日常のつぶやき

私の宝物

新年を迎え、私の勤務先では毎年恒例の“文化祭”が開催された。

チャリティバザーや某番組でおなじみのストラックアウト、福引きなどが行われるこの文化祭で、一番の目玉は“作品展示”。

腕に自信のある人は、絵画や生け花、写真や手作りの品を。

腕に自信の無い人でも、自分の家族自慢のスナップ写真や、コレクションしている珍しい品々を出品する。

『○○課の○○さんって、こんな特技があったんだ!』と驚いたり、美しい作品にうっとりしたり・・と、並べられた作品を見て回っていたとき・・。

“私の宝物”という題名のついた作品が目に飛び込んできた。

それは小さな子供服。

出品しているのは、私達の部の女性職員さんで、年齢はたぶん50歳くらいの方だった。

出展者のコメントには、『息子が幼かった時の洋服です。あまりの可愛らしさに処分できずに置いていました。』と書かれていた。

彼女の息子さんということは、たぶんもう二十歳を有に超えた大人の男性。

でも、その洋服を見る時の彼女の心には、幼かった頃の彼の思い出がい〜っぱい蘇るんだろうなぁって思ったら、何だかすごく温かい気持ちになった。

私もそうだけど、たぶん世の中の母親のほぼ100%が、捨てられない子供の洋服や品物を持っているんじゃないかな?

初めて立った日、初めて歩いた日・・。あぁこれを着ている時にあの場所へ行ったんだなぁ。なんて・・。

それを見る度に、遠いその日々が鮮やかに蘇って、プチ幸せを味わえる。

“私の宝物”・・そんなタイトルに、私は彼女の母親としての愛に共感し小さな感動を覚えた。

部屋に戻ると、ちょうど彼女がうちの課に来られていたので、『Kさん、お洋服見せてもらいました。すっごく可愛かったです♪』と言った。

『ありがとう。可愛いやろ? 高かったんやでぇ(笑) でもアンタの子供にはもう小さいやろ?』

『確かアレ、130pくらいですよね。だったらまだ今からです。ウチの子は110pやし(微笑)』

『そっかぁ・・・じゃぁアレ、もらってくれへん?』

突然のことにビックリして、私は即座に断った。

『そんな!頂けませんよぉ。だってアレ、Kさんの宝物じゃないですか! そんなつもりで言ったんじゃぁ・・』

『いや、もらってくれたら嬉しいんや。いつかは処分しなアカンと思ってたんやし。捨てるくらいやったら着てもらった方が嬉しいわ。』

『でも・・。』

絶対にもらえないと思った。

いや、もらってはいけないと本気で思った。

洋服を見て、可愛いと思ったのは事実。でもそれは『欲しい』という感覚では無かったから。

例えば、私が自分の友人の子供に、着られなくなった息子の服をあげるのとは意味が違う。

いくら私が大事にしていた服だとしても、そこにはたった4年の思い入れしかないもの。

彼女が“宝物”としてその洋服を持っていた時間は、赤ちゃんが成人するくらいの長い時間。

そんな深い思いを、私ごときがもらうなんて決して許されることではないと真剣に思い断った。

でも・・。


結局私はその洋服をもらうことになった。

どんなに大事に保管していても、洋服は着てもらえなければただのタンスの肥やしになる。

どんなにそれが愛おしくても、毎日それを見て感傷に浸る・・なんてことはあり得ないもの。

だったら、もう一度、お日様の光の下に出してやりたい。

“この人”と決めた人にプレゼントして、新しい思い出作りの役に立たせてやりたい。

私が彼女の立場だったとしたら、きっとそう思うんじゃないかな?って思ったから。


文化祭が終わり、宝物の洋服は私の手元にやってきた。

家に帰って息子に着せてみると、ちょっと大きいけれどピッタリ。そして何よりとても似合っていた(←親ばかです、ハイ)。

洋服をもらった経緯を話すと、『ホンマにもらってきて良かったんか?』と言っていたパパも、『これを着ている写真を撮ってプレゼントしたら良いんちゃう?』と言ってくれた。

数日後、出来上がった写真に息子直筆の手紙(“ありがとう・カズマ” しか書いてないけど・笑)を添えて、私は彼女の所へ改めてお礼に行った。

『いやぁ〜♪ ちょうどえぇやんか。まだちょっと大きいし、これから長いこと着てもらえるなぁ。もらってくれて良かった良かった♪』

そう言いながら写真を見る彼女の目には、たぶんご自分の息子さんの幼かった頃の姿がダブっていたと思う。

あまり言うと大げさに思われちゃうかな?って思ったら『大切に着させてもらいます。』しか言えなかったけど、『これから新しい思い出をいっぱい刻み込むつもりです。ありがとうKさん!』・・心の中はそんな思いでいっぱいでした。


『この服には、いろんな思い出がいっぱい詰まってるんやで。愛情が溢れそうな服なんやで。大事に・・でも思いっきり遊んであげようね。』

息子にそんな事言っても仕方ないんだけど、何だかジーンと来て、私は4歳児に真剣に語ってしまった(笑)。


自分が親という物になるまでは、親のありがたみとか親の気持ちなんて実際には良くわかっていなかった。

だけど、どんなに大きくなった子供でも、母親にとっては“いつまでも子供”なんだ、と今は思える。

私が妊娠した時に、私の母がタンスの奥から“腹帯”を取り出したのを見て、『そんなんまだ持ってたん?』と驚いたことがある。

アレも“捨てられない宝物”だったのかなぁ?と思ったら、ちょっと実家へ帰りたい衝動にかられた(←子供みたいだね・苦笑)。

“物”には、物自体の価値だけでなく、それにまつわるいろいろな思いがプラスされている。

息子はまだ小さいから、この先思い出はどんどん増え続けるだろう。

それを全て“宝物”として残すことは出来ないけれど、それを処分する時に『ありがとう』と素直に思える心を育ててやりたい・・と私は望んでいる。

物が溢れる現代・・。物を大事にするということを教えていくのは難しい。

でも、頑張って教えていこう!

“私の宝物”に出会って、改めてそう思うママだった・・。

2004/01/20