ベンヤミン的フェチズム
We maybe devote to every...Materials, Marchandise, and...

ヴァルター・ベンヤミンは言った、「産業革命以降の我々は、商品の虜である」と。
そうだ、だって世の中にはこんなに物が溢れ返っているのだもの、
私たちはどうしてそれを愛さずにはいられないだろう?
そう、我々はすべてフェチズムの虜なのだ。



Now, JUDGEMENT!!
 CHEAP KING -->☆☆☆ NICE CHEAP -->☆☆ LIKE CHEAP -->☆
 GREAT KING -->★★★ NICE GREAT -->★★ LIKE GREAT -->★
 2001/10  
  そんな君を待ってたんだよ、100円カフェオレボール
★★
☆☆☆

皆さんは100円ショップがお好きだろうか?
勿論!と言われる方、なかなかよろしい。何故?だって全部100円だもの、安いし!
それに色々な種類のものが売ってて、見ているだけでも楽しいしね。
うんうん、そうそう、そうなのですよ。100円ショップ好きはもの凄く多いと思う。
当然のことながら、バリバリ庶民派の私も愛好者の一人。
で、100円ショップ愛好者の方、できれば理由のひとつに、これも付け加えて戴きたい。
・・・だって、ときたま、ほんの時たまなんだけど、隠れた逸品がぽっと出てくるんだもの。

さて、100円ショップの魅力、それは定番商品がありそうでない、流動性にもあるだろう。
無論、定番商品もあるが、それはどちらかというとわざわざ「買いたい!」という購買意欲を刺激するというより、 こういった商品を買いたいんだけれど、どうせなら安く100円で、という品がほとんど。 100円ショップでないところにあったとしても「あ、これ欲しい!」と思うような品、というのは1年で何回出遭うか、 そして出遭ったところで在庫のみなので、すぐさま店頭から消えてしまう、油断のならないものである。
かつて、私は3人分くらいのお茶が並々と注げる、大変シンプルな白の大きなティーポットを見つけたが、 あれも、その後他にどの店舗でも目にしたことがない。いわばその場限りの限定品、のようなものだ。
私はそんな緊張感をいつも持って100円ショップに臨むようにしている。

その日、私はやはり普通の店の閉まった時間に会社を出て、「ああ、どこか店に入って商品を見たいなあ」という 心持ちだった。渋谷には24Hの100円ショップがあり、当然のことながら、そこはそんな日の私の巡回ポイントなのだった。
ふらふらといつものように、食器売り場に向かう。まずは手前のあたりからじっくりと観察。少しずつ進んでいく。 100円ショップというのは、割とバラバラな種類の食器が配置されていて、2個だけいいのが、とか1つしかいいのがないけど、 という品がなにげにあったりするのだ。今日はそれはなし。 裏の大きな食器が配置されている壁の棚に向かう。おお、ボールが随分種類増えてるなあ、どれどれ。 かなりの種類のカフェオレボールがすらっと並んでおり、どうやら全種入荷直後のようだ。これは期待できるかも。
焦らず、じっくりと端のボールから見ていこうと思った・・・ところ。
ああ、あったー、あったよあった、これが!
図らずも目に飛び込んできたボール、それはアイボリーのごくごくシンプルなボールで、深丸型のものよりかは ほんの少しお椀に近い口の開いた形のもの。なにより、アイボリーが、あの100円ショップ特有の奇妙な色ではなく、 本当に普通にお店に並んでいるやさしくてやわらかいアイボリー。肉厚なボディはやわらかい色に良く合って、 落ち着いた印象になっている。それだけならばシンプルすぎるかもしれないのだが、丸く少し太めの凹凸で、 2,3本、同色のラインが形作られていて、ほんの少し印象を引き締めている。

私はカフェオレボールをカフェオレボールとして買ったことはない。
どうせ買うならば、限りなくシンプルで、そして美しいものと決めているからだ。
これが最上のカフェオレボールかどうか、それは私にはまだわからなかった。
が、これが100円?600円だって私はその価値があると思っただろう、こんな品を果たしてそんな安値で 買えてしまっていいのだろうか?
私は夢想した。濃いエスプレッソを、ほつほつと泡の立ったミルクで覆う。それがこれに入っていたとしたら。 アイボリーという色が、これから秋に向かう私に、強く働きかける。やさしく、やわらかく、あたたかい色。 それはざっくりとした焼き菓子によく似合うだろう。

隣にオフホワイトの同じ物があった。が、それは見合わせた。
白のカフェオレボールは、もっと薄く、シャープで、知性のあるものを選ぼう。
これからの季節を過ごすには、やさしくあたたかい、そんなものが確かに要る。

私は待っていたものを買った。100円だからではない。それが欲しいと思ったからだ。
それから、それを週末、使ってみて改めて思った。
これが100円だなんて。

そういう品を私はこよなく愛している。
多分100円ショップ愛好家の皆様も。

 2001/09  
  なんちゃってエスプレッソマシーン
★★

さて、秋です。カフェのステキな季節になってきましたねなんてのは春夏秋冬いつだってカフェがステキだと思っている この管理人をしてはあんまり説得力がないですが、でもまあ、普段はあまりカフェに興味のない方だって、 ちょっと肌寒くなってきたこの季節に、温かいコーヒーの一杯も飲みたいな、と思う季節には違いないわけで。

というわけで、夏のうちに雑貨屋において見つけてきたこのなんちゃってマシンを、ついに始動させる刻がきたのです、 そう、ご家庭でも気軽に!エスプレッソが楽しめちゃう、レンジで簡単、プラスチック製エスプレッソマシンを!!

