日常のつぶやき

“いのち”にふれた夏

保育園に通う息子は毎日いろんな事を“学んで”くる。

友達や先生との縦・横のつながりはもちろんのこと、裸足になる気持ち良さや泥だらけで遊ぶ楽しさなどなど・・。本当に良い経験をしているんだなぁと感じ取ることが出来る。

最初の頃は、我が子をほったらかしにしているんじゃないかという罪悪感に苛まれた事もあったけれど、今では本当に保育園に入れて良かったと思える日々を送れるようになった。

今回は、そんな息子が、わずかひと夏で学んだ“いのち”について。

母親の観点から書いてみました・・。

園からの帰り道、今日の園での様子を聞くのが私の日課。それが一番楽しい時間でもあるのだけれど、時にビックリするような話が飛び出すことがある。

その日も、息子の口からとんでもない言葉が発せられた。

「あんなぁ。今日、虫さんから黒いのんがグニャっと出たんや。あれは気持ち悪かって嫌やったんや・・。」

それって!?・・。

そう、それは紛れもなく“禁じられた遊び”。

息子は虫を捕まえて遊んでいるうちに、その内臓を出してしまった=殺してしまった、ということを笑顔で私に語っているのだ。

もちろん彼に罪悪感などない。

それがどういう事なのか、その後その虫がどうなるのか、そんなこと知るはずもない息子に、私は少し焦りながら語りかけた。

「虫さんは痛かったんと違うかなぁ?」

「でもボク、遊んであげてただけやもん。動かへんようになって、黒いのんが出て・・。あれは嫌やった。」

「虫さん、死んじゃったんやなぁ。もうおうちに帰れへんようにならはったんと違う? 虫さんのパパとママにもう会えへんし可哀想やなぁ、ってママは思うんやけど、どう思う?」

「・・。じゃぁボク、明日からもうしぃひん♪」

『なんて残酷なことをするんだろう。』・・そんな思いは大人の考えだ。

私にだって、蚊取り線香の上に蚊の死骸を乗せてジリジリと焼けるのを笑顔で見ていた幼い日があったし、パパも“カエルのお尻にストロー突っ込んでふくらませた”過去を持っている。

誰だって、そういう“禁じられた遊び”的な経験はあると思うし、実際、今だって“蚊”とか“ゴキブリ”を殺すという行為に罪悪感など感じる人は少ないと思う。

それから見れば、我が子がしたことだって“普通”の成長過程であり、別に特別残酷な行為だとは言えないだろう。

だけど・・。やっぱりそれがイケナイことだと教えるのは私達・親の務めだと思う。

私は息子の無邪気な笑顔を見ながら、“命”を教えるということの難しさを感じ初めていた。

それから数日が経った。

今年の夏は10年ぶりの冷夏で、結局最後まで「今日も雨だね」の言葉が似合う夏になってしまったが、太陽が大好きな我が家は、少しの晴れ間でも出来るだけ外で過ごそうと何度も公園へ足を運んだ。

気温も水温もあまり上がらなかったので、小川でバシャバシャと遊んだら、あとは虫捕り・・というパターン。

去年はセミの抜け殻を「セミさんのお洋服♪」と言って必死で集めていた息子も、保育園でお兄ちゃん達の勇姿を見て憧れたのか、今年は抜け殻ではなく “セミ” を捕りたいと頑張った。

前半はセミの声もほとんど聞けなかったので「今年はセミが少ないのかなぁ?」と心配していたが、8月に入ると一斉にうるさいくらいに鳴き出し、私達の狩猟魂に火がついた。

私はもともと“虫”が嫌いだったのだが、男の子の母になってからというもの、昔がウソのように“虫”が平気になった。(だからといって“好き”になった訳ではないが・・)

最近の“おとうさん”の中には、カブト虫がどこにいるのか知らない人や、虫や魚を素手で触れない人も増えたらしい。

うちのぽわんパパは、そういうおとうさん達と同じ世代だが、虫の生態はもちろんのこと、こういう“遊び”に関しては本当に何でも知っている(出来る)人なので、うちの息子は幸せ者だなぁと思う。

(もちろん虫が触れたからといって、すべてにおいて立派な父親であるということにはならないけれど、本から学ぶのとは違って、父親から教えてもらって実際に体験し、一緒に学ぶことの持つ意味は大きいと思うので、その点では本当に良い父親を持って“幸せ者だ”と言えると思う。)

「セミはどこにいるの?」

「この木にはいないよ。ほら、あの木! 木の下にもいっぱいセミさんが出て行ったおうちの穴があいてるやろ? セミさんは木の中に卵を産むねん。そこから生まれたら木を降りて土の中に入って何年もかけて大きならはるねん。そして大人になったら土から出て皮を脱いで、カズマが知ってるセミさんにならはるねん。」

「へぇ〜。うゎっ! このセミはうるさい!!」

「それはオス。メスは鳴かへんねん。」

「じゃぁあのセミはメス?」(飛んでいるセミを見て)

