制作者インタビュー
当時のゲームの多くがそうであったように迷宮組曲でもオープニング、エンディングに制作者名が出ないため、今までどなたがこのゲームを制作したのかわかりませんでした。
しかし、この迷宮組曲のページを作るにあたって、ネット上を探しまわって笹川敏幸さんが制作者である事がわかりました。 さらに幸運な事に笹川敏幸さんに直接質問する機会をいただき、迷宮組曲や笹川さん自身についておききしました。このページではそのインタビューを紹介します。
・ 今までに制作や音楽に関わった主なゲームを教えて頂けませんか? |
ん〜〜〜、基本的には、ハドソンのゲームにはほとんど全部なんらかの形で関与してます。 基本的には、音楽と音響効果全般の制作監督・プロデュースといった仕事をしていますので、100%外部に委託して制作するものでも、作曲家の指名をしたり、段取りを指示したりという事もあるので。関わり方も千差万別で、うまく説明するのは難しいです。 ただ、プログラム、企画、作曲といった役割を演じたタイトルはかなり絞られます。でも今、簡単に思い出せません・・・ |
・ 迷宮組曲の発表から10年以上経ちましたが、笹川さんにとって迷宮組曲はどのような作品だったのでしょうか? |
ゲームコンセプト、シナリオ、キャラクターデザイン、プログラム、サウンドプログラム、効果音を全部自分でやりました。 当時、自分の持てるエネルギーを全てそそいだ作品なのでとても思い入れがあります。今でも、どこにも類をみないゲームだと思っています。 |
・ 迷宮組曲を作られる上でのきっかけを教えて頂けませんか? 特にあの印象的なボーナスステージの発想はどこからきているのでしょうか? |
童話の世界ですね。ブレーメンの音楽隊なんかヒントになっています。ゲーム全体の基本的なコンセプトは、コロポックル伝説です。さとうさとるさんの童話も随分、手本にしています。安野光雅さんの小人の画もね。 |
・ 迷宮組曲を制作される上で苦労なさった点や印象深いエピソードなどがありましたらお願いいたします。 |
試行錯誤して1年半ぐらいかけて作りました。最初のプランでは、雲の上に天空の世界もあったんだけど、そこまでは実現できなかった。ガリバー旅行記みたいにしようと思ったんだけど・・・。 自分であれもこれもやったので、すぐ煮つまってしまうのが辛かった。平均睡眠時間3時間ぐらいでがんばってたけど、昼間居眠りしてたから、あんまり意味なかったかな。 |
・ 迷宮組曲を作った時期の笹川さんと現在の笹川さんとを比べて、 変わった点、今でも変わらない点を教えて頂けますか? |
面白い質問だね。 基本的には、ゲームの仕事に対する姿勢は今もかわらないけど、より明確になったものは、子供達への愛情を作品に込めたものづくりをしたい、という意志をはっきり持てるようになった事でしょうか。 今は、煮つまると、ゲームを買ってくれる子供達の喜んでくれる顔をイメージすると、たいていの事はがんばれるようになったかな。 |
・ 迷宮組曲と同じく、ミロンを主人公としたスーパーファミコンのアドベンチャーゲーム「ドレミファンタジー」の制作にはどの程度関わっていらっしゃるのでしょうか? |
あれは、後輩達が、「迷宮2」として作り始めたのだけれど、ゲームの内容についてはノータッチです。楽曲制作では、音楽プロデューサーとして参加しています。本当は自分で2を作りたかったけど状況が許さなかった。 今プレステで作っているゲーム(僕が総合プロデュースしています)は、本質的には「迷宮の2」といっていいテイストを含んだタイトルになるはずです。 |
1998年4月中旬 インタビュー
笹川さんはゲームの音楽や制作のプロデュースで活躍する傍ら、97年よりピアニスト・作曲家として北海道を中心にコンサート活動を行い、98年4月の沖縄コンサートを始めとして日本各地でのコンサート活動を計画中です。
98年4月には待望のファーストソロアルバム「AQUA=MIZU」をMOONLIGHTレーベルより発表。
MOONLIGHT MUSIC で笹川さんの最新の音楽活動、コンサート情報を知る事ができるほか、アルバムの収録曲を Real Audio で試聴する事や、メールでのアルバム購入の注文も受け付けている。
タイトルに戻る
文責:堀江裕介(tindalos@zephyr.dti.ne.jp)