このなんちゃってエスプレッソマシン、とある雑貨屋にて880円だったので、「はははー、レンジでエスプレッソ! まあ論理的には合ってるけどなあ」と、シャレ半分で買った代物。こういうのを本気で買うのは野暮というもので。 もしちょっとでもエスプレッソマシンの効果があったらめっけもんだなあ、と思って即購入。

外見は胴の括れたプラスチックの水差しのような按配で、エスプレッソマシンを見たときに、「おお・・・なんと強固な 姿であろうか・・・この頑健な姿ならば、必ずやコーヒー豆を圧縮に圧縮しまくって抽出してくれるに違いない!」と 思うような威厳ゼロ。上部の水差し部分が半透明なのが尚更頼りなさとちゃちさを強調。「・・・単なるコーヒーメーカー かもしれん・・・」とも思うが、とりあえずトライ。

上部の水差し部分の目盛りまで水を入れ、下部のいわゆる圧縮部分に注ぐ。これで小さめのC/S2杯分くらい。
下部のタンクに水を注ぎ終わったら、その上に豆を抽出するためのプラスチックのフィルタをはめ込む。
豆は付属の軽量スプーンで2杯から4杯、とのこと。豆がエスプレッソではなくフレンチだったが、一応規定の2杯を入れる。 上部の水差し部分を被せてしっかりと閉め、そのまま電子レンジへ。

抽出時間は5分。どきどきしながら友人とC/Sを用意して待つ。
チーン、と電子レンジのあの音。行ってみると、下部タンクに入れた水が、段々と上部水差し部分に上がってきて、 見た目は完全なコーヒー。果たしてこれがエスプレッソかどうかは大いに謎だが、とりあえずコーヒーの香りはする。

C/Sに出来たコーヒーを注ぎ、膝を正す。
飲む前に香りを嗅いでみたが、豆自体にローストがかかっているので、圧縮が効いた香りかどうかは判断できず。 とりあえず飲む。

・・・・・・ぬ。
一口飲んで止まる。
とりあえず、いつも飲んでいるフレンチの味とはやや違う。わずかに苦味と抽出の濃さが味の中に伺える。 エスプレッソと呼ぶほどにエスプレッソではないものの、確かにエスプレッソの風味が増しているのだ。
今回はフレンチで最低限の量の豆を入れたのだが、これは豆をエスプレッソに替え、もしくは量を増やすことで ある程度までの応用は利くのではないだろうか。

無論、あのマシンには敵わない。それは最初から明らかな事実だが、たった電子レンジひとつで、家の中で 気軽にエスプレッソのような凝縮されたコーヒーが味わえるのだ。カフェのない土地に住む私としては、 これは実に画期的なありがたさといわねばならない。

本格的なマシンには絶対敵わないが、こちらの方が遥かに優れている点を発見した。
それは洗うのが非常に簡単なこと。単純な構造をしていて、パーツが解体しやすく、またすべてがプラスチックなため 非常に洗うのに手間がかからないのだ。まあ、耐久性の方は無論落ちるのだが。

数日後、このマシンを使って、エスプレッソから作るカフェオレを作った。
普通のドリップでは出せない、明らかな苦味を舌先に感じるカフェオレを、なんてことない休日の昼間、 なにげなく作って飲んだりしてしまう、そんな状況に私はうっとりする。
エスプレッソとして優秀な味ではない。だが、家でエスプレッソのようなものが抽出できる、それだけで なんとも贅沢な気がするのは私だけだろうか。たとえそれがあの格好いい、重厚なマシンではなく、なんとも 安っぽい頼りなさげなプラスチックによって作られたものだとしても。

頼りないくせに、安っぽいくせに、それでもある日、私に幸せな思いをさせてくれる君に、私は愛情を持たずには いられません。ありがとう、私のエスプレッソマシン、これからもよろしく。

 2001/07  
  チープで愛しき両手鍋
☆☆
多くの煮物(料理店を除く)は家庭において作られる。
大概の家庭の構成員は複数人から成っており、それにより、煮物を作るに最適とされる両手鍋は 3人以上の複数構成員による家庭において適量とされる容量のサイズのものが殆どである。

という訳で、2度に渡る慌しい引越しの末に、愛用していた煮物用両手鍋を手放すという愚挙を犯した 私は、再び料理生活を始めるにあたり、1人から2人までの、極小さく作り過ぎない容量の両手鍋を 探すことから始めた。
が、これは上記のように大変な苦労を強いられる作業で、かつ私の「かわいくねえ!」「高っ」等々、 様々な要求のフィルターに絞られた挙句、何も残らないという非常に哀しい結果をもたらし、私を悲嘆させた。
煮物好きの私は煮物を諦めることができない。それでも片手鍋にて煮物を作成していたがどうにも 面倒が多く、やはり両手鍋は必須だと痛感しかけていたその時である。

