台詞にしてくれませんか。でないと興ざめして
しまいますよ。」
わざわざ口に出してそう言うと、藤沢は無造作に相手の腕を振り払った。
「てめぇ。ふざけんな!!」
完全になめられた。・・・事実、その通りなのだか・・・と感じた高野が激しい怒り
を込めた拳を繰り出した。筋骨隆々とは言えないが、体格のいい彼に対して細身
の藤沢はいかにも頼りなさげに見える。かっこつけもここまでだな。ギャラリーの
ほとんどがそう思った。
繰り出されたパンチを体を沈めてよけた藤沢は、勢い余って体勢を崩しかけた
相手の腕を捕らえて自分の側に引き寄せると、反撃する暇も与えずに鳩尾に正確
でしたたかな膝蹴りを叩き込んだ。
「げふっ!」
動物じみた声を洩らした高野がその場に倒れ、下敷きになった机と椅子が派手な
抗議の音を立てた。予想外の結果に、誰もが唖然として声も出ない。奇妙な沈黙
に 包まれた中で、
「僕の前で怜奈さんの事を悪く言ったのが間違いでしたね。2・3時間は深呼吸を
避けた方が賢明ですよ。」
藤沢は埃を落とすようにブレザーを叩きながら、あまりの痛みに声を出す事も出来
ない高野に冷然と言い捨てた。そして今度は周りの生徒に、
「恐縮ですが、机と椅子、それから彼の介抱をお願いします。」
にっこり微笑んだ。藤沢の笑顔が悪魔のように見えたに違いない。彼らは速やか
に行動に移った。藤沢はうなずくと、何事もなかったような顔をして、日誌を持つと
教室を後にした。
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超満員の電車が体を軋ませながらホームに滑り込んだ。プルルルル・・・。
ヒステリックなベルが鳴り響きドアが開くと、吐き出された人々が早い足取りで歩
き だす。それに紛れた怜奈は絶え間なくこみあげてくる欠伸をまたひとつかみこ
ろした。ビデオに夢中になって、眠りについたのが明け方近くになってしまった。
目に下にくまはできるし、頭もがんがんする。
自業自得とはいえ、かなり機嫌の悪い怜奈だった。
ぼぅっとしたまま改札口を抜けた怜奈はひときわ大きなため息を付いた。
「おはようございます、怜奈さん。」
朝の空気を如く爽やかなその声を聞いて、もともと悪かった気分がどん底まで落ち
ていくのを感じた。
「・・・・・・・。」
口も開くのも面倒で、無言にまま藤沢の横を通り抜ける。
「怜奈さん・・・?」
メタリックな感じのマウンテンバイクを引いて、藤沢は慌てて後を追う。いつもなら
、しつこいとかいい加減にしてなどの元気のいい声(?)が飛び出してくるのに。
不可解な思いを抱いて、怜奈の横顔に目をやった藤沢は彼女の顔色があまり
良くない事に気が付いた。
「怜奈さん、どこかお加減でも悪いのでは?」
瞬間、きつい目で藤沢。
「別にそんなことないわよ。」
いつもより強い口調で、八つ当たり気味に言い返す。
「しかし・・・。」
「うるさいわね。何でもないって言ってるでしょ。」
自分でも驚くくらいきつい口調。最低。藤沢は何も悪くないのに・・・。
「私・・・言い過ぎたわ・・・。」
呟きに近い声で藤沢を背に謝った。怜奈の言葉に藤沢ぶんぶん頭を振って、
「とんでもない!怜奈さんが謝る事ではありませんよ。しつこく聞いた僕がいけない
のですから。すみませんでした。」
逆に謝ってきた。
「変な奴ね・・・。あんたって。」
おかしそうに言って怜奈はちょっと笑った。自分には滅多に見せないその顔に
藤沢も嬉しそうに笑った。
「ちょっと、怜奈。知ってる?」
藤沢が自転車を置きに行ったので、先に教室に入った怜奈に、親友の雪子が
おはようも言わずに聞いてきた。
「知ってるって・・・。何を?」
今日ばかりは、雪子のきれいなソプラノの声も頭に響く。
「・・・藤沢君と一緒に来たんでしょ。」
「うん・・・。まぁ・・・一応。なんで?」
歯切れの悪い返事をして、椅子にもたれた怜奈は、雪子が言った事の耳を疑っ
た。
「喧嘩よ。藤沢君が高野君を・・・。先にふっかけたにも藤沢君なんだって。」
