Seiji & Fumi at Biwako Hall in Autumn 2010



 2010年9月18日,滋賀県大津市のびわ湖ホールで催される「アンサンブルの楽しみ」(〜演奏家のつどい〜 vol.2 スタインウェイを弾こう)に, 息子のせいじとのデュオ(デュオ・アクアスリス)で出演した。 この催し物の出演者を募集しているのを知ったのは偶然だった。2010年3月28日に私がカルテット仲間とびわ湖ホール(小ホール)に古典弦楽四重奏団の演奏会を聴きに行ったときと,5月16日にせいじと妻が行ったクリスチャン・ツィメルマンのリサイタルをびわ湖ホール(大ホール)に聴きに行ったときに,配布されたチラシに案内が入っていたのである。しかし,そのときすぐには応募しようとは思わなかった。5月の連休恒例のオケ春合宿で,せいじがモーツァルトのピアノ協奏曲第27番全曲を弾くことになって,せいじはその練習に忙しく,それが終わったと思ったら,今度は6月にオケの団内アンサンブル大会で,私とのエルガー ヴァイオリン・ソナタ(後日録画したものをYouTubeにアップした),シューマン ピアノ五重奏曲(1,4楽章),ベートーヴェン ピアノ・ソナタ「悲愴」(2,3楽章)をすることになり,びわ湖ホールの演奏会に応募することを考えるどころではなかったのである。

 それらがすべて終わり,一息ついたところで,2009年の8月にあった第1回目の「アンサンブルの楽しみ」の様子を記したびわ湖ホールの公式ブログをあらためて見てみたが,出演者も小学生から年配の方と幅広く,(コーラスもあり)楽しそうだ。ピアノは滅多に弾けないスタインウェイの新しいフルコンだし,びわ湖ホールの小ホールの音響がよいことは知っているし,出演のためのノルマもなし(タダ!)だし,試しに応募してみようかという話になった。昨年は応募数46件のうち15件が選ばれたらしいから、なかなかの難関だが、3倍くらいだったら通るかもしれない、通ったらもうけもんくらいの気持ちである。応募要領に、出場1組につき演奏時間は10分までとあるが,何の曲を演奏するか?応募には音源と書類(グループのPR文)が必要だが,締切が7月10日なのでゆっくり考えている暇はない。

 人前で一度もやってない曲で比較的短時間で”形”に出来そうなのは,モーツァルトのヴァイオリン・ソナタくらいしかない。いろいろ考えたが,私が好きなヴァイオリン・ソナタ変ロ長調 K.454の3楽章で応募することにした。 応募の締切近くまで粘って,ヴァイオリンとピアノの息がかなり合うようにはなったが,イメージ通りのテンポで合わせるのは無理だし,細かいところを言い出したらキリがないが,締切に遅れては元も子もないので,録音してCD-Rを作成。一方,紹介文を書く方は,”第三者”である妻にまかせた。
 ともあれ,必要物を取りそろえてびわ湖ホールの事務局に送ったところ,7月の末に採択通知が来た。応募に使った音源の演奏が素晴らしくて選ばれたとはとても思えないので, 父と息子のデュオが珍しかったのと,妻の書いた紹介文が審査員に受けたか…。せいじのピアノの先生には怒られることを覚悟でレッスンのときにせいじと妻が事後報告。先生は何度も「信じられない。たまらんなぁ…」とボヤいてたとか。ピアノの生徒の本分はソロの曲の練習にあることは私も分かっているので,申し訳ない気持ちはあるが,モーツァルトだって子どもの頃からアンサンブルを楽しんでいたはず! しかし,結局のところ,ピアノの先生は,せいじにこの曲のレッスンを何回も熱心につけてくださり,本番までの1ヶ月あまりでピアノも随分とよくなった。

