日常のつぶやき

五体不完全

去年「五体不満足」という本がベストセラーになりました。

その著者がテレビの取材に答えている姿は、今までの「障害者」という概念を覆すほど明るく感動を与えるものでした。

妊娠中に「もしかしておなかの子が五体満足でなかったら」という不安(マタニティブルーかな?)にかられていた私は、彼の言動に幾度となく励まされたものでした。

五体満足。

あなたは、自分が五体満足に生まれてきた事に「ありがたい」という意識を持った事がありますか?

そんな事、普通に生活しているときには感じない事ですよね。

私もある人に出会うまで、そんな意識はこれっぽっちもなく、むしろ自分の体に不満ばっかりでした。

私は小さいときから高校を卒業する頃まで、自分の体に非常に強いコンプレックスを持っていました。

どこからどう見ても完璧に「五体満足」だった私の体、実はいろんなところに障害があったのです。

生後すぐに発覚した「股関節脱臼」、2歳の時に訪れた「失明の危機」、思春期に始まった(今も時々襲われる)「不整脈」・・・。

たぶん誰にでも一度や二度は大きなケガや病気をした経験はあるのでしょうが、私のそれはどれも相当両親を泣かせるものだったらしいです。

両足の付け根の骨が未成熟で、生まれて3ヶ月から半年間ギプスをはめて育った私の足は、ひと目見ただけでは全くわからないけれど実は長さが違います。

ビッコをひく程ではないのですが、一番成長しなければならない赤ちゃんの時間に足を動かせなかった為に未だにとても未発達な股関節で、出産の時も病院側に分娩台以外での出産をお願いしたくらいです。

また2歳になって兄からうつったハシカが目の中に入り、医者から「たぶん失明するでしょう」と言い渡された目は、失明こそ免れたけれど視力も悪いし、すぐに充血する程弱くなりました。

不整脈は、症状が出たときに医者に見てもらわないと診断が難しいので、何度も「仮病」扱いされ悔しい思いをしました。

高校生になって「ホルター心電図」で24時間の脈を記録して初めて「不整脈」の診断がなされたのですが、完全に治す方法はなく、今でもたまに極端に脈が遅くなることや一拍飛ぶことがあります。

あと思春期以降「過換気症候群」といって、必要以上に空気を吸い込んで苦しくなる病気も併発して、発作が出ると呼吸困難っぽくなるので見ている人はビックリするようです。

でも私の見た目は健康体。

というか「超健康体」に見えるようで、とても持病持ちとは思われません。

だから人前で「疲れた」といっても真実味がなく、サボる為の口実と勘違いされるのがオチなのです。

これが私のコンプレックスになって、「どうせなら見た目も病弱なら良かったのに」とか「もっと人から心配されるような病気なら良かったのに」などと思う事さえありました。

あなたも一度はありませんか?

「救急車に乗ってみたい」とか「大きなケガ(病気)をして入院してみたい」とかいう願望。

そしたらみんなが心配してくれたり優しくしてくれたりするんじゃないかって思った事・・・。

私はこの願望が非常に強かったのだと思います。

でも本当に体が弱い人や障害のある人から見れば、こういう願望を持つこと自体すごく腹立たしいことですよね。

健康な体を持ちながら、あえて病気になりたいと願うなんて。

私の心を治療してくれた人も、最初は私のように小さな心の持ち主でした。

彼女は21歳のときに股関節脱臼になったそうです。

それもダンサーを目指して渡米している先で、ダンスレッスン中に、です。

もう踊れなくなるかもしれないと言われ、病院で横たわっているとき、彼女はどんなに絶望感を味わったことでしょう。

でも、その絶望の中で彼女は幼い男の子(彼も入院中)からこう言われたそうです。

「どうして泣いているの? あなたには歩く事の出来る足があるじゃない? そんなに素晴らしい事はないのに。」と。

その男の子は車椅子に乗っていたそうです。

まだ小学生にもなっていないようなその子は、すでに「歩く」事に希望のない男の子だったのです。

彼女はその時「私はなんて小さな人間なのだろう」と自分を恥じたそうです。

自分には足がある。

その上リハビリをすれば歩けるようになり、努力次第ではまた踊れるようになるのに・・・と。

彼女はそれから人の何倍も何倍も頑張ってリハビリし、大学では心理学を学びました。

何年かたって、アメリカでダンサーとして復帰を果たし、また大学での勉強を終了した彼女は、帰国後京都にジャズ&モダンダンスの教室を開きました。

私は本当にひょんな事から彼女に出会い、彼女と一緒に踊る事で、心を解放して自由に生きる事ができるようになりました。

今までの自分の卑屈さを恥じ、自分の「強さ」を信じる気持ちが生まれました。

たぶんこれだけ聞いても「ダンスなんてチャラチャラと踊っているだけで、そんなもので心が癒されるわけが無い」と思われる方のほうが多いと思います。

でも自分を表現することって気持ちいいと思いませんか?

絵を書く事、カラオケで歌う事、演奏する事、走る事・・・、人によって表現方法は違うと思いますが、自分の存在をアピールしている時ってすごく心が解放されているって思いませんか?

私にとって「踊る」事は卑屈な部分も含めて「自分」をさらけだす手段であり、それによって「生」への満足感を得る事のできる方法だったのです。

私の体は「五体満足」であるけれど、そのどれもが完全なものではありません。

でもたぶんどこを探しても「完全」な人なんていないし、不完全だからこそ、少しでも完全にしようと努力できるのだと今は思っています。

そして自分が親となった今、両親に対して「五体満足」に産んでくれた事への感謝を痛感し、自分の子供が何の障害もなく「五体満足」で生まれてきたことも、本当にありがたいと思っています。

もしかしたら40歳・50歳になったら私の足は悪くなるかも知れません。(医者からそう言われた事があるので。)

でも一生懸命努力しようと思っています。

パパや息子と一緒に歩き続けるために・・・。

あっ最後に「五体不完全」という題ですが、「五体不満足」のパクリですいません!

たぶん一生読まれる事はないので心配は要らないと思いますが、乙武さん!! 許してちょっ!!!

2000/04/01