〜迷宮組曲が発売された時代〜


 迷宮組曲は良く出来たゲームだと思います。

 しかし、どうもその割にはやや知名度が低いように思います。これは一体どのような事情によるものなのでしょうか? 当時の時代背景と照らし合わせ、勝手に推察してみました。

 ただ、何分限られた資料と当時の記憶によるものですから、当時の事情と異なる箇所があるかもしれない事を書き添えておきます。 実際の当時の事情に明るい方、記述の誤り等に気づいた方は是非私までお知らせください。よろしくお願いします。






 まず迷宮組曲が発売された86年11月前後に発売されたファミコンソフトの発売リストを見てみましょう。

1986/ 5月 ドラゴンクエスト
    / 6月 スターソルジャー、魔界村、クインティ
    / 7月 がんばれゴエモンからくり道中、ソロモンの鍵
    / 8月 ワルキューレの冒険、スーパーチャイニーズ、じゃじゃ丸の大冒険、スカイキッド
    / 9月 高橋名人の冒険島、スーパーゼビウス ガンプの謎、戦場の狼
    /11月 ドラゴンボール神龍の謎、スーパースターフォース、迷宮組曲、マッピーランド
    /12月 たけしの挑戦状、プロ野球ファミリースタジアム、アルカノイド、グーニーズ2、ドラえもん
1987/ 1月 ドラゴンバスター、戦いの挽歌、ドラゴンクエスト2
 

 さながら古き良きファミコンゲーム博覧会ですね。 知っている人は上記のゲーム全て知っているでしょうし、さほど詳しくない人でも、幾つか見覚えのあるタイトルを見つけることができるでしょう。

 そう。 迷宮組曲の発売日と相前後してアーケードや多機種で実績のある移植ソフト、名作の後継ソフト、原作付きのゲーム、草分け的ソフトまで、非常にバラエティに富んだ名作(迷作?)のファミコンソフトが発売されているのです。

 この時期のファミコンソフトは総じて粗削りながらシンプルさとアイディアと奥の深さを持っており、「ファミコンらしい」ソフトが一番発売された時期であると思います。

 上の発売リスト中の8割方のソフトには続編が発売されている事がその証です。






 これほどのキラ星の如きソフトに囲まれては印象が薄くなるのも無理らしからぬところです‥‥が、迷宮組曲に限っては当時の事情を語るにはそれだけでは不十分なのです。



 ビッグタイトルともなると1ゲームの開発期間が年単位になることも珍しくない昨今ではとても信じられない事ですが、1985〜87年当時のハドソン社は2ヶ月に1本という猛烈なペースでファミコンソフトを発売していました。

 そのハドソンが発売した迷宮組曲、ただでさえ1タイトルに掛ける比重が薄くなっているところにもってきて、当時のハドソンにはスターソルジャーがあり‥‥そして高橋名人がいたのです!

 当時の多くのシューティングゲームはパワーアップアイテムを取り弾の飛ぶバリエーションを変化させるものが主流で、画面上に出る弾の数は限られているか、もしくは弾の飛ぶ速度が速く弾数が気にならないようになっているのが常でした。

 それに対しスターソルジャーでは自機のパワーアップのシステムを極めてシンプルにし、その代わりボタンを速く押せば押しただけ弾が撃てるようになっていました。 また素早く何度も弾を当てないと倒せない敵が数多く出現するため、スターソルジャーではどれだけ連射できるかが非常に重要な鍵となっていました。(注1)


 さてそこに登場するのが高橋名人です。 当時ファミコンはまだ「子供のおもちゃ」でしたからファミコンをする大人、しかもキャラバンで優勝者と対決して決して負けなかったというムチャクチャな上手さとくれば、子供たちのヒーローにならない筈がありません。

 雑誌(コロコロコミック)にファミコン名人としてスターソルジャーの秒間16連射という武器(?)をひっさげて紹介されて一躍有名人になりました。

 そして高橋名人フィーバー(注2)の副産物として、当時の子供たちに「どれだけ連射できるか」(≒「高橋名人にどれだけ近い存在であるか」)という新しい価値観を植え付けた事を付記しておきます。



 さて再び86年のファミコンソフト、特にハドソンの発売したソフトだけに目を向けてみましょう。

 6月13日 「スターソルジャー」
 9月12日 「高橋名人の冒険島」
11月13日 「迷宮組曲」の発売
12月13日 「ドラえもん」

 先程、当時のハドソンは2ヶ月に1本ペースでファミコンゲームを発売していると書きましたが、こと迷宮組曲に関しては御覧の通り、有名な「ドラえもん」と上述の通り当時大人気の「高橋名人」に囲まれています。

