日常のつぶやき

それぞれの言い分

「ご飯を残すな! お百姓さんが八十八もの手間かけて一生懸命作らはったんやから、ありがたく最後の一粒まで感謝して食べろ!」

うちの父親は食事のしつけに厳しかった。

自分が戦争などでひもじい思いをしたせいか、「食べ残し」という行為には特にうるさかった。

そのおかげ、といっては何だが、私はご飯をきれいに食べないと気がすまない体質になった。

でもだからと言って「食べ残し」をする人を「悪い人」と決め付けてかかってはいけない。

私にそう教えてくれたのは、高校の時の友人だった。

あれはお弁当の時間の何気ない会話中、その娘が残した「ご飯」を見た私の中の「正義の虫」が、ついそれを注意してしまった時だった。

その頃の私は、自分が正しいと思う事は全ての人間に当てはまると思っていたので「食べ残し」を責められた友達は当然反省するものと思っていた。

ところが彼女の答えは実に意外なものだった。

「それは一般家庭で育った人の言い分やろ! 百姓はお米をそんなに大事にしてへんねんで。どっちか言うたら古米とかの蓄えもやめて欲しいくらいやのに! 

次々買ってもらわな、商売あがったりやわ!!」

・・・目からウロコだった。

兼業農家を営んでいる家に育った彼女の意見は、まさに百姓当事者の意見。

反論できるはずはなかった。

彼女が言うには、日本には「備蓄米制度」というのがあって、毎年ある程度の米が国によって蓄えられていて、それでも余る米は容赦なく捨てられているという事だった。

だからといって彼女は米を粗末にして良いと言いたかったたのではなく、蓄えるヒマがあったらちょっとでも多く消費して早く次の米を買って欲しいというのが本音だったのだと思う。

それにあれはまだ「平成米騒動」の前だったから、今の彼女が同じ事を言うかどうかは知らないが、とりあえず立場が違えば言い分も違うのだという事を学んだ出来事だった。

でも彼女の「言い分」を聞いて納得した今でさえ、私はご飯を残せない。

だからこれから何年かして息子のしつけをする時に、彼が「食べ残し」をしたら私はそれを叱るだろう。

そして「どうしていけないの?」と質問されたら、やっぱり一度は「お百姓さんが・・・」と言うのだと思う。

それが私の勝手な言い分であるかどうかは、その言い分を聞いて育った彼が大きくなってから判断すればいい事だろう。

とりあえず「親」というのはそうやっていろんな理屈をつけてしつけをするのだという事も含めて・・・。

世の中には何億という人がいて、その数だけそれぞれの言い分がある。

自分が「常識」だと思っている事も、他の誰かにとっては「非常識」かもしれない。

その人の言い分を聞いてからでないと良いか悪いかの判断は出来ないし、その人が培ってきた「常識」を全部納得するなんて無理だろう。

だから私は、自分の「常識」に反する行動をした人には一応「何故?」と確かめる事にしている。

そしてその人の言い分を聞いて、それが納得できる意見ならば、それはそれで認めないといけないと思うようにしている。

ただそれを納得できたとしても、やっぱり自分の「常識」と違う「常識」の中で生きている人と友達になるのは難しいのだけれど・・・。

2000/03/21