「うそ・・・。あいつがそんなこと・・・。」
思わず身を乗り出して、呟いた。藤沢と喧嘩。この単語は結びつく可能性が著しく
低い。少なくとも怜なはそう思っていた。
「私もびっくりしたわよ。藤沢君て温厚君でしょ。いつも。」
「温厚っていうか・・・ただお気楽って感じだけど。」
驚きから完全に立ち直っていなくても、藤沢に対する怜奈の評価は手厳しい。
「またそんな事言っちゃって・・・。報われないわね、藤沢君も。」
同情まじりのため息をつく雪子に、どういう事か尋ねようとした時、急に教室中が
静かになった。雪子までも、口をつぐんでドアの方を見てる。
「どうしたの?」
言いながら視線を転じた怜奈の目に、教室の入り口で出会い頭の藤沢と高野の
姿が映った。2人はごく短い間見合っていたが、高野が悔しそうに顔を伏せて、
急ぐ ように出て行った。藤沢は別段、表情を変えるわけでもなく教室に入り席に
着く。 それが合図だったかのように、教室のそこそこでひそひそとした話し声が
聞こえはじめた。怜奈は無意識にうちに潜めていた息をはきだした。
「・・・緊張したね。」
雪子が囁く。
「まあ・・・。少しはね。」
「意地張っちゃって。藤沢君のこと、ちょっと心配だったくせに。」
「心配なんかしてないわよ。・・・それより喧嘩の原因は何なの?」
意外と鋭い雪子の突っ込みに内心焦りながらも、平静を装って言った怜奈の声
とチャイムが重なった。続きは後でねっとウィンクして、雪子が自分の席に戻って
行く。思わせぶりなその態度に、藤沢に事が気になった。何気を装って、藤沢の
いる廊下側に目をやると、ちょうどこっちを見ていたらしい彼とばっちり視線がかち
会った。にっこり笑った藤沢に慌てて背中を向ける。
・・・あの、お気楽極楽を地で行ってるような奴が喧嘩なんて、やっぱり信じられな
いわ。でも、さっきの感じはただ事じゃなかったし・・・。
V
「起立。」
ルーム長の号令で、あれこれと考えこんでいた怜奈は我に返った。いつ間にか、
担任 が来ていたらしい。
「はい、おはよう。」
大学を卒業してから、まだ数年し経っていない若い担任が挨拶を返し、黒いファイ
ルを出して出席を取り始めた。
その声を聞きながら再び怜奈は考えに沈んだ。喧嘩の話はどうやら本当らしい。
だけど理由は?藤沢が先に手を出したって雪子が言ったけど、あいつはすぐ暴力
に訴えるタイプじゃない思うから、高野があいつをそうさせる事をしたんだろう。
そこまで考えて怜奈ははっとした。やだ、なんか私、藤沢を弁護してるみたい
じゃない・・・
これって。そんなつもりは全然ないのに。私はただ物事を客観的、かつ冷静に見
た場合、そうなるんじゃないかなと思って・・・。自分自身に必死に言い訳して
いる間 にホームルームが終わり、雪子が来た。
Yukiko
「出席取られた後。ワンテンポ遅れたみたいだったけど、どうかしたの?」
まさか藤沢の事を考えてたとは言えずに、ちょっとぼーっとしてただけ、と笑って
ごまかした。雪子もそれ以上つっこんで来なかった。
「それでさっきの続きなんだけど、2人の喧嘩の原因はずばり、怜奈、あんたらしい
のよ。」
「・・・。」
「怜奈、大丈夫?何か、肩が落ちてるけど。」
もっと大袈裟なリアクションを予想していたらしい雪子は、怜奈の無言の反応に
拍子抜けしてしまっていた。
「・・・平気。ちょっと呆れてただけ。」
雪子に手を上げて見せ、怜奈は椅子から立ち上がった。
「どこ行くの?」
「保健室で寝てくる。頭痛くなってきたから。1限には出ないと思うから、うまく言っと
いて。それと、この事は絶対、藤沢に言わないで。」
絶対のところに力が入ってしまった。
「わかった。OK♪」
雪子の声を背中に、額に手を当てた怜奈は教室を出た。 6/7Up
Mitui
「あら珍しい。」
入ってきた怜奈を見るなり、保健医の三井が目を丸くした。
「先生、1時間くら寝かせてもらえますか。頭痛くて・・・。」
奈はどさっとうい感じで、ソファに身体絵を沈めた。
「どうしたのよ。いつも元気なあなたが。」