 クリスマスのある12月はおもちゃ業界にとって非常に大きな意味を持ちます。 ファミコンのゲームカセットは普通の子供にとって年に何本も買えない高額なおもちゃでしたから、 ファミコン業界では12月は他のおもちゃ産業以上に重要な時期でした。

 さて、迷宮組曲とドラえもん‥‥サンタさんが予備知識を持っているとは思えませんから(笑) 予備知識無しにどちらが売れるか考えると、大人も知っている知名度のドラえもんの方なのではないでしょうか? おそらくハドソンの宣伝も(迷宮組曲でなく)ドラえもんに力を入れていた筈です。



 それを憂慮したのでしょうか、迷宮組曲の販売戦略は高橋名人の人気に乗じて売り上げアップを狙うことでした。

 具体的にどのようにしたのかというと、迷宮組曲にオマケ機能を付けたのです。

 迷宮組曲のタイトル画面で10秒間、ボタンを連打した数だけ画面上部の数が増えていきます。 これは自分が1秒間に何連射できるか知るための機能です。

 ゲーム中には連射をさほど必要としないのに、タイトル画面にこのような連射測定機能(注3)が付いているのです。 高橋名人のブームに合わせて付けた機能であることは疑いようもありません。



 実際、この連射測定機能は当時の子供には好評な機能でした。 ゲーム内容云々よりも先に語られる事すらあるくらいです。

 迷宮組曲の発売本数は90万本との事ですから、間違いなく売れた部類に入ります。 高橋名人の冒険島、ドラえもんのセールスがそれぞれ100万本ということですから、かなり健闘したといえるでしょう(注4)

 もし迷宮組曲が連射測定機能無しに発売されていたら、そこまでのセールスは期待できなかった事はおそらく間違いありません。 それほどまでに高橋名人の人気は凄いものでしたから。

 この発売本数は高橋名人 人気に依存するものであり、ゲーム本来の魅力ではなかったのではないかと思います。 儲けを考えなければならない会社としては間違っていない判断だと思いますが、 それはゲームにとって不幸な事ではなかったのではなかろうか、と私は思うのです。




 もし高橋名人ブームに関係なく迷宮組曲が発売されていたら、もし発売時期にもっと恵まれていたら‥‥


 無意味な仮定であることは分かっているつもりではありますが、様々なファクターに左右されて発売されたこのソフトはもっと正当に評価されても良かったのではないか、と思いを禁じえません。

 

 

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 何分昔のことでもあり、当時の事情と異なる箇所があるかもしれません。 実際の当時の事情に明るい方、記述の誤りに気づいた方は是非私までお知らせください。


迷宮組曲には直接関係ない話(オマケ)

オマケのくせに本文に匹敵するくらいの長さです(泣笑)

 

 「スターソルジャー」と「スターフォース」の2作品をプレイすると類似点が非常に多く、後継ソフトであるといっても良いぐらいです。

 それなのに、なぜ「スターソルジャー」が「スターフォース2」でないかというと、そもそも「スターフォース」はハドソンでなく、テーカン(現TECMO)によって制作されたゲームのファミコン版の移植なのです。 続編(?)の制作時にその名前が使えなかったか、もしくはオリジナルとして出す事で儲けようと思ったのかもしれません。


 ご存知の向きも多いでしょうが、スターフォースには超磁力型合体浮遊要塞ラリオスという敵(中ボス?)が居ます。 中央上部からひし形の核が出現、ついで画面の4隅からも3角形のパーツが出現してそれらが合体して襲ってくる、という敵です。

 このラリオス、合体の始まる少し前に中央の核が光るのですが、核が光ってから4隅のパーツと合体するまでの短い間に核に弾を一定数撃ちこむと合体前に倒せてしまうのです。

 これにはギリギリまで核に近づいて、ひたすら弾を撃ちまくる事が必要でした。 テクニックとしては非常に有名で巨大な敵をあっというまに倒してしまう見た目の美しさからも、ラリオスには非常に人気がありました。

 個人的にはこれが連射のルーツであると思っています。

 なお、スターソルジャーというゲームはこの「連射の快感」と、スターフォース最大の謎であるゴーデスに代表される、隠しキャラクターを発見する楽しみを発展昇華させたものだと思っています。

 個人的なシューティングゲームの歴史観では、この「連射の快感」の後に画面上にばら撒かれた大量の弾をドット単位でかわしていく「避けの快感」というものが登場したと考えているのですが、それはまた別の話。

