日常のつぶやき

見送る笑顔

・・・『行ってらっしゃい 気をつけて』・・・

家族の誰かが玄関を出る時、母はいつもそう言って玄関先まで見送りに出る。

どんなに忙しくても、たとえ喧嘩した次の朝だとしても・・。

思春期の頃には、それが“うっとうしい”と感じる日もあった。

だけどその時、本当に“うっとうしかった”のは、素直に母のあったかさを受け入れる事の出来ない自分だったのだと、今は思える。

家を出て数十メートル。最初の角を曲がるときに後ろを振り返ると、そこには、ただじっと見送る母の何気ない笑顔があった。

よぉ〜し、今日も頑張ろう!

母の笑顔は、そんな気持ちにさせてくれる、我が家のみんなの活力剤だった。

だから結婚してからは、自分がそうやって見送ることは当然だと思っていた。

どんなに忙しくても、たとえそれが朝の連続ドラマの途中だったとしても(笑)・・。

さすがに妊娠中には階段の上り下り(我が家は3階建て)が大変でサボったこともしばしばあったけれど、それ以外、結婚7年目の現在までのほとんど毎日、私はパパを玄関先まで見送りに出ている。

パパは最初、それが不思議だったのだという。

新婚ラブラブ時代(そんな時代あったっけ?・爆)ならまだしも、何でこの人はいつまで経っても毎朝の見送りをかかさないのだろう、と。

鍵っ子だったパパは、自分が家を出るとき、帰るとき、家に家族が誰もいないことが多かった。

“行ってらっしゃい”も“おかえり”も聞けない生活に慣れていた。

だから小恥ずかしい気持ちや、うざったい気持ちがあったのは当然だと思う。

だけど“慣れ”というのは怖いもので、パパも今では私達が見送りに来ないと何か忘れ物をしたように感じるようになったみたいだ(笑)。

毎朝決まった時間に、我が家の玄関先でバイクのエンジンの音と私達二人の見送りの声が響く。

『行ってらっしゃぁ〜い。早く帰って来てね〜! また一緒にあそぼな〜』

世の中にはいろいろな家族の形態がある。

妻の方が先に家を出る家庭。家族のそれぞれの出発時間がまちまちな家庭。

だから玄関先まで見送りに出ることは、別に誰かに褒めてもらえるような行為ではないかもしれない。

私の母はたまたま専業主婦でいつでも家にいたから、それが出来ただけ・・なのかもしれない。

でも、私はその母を『理想のお母さん』として見ていたし、自分も絶対『お母さんみたいになる!』と思っていた。

テレビの時代劇の『銭形平次』で、平次が家を出る時に、必ず『お静さん(奥さん)』が火打ち石でカチカチってやってたシーン。

知ってると年がばれるかなぁ?(笑)

あのシーン、私は水戸黄門の紋所シーンと同じくらい好き。

『おまえさん、お気をつけて』

なぁ〜んて♪ 

送り出した家族は、毎日きちんと家に帰ってくる。

それは当たり前のこと。

だからそれに対して、“ありがたい”とか“あぁ良かった”とか思うことって少ない・・っていうか皆無に近いよね。

でも、その当たり前のことこそが、実は人生で一番『幸せ』なことなんじゃないかな?と、私は思う。

今日もみんな元気!みんなニコニコ笑顔!! それってすごくハッピーなことなんじゃないかな?って♪

もちろん、『お金持ちになりたい!!』ってのも切実な願いだけどね(笑)。

たぶん近い将来、この毎朝の恒例行事から息子の姿は消えるだろう。

送る側から送られる側に変わり、そのうち『もう!いちいち玄関まで付いてくるな!』なんて、私のことを怒ったりするようにもなるかもしれない。(苦笑)

寂しいけれど、それは自然な“成長”の形なんだものね。

だから・・。

いつかそれが懐かしい私の姿として息子の思い出に残ることを信じて、今は毎日を大切に、手をつないで一緒に『行ってらっしゃい』を言おう。

『今日も楽しい1日でありますように♪』

そんなささやかな願いを、見送る笑顔に込めながら・・・。

2003/11/06