三井は怜奈の顔を覗きこむように身をかがめて言った。
「・・・心の病です。」
「ふーん。ま、ごちゃごちゃ聞かないから、気が済むまで寝ていきなさい。ベットは
一番奥がいいわね。」
彼女はそういってベットの準備に取りかかった。
怜奈はさらに深くソファにもたれて、さきほど心に浮かんだ思いを打ち消そうと、
頭を強く振った。気の迷いだわ、あれは。寝不足で頭がぼうっとしてたから、あんな
とんでもないことを考えてしまっただけよ。
「準備、できたわよ。」
三井の声で、怜奈は困難から救われた。
「すみません。」
軽く頭を下げてベットに潜り込む。その布団をぽんと叩いて、
「担任は籏野先生だったわね。うまく言っとくから、安心して眠りなさい。」
雪子より数段きれいなウィンクをした三井は、仕切りのカーテンを閉めて出て行
った。
喧嘩の原因は自分にあった。それを聞いた時、とっさに声が出なかったのは、
驚きや呆れの他に全く別の感情が湧き上がって来たからだった。ずっと目をそらし
続くけてきた、本当の気持ちそして1度気付いてしまったそれを完全に無視する
ことが出来なくて・・・だから、動揺を鎮めるために頭痛と託けてここにきた。
だが一向に考えはまとまらず、むしろ、煮詰まっていくばかりだ。
「あ〜・・・。イライラする。」
こらえきれずに、怜奈はベットに起き上がった。
「大体、なんで私が、あいつの為にこんな思いしなきゃならないのよ。納得できない、
不条理だわ。」
「なにが納得できないの?」
そう声をかけられて、怜奈はここにいるのは自分1人ではなかったことを思い出す。
「あっ、聞こえました?」
とは、少々しらじらしい。
「独り事にしては声が大きかったようね。」
カーテンをからげて、ベットの端に座った三井は微笑した。自分を安心させるその
笑顔が、藤沢を連想させた。
「先生・・・。」
我知らず、怜奈は口を開いていた。彼女は、なに?と言うふうに首を傾げる。
「いままでずっとそうじゃないと思ってきて、冷たい態度をとってきた人を何かの拍子
に、その・・・、好きだって気持ちに気付いたら、どういうふうに接すればいいのかな。」
上手く話せた自身はなかったけど、言わんとしていることは伝わったらしく、彼女は
視線を空にさまよわせて言葉を紡ぎ出した。
「そうねぇ・・・。まずは『ありがとう』と『ごめんなさい』を言えるようにしなきゃね。
特に藤沢君には言う必要がたくさんあるでしょ。」
当たり前にもさりげなく出されたので、思わず聞き逃してしまうところだった。藤沢
の名前を。
「先生、知って・・・?」
「そりゃあね。やっと気付いた訳だ。」
「やっと?」
「ええ、そうよ。自分じゃわからないだろうけど、見る人が見ればわかると思うわよ。
あなたが藤沢君を好きなことは。」
怜奈は赤面する思いに捕らわれた。ばればれだったなんて、恥ずかしい。
「そんな顔しないの。別に知られたっていいじゃない。本当のことなんだから。
ねっ。」
「そういわれても・・・。」
怜奈としては自分の気持ちに気付く前に、それを知っていた人間がいたということ
に、羞恥を感じざるを得ない。まして、自分が今まで藤沢にとってきた態度を思うと
、それこそ穴を掘ってでも入りたい気分になってくる。
「じゃあ、はたから見れば、私は茶番劇を演じていた大馬鹿者ってわけですか。」
「そんなに自分をおとしめることないでしょう。人を好きになるって、悪いことじゃない
んだから。それに、皆が皆、あなたの気持ちに気付いてるとは言ってないわよ。私。」
「はぁ・・・。」
「眠ったら今の情けない顔も少しはましになるかも知れないわね。今度こそ本当に
おやすみなさい。」
からかうように笑みを浮かべて三井は立ち上がると、カーテンの向こうに消えた。
気が抜けたせいか、急激に襲ってきた眠気に逆らい切れずに、怜奈は頭まで布団
をかぶって目を閉じた。 6/9Up
続きはまた次回で!
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