 なおスターフォースの続編はスーパースターフォースとしてTECMOから発売されています。 スーパースターフォースは純粋なシューティングゲームでなく、シューティングの宇宙ステージと探索を行う地上面という2つの要素を合わせ、時空を駆けて暗黒大陸ゴーデスの謎を解きあかしていくゲームになっています。









 高橋名人の活躍はマンガ「高橋名人物語」(河合一慶 著)、TVアニメ「Bugってハニー」、ゲームはいずれもハドソンから「高橋名人の冒険島1〜4」「高橋名人の大冒険島1〜2」「Bugってハニー」、歌「RUNNER」、「Bugってハニー」、映画「GAME KING(ゲーム・キング)/高橋名人vs毛利名人激突! 大決戦」 など多岐にわたっており、当時の人気が忍ばれます。

 「ゲームは一日一時間!」と言っていたのも有名かも。 ‥‥ちなみに迷宮組曲を1時間でクリアするのはなかなか大変な作業だったりします(笑) 迷宮組曲に限らず、当時のハドソンのゲームで1時間でクリアできるものってあったんですかねぇ‥‥


 さて、ファミコンからスーパーファミコンに移行し、ファミコン名人もやがて表舞台から姿を消していきましたが、「子供のおもちゃを理解できる大人」というシステムは現在でも健在で、コロコロコミックなどでは名称や得意ジャンルは違えど「名人」が多数登場します。ミニ4駆の「ミニ4ファイター」などは比較的有名ですね。 今はハイパーヨーヨーでしたっけ?ビーダマンでしたっけ?

 さて当時、高橋名人人気にあやかってか、ファミコン名人は他にも当時多く存在しました。 当時の情報が残っていないので名前だけになりますが。毛利名人、バンダイの橋本名人、ナムコの河野名人やテクモの辻名人などなど‥‥

 ちなみにスターソルジャーで高橋名人と毛利名人は公開勝負を行いました。 名人同士の頂上決戦の猛練習から、試合までは「GAME KING(ゲーム・キング)/高橋名人vs毛利名人激突! 大決戦」として映像に残っています。



 この勝負の詳しい情報はファミコン狂時代の「ファミプロな人たち」をご覧ください。毛利名人と高橋名人の対戦前の大変厳しい(笑)修行模様などを知る事ができます。


 また、Internet POSITIVEの特集ページでは「名人とはなんだったのか?」には、高橋名人のインタビュー記事と、ファミコン名人に関しての詳細な情報が掲載されています。
 高橋名人とのインタビューは当時の事情を知る方は爆笑ものです。今一つ当時の知識に自信のない方は、上記ファミコン狂時代の「ファミプロな人たち」を御覧になった上で御覧になる事をお勧めします。








 それが当時どんなに魅力的な機能であったかを証明するように、連射測定器「シュウォッチ」なる小物も発売されました。
 周りの友人の所持率は結構なものでしたし、TV CMもやったりして、きっと随分売れたんでしょう。 今思い返すと、連射できるからどうなるというわけでもないんですが(笑)

 なお、シュウォッチPROというのもあるみたいです。これはシュウォッチからスロット機能を取り除き、意味不明な裏技をつけたもの‥‥どこらへんが「PRO」なのかまったくもって謎のアイテムです。

 他にも、スターソルジャーで、ひたすら地上物が並んでおり、秒間何連射か測定するカスタマイズバージョンがあったと思います。(キャラバンの出し物だったのかも)

 というわけで、私のページにも当時大人気のこの機能にあやかって(?)連射速度測定機能をつけました(笑) ただしMicromediaのShockwaveのプラグインが必要です。

 ヨコミゾ・セッションさんのページにはシュヲッチというシュウォッチのWEB版があります。高橋名人の情報等もあるので、是非行ってみて下さい。








当時、売り上げ100万本を越えたものは‥‥


1986/ 5月 ドラゴンクエスト(100万本)
    / 9月 高橋名人の冒険島(100万本)
    /12月 プロ野球ファミリースタジアム(200万本)、ドラえもん(100万本)
1987/ 1月 ドラゴンクエスト2(200万本)
 
であるということです。

 残念ながら、あまり信用のおけるデーターではないので当時のゲームの発売本数について詳しい情報をご存知の方は是非教えてください。

 発売時期に関係なく、発売本数という点から見ると超ヒット作のスーパーマリオが657万本(!) プレイステーションの大ヒットゲーム、ファイナルファンタジー7は350万本とのこと。

 

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