「あれはわからへん。セミのおなかを見たらわかるんやけどな。」

「そっかぁ!」

どこまで理解できているのか。

どれだけ頭に残るのかわからない。

だけど、こうやって教えてもらいながら過ごす“父親との時間”。

母親=女の私にはちょっとうらやましい時間だった。

ある日、いつもはキャッチ&リリース(帰りには捕まえたセミを全部逃がす)するセミを、その日息子はどうしても家に持って帰りたいと言って聞かなかった。

一生懸命に頑張って捕れたセミ。いつまでもその“成果”を見ていたいという息子の気持ちも良くわかったので、今回だけ、一度家に持って帰り、近所の公園で逃がすことを約束して帰路についた。

公園から我が家までは自転車で約15分。

その途中で息子が

「パパ、セミさんの羽が無いよ!」と言い始めた。

小さな虫かごに詰め込まれたセミ達は、そこから逃れようとかごの中で暴れ、互いを傷つけあってしまっていた。

かごの中の数匹の、見るも無惨な羽の状態を見てパパが軽く答える。

「あぁ〜あ。こりゃもうアカンなぁ。そやから早く逃がしてあげって言うたんやんか」

「もうアカンの? セミさん飛べへんの?」

「飛べへん、っていうか、もう死ぬやろなぁ」

最初パパは、自分の後ろに乗っている息子の表情に気づかず、それをいつもの“ゴネ”だと思ったらしい。

昼寝しなかったから、眠くなって訳のわからないことを言っているのだと・・。

でも、もう1台の自転車で後ろを走っていた私には、息子の“それ”がいつもとは全く違うものだとすぐにわかった。

やばいっ!! でも、口をはさむヒマは無かった。

「・・・。そんなん嫌や!! 死んだらアカン。また飛ぶもん!絶対飛ぶもん!!! うわぁ〜ん!!!!!」

それは初めて、自分がしてしまったことを朧気ながら悟ってしまった・・とでもいうような悲壮な顔だった。

保育園で“禁じられた遊び”の報告をしていた時とは全く違う顔・・。

4歳という幼い心で、それを感じてしまったということがどれほどのことか・・。

私なんて、この年になっても未だに“死”というものが怖くて怖くて仕方ないことがある。

夜中に、自分が死んだらどうなるのか考えてしまって眠れなくなってしまうことだってある。

情けない話だが、そんな弱虫の私には、母親としてどうしてやるべきかわからなかった。

家に帰ってから、何をどう話したのか・・。

とにかく私は一生懸命に息子に向き合った。

命の大切さ。

失われた命は、もう2度と元に戻らないということ。

そのことを絶対に忘れてはいけないということ。

そして、これからはその大切な尊い命を、決して粗末にしてはいけない、もて遊んではいけない、というような事を、4歳の心が理解できるように、出来るだけ優しく話したつもりだった。

“セミさんをおひさまの下に帰してあげよう”

たとえ死んでしまうとしても、こんな小さなかごの中ではなく、木や土や風や太陽の中に帰してあげよう。

自然の中に帰れば、このセミ達の“命”は他の生き物たちの糧になる。

自然にある物は、命を他へつなぐことが出来るから・・。

息子を連れて、私達は3人で近所の公園へ。

『また子供達に捕られないように・・。』

そんなことを願いながら、木の出来るだけ高い所に、弱り切ったセミを1匹、また1匹と帰してやった。

・・・ありがとう。ごめんね。・・・

そんな言葉がセミに通じたなんて身勝手な事を言うつもりはないけれど、ゲームの世界で、“ライフがあと1つ残っている”とか、“リセットして最初からやり直せばいい”とかいう考えを持つ前に、本当の命にやり直しや貯金は無いんだと知ることが出来たことに関しては良い経験になったはず。

現に、その事件以来、息子の口から“禁じられた遊び”の報告は聞かなくなった。

それどころか、“○○ちゃんが虫をぐちゃぐちゃにしてはったから、アカンって怒ったんや!”なんて生意気な話までするようになっていた。

9月、あれほどうるさかったセミの鳴き声もぴたりと止まり、澄んだ空にはトンボが飛び始める。

今日も息子は虫捕りアミとかごを持ち、夢中でトンボを追いかけている。

その姿は、一見以前と変わらない。

ただ・・。

彼は自発的に捕まえた虫を逃がすようになった。

この子は4歳という年齢が受け止められる全ての力を精一杯使って“いのち”にふれ、学んだんだ。

たぶんこれから先も、幼さゆえの過ちは幾度と無く繰り返され、そのたびに傷ついたり悩んだり泣いたりするんだろう。

そして、それを息子が自分なりに解決していこうとするとき、私達・親に出来ることは結局見守ってあげることだけなのかも知れない。

でも、この子ならきっと大丈夫!

そう思えた、4歳の夏の出来事だった。

小さな虫かごから解き放たれたトンボを見送る秋の空に、今日も息子のさわやかな声が響いている。

『遊んでくれてありがとう! ばいば〜い!!』

2003/10/05