 ヴァイオリン・ソナタとはいえ,K.454のピアノ・パートはモーツァルト自身が弾くために書かれたので決して易しくない。 ウィーンに演奏旅行に来たイタリアの若き天才女流ヴァイオリニスト, レジーナ・ストリナザッキの腕に惚れ込んだモーツァルト(「彼女の演奏には優れた様式感があり,感情が豊かです。」という1784年4月24日付のモーツァルトの手紙が残っている)が,自身のピアノ協奏曲の作曲,演奏会で多忙だった時期(1784年)に一気に書き上げた名曲である。ヴァイオリンとピアノの名手のために書かれただけあって,協奏的で華やかであり,2つの楽器のかけ合いも多い。 3楽章は,楽しげに始まる印象的なロンド主題と, 中間部で短調に転調する部分のモーツァルトらしい翳り, 最後のピアノの名人芸的パッセージが忘れがたい印象を残す。皇帝ヨーゼフ2世を迎えての御前演奏は大喝采だったらしい。ピアノ譜の作成が間に合わず,モーツァルトは何も書かれていない白紙の楽譜を置いて楽譜を見ながら演奏しているふりをしていたが,オペラグラスを覗いたヨーゼフ2世にバレてからかわれたという逸話が残っている。

 さて演奏会当日は,午前10時半にびわ湖ホールの楽屋に集合。演奏されるグループ同士で「初めまして!」の挨拶を交わし,楽屋は和やかな雰囲気。ホールの方に当日のスケジュールについて説明を受ける。その後,出場者10組が順番にステージに上がり,一組3分ほどで音出しをして立ち位置を決めたり,譜面台の置く位置・高さの確認を行った。短い音出しの間にも新しいスタインウェイのフルコンサートグランドの素晴らしい音色にせいじと妻は大感激!ヴァイオリンからピアノの音もよく聴こえるし,ヴァイオリンの音も客席によく響く感じで,感触は良好。
 そして午後2時から演奏会本番。出番は前半の3番目で前2組はいずれも小学生の女の子のペア(ヴァイオリン・デュオとチェロ&ピアノ・デュオ)でかわいらしく,かつ小学生とは思えないとても立派な演奏をした。そして,いよいよ本番であるが,ヴァイオリンもピアノも失敗したところはあるけれども,ホールの響きにも助けられておおむね気持ちよく弾けた。とくに重音や高音のフォルテが家よりずっとよく響く。この日のために指サックを購入して譜めくりの練習を重ねた妻としこの労もねぎらわないといけない。
 FM-KYOTOのDJをされている森夏子さんという方が演奏会の司会進行をしたのがだが,演奏が終わってからプレイヤーに ステージ上でする質問が,さすがにツボを心得ていて,楽しかった。自分たちの番のときは何を聞かれるかと緊張したが…。せいじと私は,デュオを始めたきっかけとか,アクアスリスの命名の由来(私たち一家が住んだ英国の街バースのローマ時代の呼び名)を聞かれたのは予想通り。私が「最近は息子の方がうまくなってきて…」とちょっとボヤいたところ,森さんがせいじにすかさず「そう思うときってある?」とマイクを向け,せいじが「ピアノがちゃんと弾いてるのにヴァイオリンの音程が悪いとき」と答え,会場には笑い声が。私は「自分が衰えてヴァイオリンが弾けなくなる前に,出来るだけいろんな曲を合わせてみたい」と答えた。客席から見たら変な父子だったかもしれない。終わってから,”採択通知”以来せいじを厳しく指導されてきたピアノの先生も「出演が決まった時は,何と無謀な…と思ったが,出てよかったね」というお言葉をいただいたし,私も「(デュオ・レッスンのときに比べて)お父様も随分うまくなりましたね。」とお褒めの言葉をいただいた(^_^;)。

 自分たちの演奏が3番目に終わったので,あとはゆっくりと他のグループの演奏を楽しんだ。演奏会の最後に演奏したゲスト・プレーヤー(ピアノ・トリオ)は昨年同様,気鋭の若手のプロである。ピアノの菊地裕介さんは,ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音を進めている。 演奏会の少し前に早速,中期ソナタのCDを買って聴いてみた。どの曲も速めのテンポで,若々しい演奏。私はとくに「テンペスト」が気にいった。 ヴァイオリンは,大阪センチュリー交響楽団の若きコンマス,太田雅音さん。 チェロは海野幹雄さん。 曲目は当日のお楽しみということであったが, 最初にベートーヴェンの「街の歌」から第1楽章,メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番から第1楽章,アンコールで同曲の第2楽章が演奏された。やっぱりピアノ・トリオでは屈指の名作であるメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番のとくに有名な第1楽章が曲も演奏も情熱的でよかった。

