これを書くに当たっては、相当な自問自答の時間を要した。
でも今の私にしか書き残せないことだという思いが強く、どうしても書かずにはいられなかった。
叔母夫婦の、愛へのレクイエムとして・・・。
今までの人生の中で、私はいつも「女は損だ」と思っていた。
女という性別に生まれたがばっかりに、人生の楽しみを制限されることが多いと嘆いていた。
若い間は蝶よ花よとチヤホヤしてもらえるが、ある年齢に達した時点で「賞味期限切れ」のモノのように扱われる。
結婚適齢期・・・。
最初はまだいい。
「もうそろそろ結婚? お相手はいるの?」などという探りが入るくらいである。
でも次には「友達の○○ちゃんは結婚したんやってねぇ。あなたはどうなってるの?」という言い方で焦りを覚えさせられる。
そして段々ヤバイ領域に入ってくると「女の人はやっぱり結婚するのが一番の幸せよ」などと説得されるようになる。
あとは結婚が決まるまで、世間体だの何だのと、事あるごとにチクチク攻撃されるのだ。
男にとっても女にとっても年齢は同じようにやってくるのに、ある年齢になると、女性は人生の終わり、男性は人生の充実期のように言われるのが悔しかった。
でもこれだけでは終わらない。
結婚したら今度は「出産」イジメが待っている。
新婚時代には「早く2世が誕生するといいわね」である。
2年目を迎えると「そろそろ真剣に子作りを考えても良いんじゃない?」だ。
3年目になる頃には「あなたも歳を考えて」とか「一度病院へ行ってみたら?」になっていく。
幸い私は2年目に妊娠をし無事に子供を産むことが出来たが、もうすでに「やっぱり一人っ子っていうのは可哀想だからねぇ」などという催促の声が聞こえ初めている。
みんな「女性」を何だと思っているのだろう。
結婚をしたら「やっと片付いた」などとお荷物扱いを受け、今度は「子作りマシーン」に変身したみたいに「子供!子供!」と言われるのだ。
好きな人を見つけ、その人と一緒に暮らしたいと願う気持ちは、適齢期が来たからといって生まれる気持ちでは無いだろう。
何歳になったから結婚をするというのではなくて、結婚したいという相手に巡り合ったから結婚するのではいけないのだろうか?
好きになった人の子供を産みたいという気持ちは自然に芽生えるものだし、誰かのために子供を産むのではないのに、どうして他人から「子供子供」と家族計画を立てられなければならないのだろう?
それにもし子供を産むことが出来なかったとしても、それを責められる筋合いがどこにあるのだろう。
そして、それを不幸だと決め付ける基準は何なのだろう。
・・・うちの叔母は20代後半で結婚した。
昔は結婚適齢期が今よりずっと早かったから、叔母は遅い結婚だったと言える。
そして、叔母夫婦には子供が出来なかった。
私が幼い頃、祖母(叔母の母)が必死で叔母夫婦に病院通いをさせていたのを朧気ながら覚えている。
「おばちゃんはどうして病院へ行ったあとに泣いているの? どこか痛いの?」
何も知らない私は、不妊治療中の叔母の態度を見て母に聞いたことがある。
そのとき母が私にどう言い聞かせたのかは忘れてしまったが、それ以来、その話題に触れてはいけないのだと子供心に納得した事を覚えている。
子供を産むことが出来ない。
それは確かに一つの不幸かもしれない。
でもそれは人生の中の数ある試練のひとつであって、その人の人生の全てが不幸だということでは決して無いはずなのだ。
叔父と叔母はいつも仲が良かった。
同世代の夫婦なら「お父さん・お母さん」とか「ちょっと・ねぇ」などと互いに呼び掛けるところを、連れ添って何十年も経ってなお、お互いを名前で呼び合うことの出来る関係だった。
育児に追われ、いつしか自分の容姿に気を使わなくなっていった同年代の女性と比べて、いつも小綺麗でお洒落な叔母。
その叔母の仕事が終わる時間に迎えに行ってデートに誘う叔父。
一緒に食事に行き、一緒に買い物に出かけ、一日中ふたりの事を話し合える。
ふたりは子供がいない分、いつまでも二人だけの時間を共有することが可能だった。
私に言わせれば、叔母夫婦は、その辺の夫婦なんかよりも遥かに深い絆で結ばれている夫婦だったのだ。
そして・・・。
叔父は50歳半ばで先々月に急逝した。
出棺の時の叔母の顔は、最愛の恋人を見送るような愛情あふれた顔だった。
あんなに優しい顔で見送ることが出来るのに、それを不幸だなんてどうして勝手に決め付けるのだろう。
叔母は幸せだったのだ。
絶対にその辺のヘタな夫婦なんかより、ずっとずっと幸せだったのだ。
子供がいなくたって、それはたくさんある幸せの条件がひとつ足りなかったというだけであって、不幸という事では無い筈なのだ。
49日法要を終え、叔母は今、仕事復帰をして毎日張り切って働いている。
家に帰り、仏壇に手を合わせ、やっぱり夫婦の会話を楽しんでいると思う。
これまでの幸せだった夫婦の時間の思い出に浸りながら・・・。
幸せっていうものには基準が無い。
自分が幸せだと感じることが出来るなら、人から見てどうであれ、それは「幸せ」なのだ。
叔母は叔父に「ありがとうね」と言って最期の別れをしていた。
あの優しい微笑みは、今までの夫婦での時間が「幸せ」だったことの証しだと私は思う。
私はパパと付き合って7年、結婚して3年。
それでもまだ叔母夫婦の時間にはかなわない。
いつか長い年月を経て、どちらかが天に召される日が来たその時に、私達夫婦はあの笑顔で別れることが出来るだろうか?
互いを助け合って、心を癒し続けることが出来て、最期に「ありがとう」と言える夫婦。
私達もそんな夫婦でいられるように努力したいと思っている。
結婚を決めた当時の愛情と思いやりを忘れずに・・・。
子供を産んだ私が偉そうな事を言ったって、所詮、子供がいる上での意見じゃないかと反感を買うかもしれません。
でも子供を産んだ今だからこそ、私は夫婦の時間の大切さを感じ、叔母夫婦の愛情の大きさを理解できたので、これを書き残そうと思いました。
せっかく素晴らしい相手と結婚できたのです。
ふたりで「幸せ」を共有していきたいですよね・・・。