バロックの弦楽


試聴記

*CD番号は私が買ったときのものです。購入される場合は必ずご自分でチェックしてください。



■J.S.バッハ(1685-1750):ヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタ(全3曲)

(SONY CSCR 8383)
 これは,アンナー・ビルスマという一人の傑出したチェリスト・音楽史家によって,バッハの隠れた名作の真価が明らかとなった記念碑的ディスクである。1990年の録音以来約10年が経過したが,その価値は少しも減じていない。現在のように古楽が隆盛でない頃,バッハのヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタはモダン・チェロとピアノによって弾かれるのを常としていた。しかし,モダン・チェロとピアノの重厚な響きは何かしっくりせず,私もLP時代に無伴奏チェロ組曲を聴くときのような強い感動をこれらの曲で覚えた記憶は一度もない。そうこうしているうちに,オリジナル楽器によるバッハの演奏が主流となり,無伴奏チェロ組曲は別であるが,モダン・チェロでこの曲集が弾かれること自体が稀になったように思われる。それと共にヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロの組み合わせでこれらの曲を弾くのが「正統的」になっていく。しかし,とビルスマは言う。「このソナタ集には,ガンバではなくチェロ・ピッコロ,チェンバロではなく小型オルガンが相応しい。」と。彼の判断が適切だったかそうでないかは,このディスク最初のソナタ第3番ト短調Vivaceの冒頭を聴くだけで明らかである。少なくとも私にとって,この曲を聴いて最初からこのようなぞくぞくするような快感と感動を覚えたのは全くはじめての体験であった。とにかく,5弦のチェロ・ピッコロと小型オルガン(可搬型ポジティブオルガン)の二重奏は,音色,音量,リズム…とあらゆる面で調和しながら,これまで聴いたことのなかった新しいバッハの響きをつくり出している。もちろんビルスマの技術的にも音楽的にもすばらしい演奏あってのことだろうが,チェロ・ピッコロの柔らかくちょっと甘い音色は何度聴いてもほれぼれとする。アスペレンのオルガンも秀逸。大バッハの3曲のソナタの後には,バッハの息子の中でも無名なJ.C.F.バッハのソナタが1曲収められており,これもビルスマが選んだだけあってなかなかギャラントで楽しい曲である。


■ヴィヴァルディ(1678-1741):ラ・ストラヴァガンツァ

第1集(NAXOS 8.553323),第2集(NAXOS 8.553324)
  ヴィヴァルディの弦の協奏曲としては,「四季」が圧倒的に有名である。しかし,評論家や研究者の「四季」に対する大方の評価は低く(口当たりがよいだけで中身が希薄な作品だというのが主な理由),そういう人達はきまって代わりに作品3の「レストロ・アルモーニコ」をヴィヴァルディの代表作にあげる。このことには私も異論がない。しかし,ヴィヴァルディがいかに多くの協奏曲を書きなぐっていたとしても,「四季」と「レストロ・アルモーニコ」の2曲集だけで彼の弦の協奏曲を論じるのは,ちょっと気の毒であろう。ここに取り上げた作品4の「ラ・ストラヴァガンツァ」は,曲集全体の出来から見れば作品3「レストロ・アルモーニコ」に見られるような構成の緻密さや多様な編成のおもしろさはない。しかし私自身は,この曲集の第6番ト短調,とくに第1楽章があまりにも素晴らしいが故に,一度は聴く価値がある曲集と思っている。「ラ・ストラヴァガンツァ」は,小学生か中学生のときに,NHK-FM「バロック音楽」の時間に服部幸三氏の解説で耳にしたのが最初であった。そのとき,どの曲とどの曲を放送したか,演奏は誰だったかなどという細かいことはすっかり忘れてしまったが,第6番ト短調第1楽章の旋律だけは,それ以来忘れることなく鮮明に覚えている。ト短調のなんともいえない哀愁を感じさせる主題は,一度聴くと忘れられないものである。この曲があまりにも印象的だから,他の曲の印象が薄くなってしまった気味もあるが,第9番へ長調の第1楽章もおもしろい。跳ねるようなリズムのトゥッティと急速なパッセージに終始するソロの掛け合い。第11番ニ長調第2楽章の短調のラルゴも美しい。NAXOSから最近発売された2枚のCDはモダン楽器による流麗な演奏。第6番ト短調のメランコリックな名旋律を味わうには,オリジナル楽器よりモダン楽器による演奏の方がいいだろう。分売されているので,第6番ト短調の曲だけを聴くなら第1集だけを求めればよい。なお,このト短調の主題はJean Thildeによって編曲されてトランペット協奏曲ト短調第3楽章の主題として使われていて,同じNAXOSの「Wind and Brass Concerti」(NAXOS 8.550386)で聴くことができる。ヴァイオリンで聴くのとはまた違った雰囲気でこれもよい。