 演奏会後には,出演者,ゲスト・プレーヤー,びわ湖ホールのスタッフの方々(館長さんや事務長さんも居られた)が楽屋に集まって交流会があった。せいじはピアノの菊地さんにCDにサインしてもらったり,手の大きさを比べたりして御機嫌。菊地さんの手は意外に小さくて,せいじの手の大きさとほとんど変わらない。それを見ていた海野さんが「僕の手は大きいよ」とせいじに手を差し出したが,確かにグローブのように大きな手だった。すかさず菊地さんが「だからプロコフィエフの7番弾いてたもんな」と音高時代の思い出を持ち出す。海野さんは「菊地は学校の音楽室のピアノ(多分いちばんいいピアノ)を独占してみんなの顰蹙を買ってた」というエピソードを披露。お二人は桐朋女子高等学校音楽科の同窓なのだ。
 菊地さんからは,せいじにいろいろなコメントをいただいて参考になった。意外に思ったこともあり,おもしろかったので下記にいくつかあげる。
  1. 「バッハの平均律とベートーヴェンのソナタはなるべく早い時期,できれば二十歳までに全曲やった方がいいよ。楽譜を見るだけでもいいから。平均律をそうしなかったから僕は今苦労してる。」
  2. 「ベートーヴェンの後期のソナタは,中学生や高校生が弾いて指だけ回っても,精神的な面で難しいのでは?」と私が尋ねると,「でも若いうちに一通り弾いた方がいいですよ。とくに(長大な)29番の「ハンマークラーヴィア」は若いうちに弾かないと暗譜できません(笑)」と菊地さんの答は明快だった。なるほど。
  3. 「やっぱりバッハとベートーヴェンが基本ですか?」という私の問いに対しては「そうです。それプラスショパンのエチュードかな」との答。いろいろお話を聞くと,菊地さんはベートーヴェンが本当にお好きそうだった。バッハとベートーヴェンが基本というのは,20世紀の大ピアニスト,バックハウスの言葉と全く同じである。バッハ(旧約聖書)、ベートーヴェン(新約聖書)をまず練習すべきという考え方は、ピアノの世界では昔から変わっていないのであろう。
  4. 「ベートーヴェンのソナタの楽譜はヘンレ版だけでなくウィーン原典版も見た方がいいよ」…へえ,オレンジ色の楽譜も見た方がいいのか。どこがどう違うのか…。
 せいじは菊地さんとお話しして「ベートーヴェンのソナタを全部弾こう」という気になったらしい。もちろんすぐにそんなことが出来るわけはないが,こういう刺激を受けることができたのも交流会のおかげである。
 私はヴァイオリンの太田さんと少し話をさせていただいた。素晴らしい経歴を持ち,若くして大阪センチュリー交響楽団のコンマスに就任されたた方だが,謙虚な方である(ビールは好きそう…)。大阪センチューリー交響楽団の将来が明るいものであることを祈らずにはいられない。びわ湖ホールの館長さんや事務長さんともお話をさせていただいたが,ファンの裾野を広げるのに大変熱心な方ばかりである。「アマチュア同士,アマとプロの交流を広げたい。」と言っておられた。そういえば,3月の古典弦楽四重奏団の演奏会の後にも交流会があったことを思い出した。びわ湖ホールのこうした取り組みはとてもいいと思う。

 今回の演奏会は,ホール内三脚使用不可の上に,いつもビデオ撮影役の妻が譜めくり役で出演したため,録画も録音もない。ピアノの先生は「自分がビデオを持ってきて撮ればよかった。残念」と言ってくださったが,まさかわざわざお越しいただいた先生に録画をお願いするわけにもいくまい。私もせいじもよいイメージで終われた本番の演奏だったので,少し残念ではあるが,聴き直せば聴き直したでいろいろアラが見えてがっかりするかもしれない。たまには,記録に残らない”本番そのもの”をよい思い出とする演奏会があってもよいだろう。そういうわけで,YouTubeにアップしたのは本番少し前に自宅で録画したもの。マイクの録音レベルが高すぎて音が割れ気味なのをちょっと後悔している…。




(2010.9.19)