日常のつぶやき

無責任な愛

子供が机の角で頭をぶつけて泣き出したときに、机の角を叩いて『この机が○○ちゃんの頭を痛くしたのね! 怒ってあげましょう!!』などと言って机をバンバン叩く光景を目にする事がある。

パッと見にはとても愛情深い光景に見える。

でもこれって本当に正しい愛情表現なのだろうか?

確かに子供の目線になってみれば家の中には危険がいっぱいで、それをキチンと排除しておかなかった責任は親(大人)にある。

だから一概に『頭を打ったのはアナタ(子供)の責任でしょ!』とは言えないだろう。

でもだからといって、自分の意志で動いたりしない机に責任を押し付けるのはどうだろう。

机にしてみれば、ただいつもと同じ場所に佇んでいたら子供が勝手に頭をぶつけたに過ぎないのに、まるで故意に子供の頭に自分の角を当てにいったような言いがかりをつけられたも同然である。

机がしゃべれたら、きっとこう叫ぶに違いない。

『ちょっと! それ濡れ衣ちゃいますかぁ!!』

・・・冗談はさておき。

こういう教え方を小さい時から何度も何度も経験していると、子供はいつか責任転嫁のプロになってしまうのではないだろうか?

『ボク(私)が悪いんじゃないよ! ○○が悪いんだよ。』・・と。

私の父母(息子の祖父・祖母)も初めは孫可愛さに、こういう愛情表現をすることがあった。

私が怒って『そういう無責任な愛情表現はやめてくれ』と頼むと、『そんなに目くじら立てて怒らなくても、息子はまだ小さいのだからわからないよ』と言われた。

でも何もわからない子が、昨日出来なかったことを今日は出来るようになり、明日には更に立派に出来るようになるものだろうか?

『3つ子の魂、百まで』という諺があるように、3歳までにはその子の性格は確立されると言われている。

むろん子供にはそれぞれ持って生まれたその子独自の性格が備わっているが、子供の性格というのは、その子がもって生まれたものだけでは形成されない。

周りの人間の行動が多大な影響を及ぼして成長していくものだと私は思う。

まだ小さいからどんな行動を見せても大丈夫だという理屈には無理があるのではないだろうか?

子供の成長のスピードには、日々驚かされるものがある。

『小さいから』とか『どうせ理解できないだろうから』と思ってやっている事でも、子供はどんどん吸収して自分のものにしてしまっている。

つまり、小さいうちだからこそ、大人は良い手本となって行動しなくてはならないのではないだろうか?

 

私は子供を愛している。

その気持ちは他の誰にも絶対に負けない自信がある。

息子が机で頭を打ったら、その机を憎たらしく思う気持ちが全く無いなんて言ったらウソになるだろう。

でも、私は子供を愛しているからこそ、こう言って聞かせている。

『大丈夫? 気を付けないといけないよ。ちゃんと前を見てね。』

それが素晴らしいシツケであると言っているのではない。

ただ私は、今の事故が決して誰かのせいで起こったことでは無く、自分の過失だと認識させるのが親の務めなんじゃないかなと思っているのだ。

将来に渡ってその子を見ていくのは親である。

だから親には子供に対しての『責任』がある。

可愛いからという理由だけで甘やかすのは、その子の将来を考えた責任ある行動だとは言い難いのではないだろうか?

 

初めての育児、初めてのシツケ。

何が正しくて何が間違っているのかわからないほどに飛び交う情報の嵐。

でもそれに流されて自分の信念を見失わないようにしよう。

胸を張ってこの子を社会に送り出せる日を夢見て・・・。

2000/10/23