■ヘンデル(1685-1759):ヴァイオリン・ソナタ集 作品1(全6曲)

(FIC ANC-95)
 ヘンデルのヴァイオリン・ソナタはヴァイオリン学習者が必ず通過する一種のお稽古名曲(とくに第4番ニ長調)なので,ヴァイオリンを習う人で弾いたことのない人はいないだろう。しかし,バッハのヴァイオリン曲などと違って技術的に易しいためか,逆にプロのヴァイオリニストでこれを録音したり演奏会で弾く人は少ない。その上最近はバロックのヴァイオリン曲はオリジナル楽器で弾く傾向がすっかり定着し,若手の現代楽器の名手たちはますますヘンデルのソナタなど弾かなくなった。これは非常に残念なことである。技術的には易しい曲であっても内容的には非常に充実したバロック・ヴァイオリン・ソナタのひとつの金字塔なのに…。6曲すべてよいが,いかにもヘンデルらしい大らかな旋律美に満ち,最も有名な第4番ニ長調と,高貴な第1楽章の主題がとりわけ印象的な第6番が私はとくに好きだ。唯一短調の第2番も捨てがたい。往年のベルギーの名手グリュミオーが弾くヘンデル(もちろんモダン楽器による演奏)は端正でいて艶やかな美音が最大の魅力。


■テレマン(1681-1767):ソロ・ヴァイオリンのための12のファンタジア

(HMU 907137)
 大バッハと同時代人で生前はバッハよりずっと人気があったのに,今はターフェル・ムジーク(食卓の音楽)のみがかろうじて一般に知られる程度という可哀相なテレマン。しかし彼の管弦楽曲「ハンブルクの潮の干満」はヘンデルの「水上の音楽」に劣らない面白さだし,室内楽は隠れた佳曲の宝庫である。たとえばフルートを中心とした「パリ四重奏曲」はどれも楽しい。弦の曲でもここにあげた「ソロ・ヴァイオリンのための12のファンタジア」は,渋いけれどもじっくり聴けば聴くほど味が出てくる名品。実に総演奏時間70分以上を要する大曲である。変化に富む構成・曲調や粋を凝らした重音等の技巧は,テレマンは軽い,脳天気,どれを聴いても同じといった先入観を覆すのに十分である。それにしてもこのCDでバロック・ヴァイオリンを弾いているアンドリュー・マンゼの演奏は見事。全体的に歯切れよく早めのテンポで弾き進めながら,技巧は完璧でしかも歌わせるところは十分に歌わせている。


■ヴェラチーニ(1690-1768):ヴァイオリン・ソナタ集

(ARCANA A 27)
 ヴェラチーニの音楽史的位置付けといえば,イタリア・バロック後期のヴァイオリン音楽作曲家というところだろうか。知名度からいえば先輩のコレルリ,ヴィヴァルディはもちろんのこと,同時代のタルティーニに比べてもずっとマイナーな存在である。しかし,このようなアルバムを聴くと,忘れてしまうにはもったいない佳曲を残していることが分かる。このCDには4曲のソナタが収められているが,第8番ホ短調は教則本でヴァイオリン学習者にはおなじみの懐かしい曲である。激烈な感情が前面に出た曲で,形式的にはバロックの音楽だが,情感としてはロマン派の音楽を思わせる。他の3曲のソナタもすべて短調で,どの曲をとってもなんともいえない哀愁を帯びた旋律が独特の印象を残す。ヴェラチーニの音楽には短調が合っている。このようなソナタを弾くヴァイオリンは当然のことながらよく歌わなければならない。その点このCDでバロック・ヴァイオリンを弾くエンリコ・ガッティは見事な歌いまわしで,ヴェラチーニのちょっとやるせない魅力を最大限に引き出している。