日頃は下北と無印を愛する私だが、その日は何の気紛れか原宿に出ようということになった。 本当は新たなカフェもしくは雑貨屋の開拓が目的なのだったが、その前に以前数度足を運んだ ラフォーレ内の雑貨屋に行きたくなり、足を向けた。
雑貨屋を探すときには2種類ある。何か切実な一つなり二つを探して入るときと、 常時探しているものがあるにはあるが、とりあえず雑貨を見て回ったりしたいというとき。
このときは明らかな後者なので、気楽に店内を「へー」とか「これいいなあ」とかあれこれ楽しんでいたのである。

その先に。

なんか丸いごろんとした、しかもコーティングがまったくなされていない安いアルミのものがあった。 よく見ると側面に黒い取手のようなものが二つ。
・・・鍋だ。アルミの。すっごい安物極まりない。
それは見るからに安そうなアルミの鍋で、定価1700円のところ傷物(あったかなあ)なので半額の850円という まさにチープな価格帯に相応しい色、形、造りであった。
下がごろんと丸く下膨れていて、面白いのは蓋が鍋の上縁から数センチ下がったところにあること。 ちょっとした落し蓋のようになっていて、「蓋取るとき熱いかな・・・」と思いつつも、なんともその安物さ加減が 気に入ってしまった。私はコーティングされていないアルミの白さって大変好きなのだ。 少なくとも、同じ安っぽさでも金物屋にある鍋とは違い、フォルムがシンプルなのに可愛い。
「アルミ、煮物作ってるうちに溶け出さないかなあ」とか妙な心配をしながら、850円なので買う。 失敗したって惜しくもないし、いざとなったら深さがあるので蒸鍋にでもするさ。
そう思って購入。でかいので買い物中あちこちにガスガスぶつけながらも連れ帰る。

連れて帰って数日後、遂に煮物にチャレンジ。
大根と豚肉を煮込む。底辺が広く、かつ深さがあるので、煮物には最適。 一瞬合宿とかで使う大鍋を連想させてしまうが、あれより全然深いので、安心して大根のぶつ切りをガンガン放り込む。 ひと煮立ちさせ、味付けを施して弱火でことことと・・・。
素晴らしいのは、やはり蓋。「落し蓋みたいだなあ」と思っていたのが、ホントに落し蓋の役割で、 普通ならば吹き零れそうな場合でもまず吹き零れない。 薄いので熱伝導もよく、手軽に熱することができる(冷めやすいが)。

うーん、もひとつ買ってもいいくらいだが、・・・二つ同じ鍋があってもなあ?

唯一の難点は、上縁がまったく丸く削られてないので、洗う時に手を切ること。既に初日に一回切った。 あとは、コーティングなしの安物なので、一回の調理でも、使ったところに跡が残ること。蓋の裏は既に茶色い斑模様だ。
まあ、そのうちじっくり洗ってやりますか。なかなか可愛いやつだもの。

 2001/07  
   悔しくも愛しき奴ら。
☆☆☆
最近ベトナムがブームで、ご多分に漏れず私もブームにのっかってベトナム好きである。
ベトナム雑貨の匂いを嗅ぎつけるやダッシュしていくし、お陰でバカみたいに安い雑貨にも 随分耐性と愛情を抱くようになった。

とある日。下北行きつけの雑貨屋にて、私は明らかにベトナムちっくなアルミのおたまを買った。 本当に金属の型を抜いてそのまま曲げたような、柄に紐を通す穴すらないチープなもの。 値段は80円。「は、80円??」と驚きつつも、おたまはいくつあってもいい私は早速連れ帰った。 うちで洗い物をしていた友人が、「ごめん・・・なんか柄がぐんにゃりひんまがっちゃって・・・」と 謝っても納得してしまうくらいのやわらかさ。ある日ぽっきり折れそうな不安と戦いつつ、 私はそれを愛用していた。

850円の鍋を買った、その店にて。
私は発見してしまったのだ、まったく同じやつ。
ちょうど「もう1本くらいダメになったとき用に買っておこうかな・・・」と思っていた私には 嬉しいことだったのだが・・・値札を見てちょっと止まる。
55円。
嘘、80円より安いのかつうか、それ値段なのか果たして原宿ラフォーレで店構えてる雑貨屋的に。 つるんとした軽いおたまはやっぱり可愛らしく、なんとなく80円→55円の差に複雑なものを覚えつつも 連れ帰る。まだ使わないけれど、そのうち使ってやろう。鍋も増えたし、おたまだって1本増えていい。

家に帰って、早速洗って並べてやる。
同じおたまは、一方は使い込まれてきて削れて白くなっていて、 この日連れ帰った方は使用前のつるつるした銀色である。いずれこれも使い込まれ、白いおたまが ちょっと曲がったりしながら2本になる。
それはちょっとした幸福な、だがなにげないことなのだろう。




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