■タルティーニ(1692-1770):ヴァイオリン・ソナタ集

(OPUS111 OPS 59-9205)
 タルティーニといえば,「悪魔のトリル」だけが突出して有名で,たしかにこの曲は彼一世一代の傑作なのだが,彼の他のヴァイオリン・ソナタがほとんど無視されているのは残念なことである。ところがこのCDの奏者にしてバロック・ヴァイオリンの革命児ファビオ・ビオンディは,卓越したテクニックとヴァイオリン本来の艶やかな音色,さらに従来の演奏スタイルにとらわれない新鮮な解釈を武器に,タルティーニの「無名」ソナタが十分鑑賞に堪えるものであることを証明した。このCDには1曲が10〜15分程度の短いソナタが5曲収められており,ほとんどの曲が緩‐急‐急の3楽章構成を取る。ビオンディはゆったりした曲では,たっぷりとしたイタリアのカンタービレを聴かせ,速い曲ではときに激烈な感情のほとばしりを見せる。下手なロマン派のソナタよりよほどスリリングである。最初のソナタからビオンディの至芸に引き込まれてしまうこと請け合い。バロック・ヴァイオリンといっても彼のヴァイオリンはピッチも高めで,ヴィブラートも細やかに使い分けているので,オリジナル楽器による演奏はどうも…という人にも違和感がないだろう。現代楽器でも一流の奏者でなければ,オリジナル楽器の演奏でも一流とはいえない時代になってきているのである。


■J.S.バッハ(1685-1750):ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ集

(OPUS111 OPS 30-127/128)
 大バッハのヴァイオリン曲といえば,無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータとソナタが圧倒的に有名で,チェンバロとのソナタは弾かれる機会もぐっと少ない。国内盤の数もわずかである。しかし,「無伴奏」のような唯一無二の凄さこそないけれども,6曲のチェンバロとのソナタ集も名品揃いである。ヴァイオリンはよく歌い,さすがバッハだけあって,チェンバロ・パートもコレッリのソナタなどと比べると非常に充実しており単なる伴奏ではない。ファビオ・ビオンディの演奏は例によって生命力溢れた生き生きとした演奏。遅い楽章は「イタリア的」にたっぷりと歌い,速い楽章は歯切れのよいスタッカートと速めのテンポで一気に聴かせる。こういうバッハは好きでない人もいるかもしれないが,私には非常に楽しい。例えば第3番ホ長調・第2楽章のフーガ(このページのBGM)など,聴いている方がわくわくしてくる。昔LPで愛聴していた現代楽器によるスークとルージッチコヴァの几帳面な「模範的」演奏と比べると,時代の流れというものを感じる。


■ヴィヴァルディ(1678-1741):「四季」(マンチェスター版)

(OPUS111 OPS OPS 56-9120)
 ヴィヴァルディの「四季」は知られざる「弦」の曲どころか,最もよく知られたバロックを代表する有名曲である。それを取り上げたのは,ファビオ・ビオンディをソリストとするエウローパ・ガランテの演奏が,初めて聴いたとき私にとって非常に新鮮だったからである。現代楽器による耳に心地よい「普通」の演奏とは全く違った「四季」が聴ける。ときとして現れる強烈なアクセント,クレシェンド,アッチェレランド,意外な装飾音は驚きだった。これは,一般に演奏される版とは違うマンチェスター版の楽譜を用いている影響もあるだろうが,本質的にはビオンディの演奏解釈によるものだろう。新鮮でスリリングでありながら全く違和感のない「四季」。こういう演奏による「四季」だったら生でも聴いてみたいと思う。


■コレッリ(1653-1713):ヴァイオリン・ソナタ 作品5(全曲)

(HYPERION CDA66381/2)
 コレッリもテレマンやタルティーニと同様ちょっと可哀相な作曲家である。バロックの器楽音楽の形式を確立した音楽史上の大功績者でありながら,実際に演奏される機会は決して多くないし,国内盤のCDも少ない。せいぜい「クリスマス協奏曲集」と銘打たれた1枚物のCDで他の作曲家(トレッリやマンフレディーニ)の作品と一緒に作品6-8の「クリスマス協奏曲」が1曲だけ収められている程度だろう。出版された作品1〜6の曲を除いては自分で自分の楽譜を破棄してしまったという,ブラームスもびっくりの自己批判が強い作曲家だっただけに,残された曲の数はバロック時代の作曲家としては驚くほど少ない。でもそれだけにコレッリの曲はすべて緻密で練りに練上げられている。ヴィヴァルディとはまさに対照的だ。作品5は12曲のソナタからなり,最後の第12番はヴァイオリン学習者が一度は通る変奏曲形式の「ラ・フォリア」で12曲の中でダントツに有名である。たしかにこの曲は印象的な主題と変化に富む変奏がおもしろい。しかし,12曲の中でこの曲しか聴く価値がないわけでは決してない。全体の印象からいえば,コレッリは前半の6曲でヴァイオリンの技巧,後半の6曲でヴァイオリンの感情表現を追究しているように感じられる。私は断然後半の6曲が好きだ。とくにあげたいのは,冒頭楽章ラルゴの高雅で哀切きわまりない主題が強い印象を残す第8番ホ短調,全曲を通じてイタリアの澄んだ空を思わせる清澄な第9番イ長調,夢見るようなロマンティックな主題ではじまる第1楽章アダージョと単独でヴァイオリン初学者にも弾かれる第3楽章ガヴォットを持つ第10番ホ長調。英国の女流バロック・ヴァイオリン奏者エリザベス・ウォルフィッシュの演奏は,とくに強烈な個性があるものではないが中庸で節度があり,コレッリの曲のスタイルによく合っている。


■ルクレール(1697-1764):ヴァイオリン・ソナタ集(作品5)

(DENON COCO-75720)
 フランス後期バロックの時代に活躍したヴァイオリニストであり作曲家であったルクレールのソナタには明らかにイタリアの先輩コレッリの影響が見られる(もっとも当時のヴァイオリン奏者・作曲家でコレッリの影響を受けていない人はいないだろう)。楽章構成もすべて緩‐急‐緩‐急の4楽章である。しかし,曲調はコレッリが楷書風の折り目正しさを感じさせるものだとすれば,ルクレールにはもっと自由な感情のほとばしりがある。このCDにはルクレール絶頂期の作品5の12曲のソナタから6曲が収録されている。どの曲もいい曲ばかりだが,私のお気に入りはトンボー(追悼曲)として知られる哀切な第6番ハ短調,突然の長調への転調が印象的なガヴォット楽章を持つ第7番ハ短調,冒頭でイタリア風の明るい主題がいっぱいに響き渡る第8番ニ長調,終曲に楽しい急速な舞曲(タンブーラン)を持つ第10番ハ長調。日本のバロック・ヴァイオリンのホープ寺神戸 亮の演奏は,音程が正確で技巧的に安定しており,感情表現も実に伸びやか。クリストフ・ルセ(チェンバロ),上村かおり(ヴィオラ・ダ・ガンバ),鈴木秀美(バロック・チェロ)の通奏低音との息もぴったり。


■アーヨ/バロック・ソナタ・リサイタル

(PHILIPS PHCP-9528)
 イ・ムジチの初代コンサート・マスターだったアーヨがイ・ムジチ退団後の1974年に録音したバロック・ヴァイオリン・ソナタ集。どの曲を弾いてもアーヨのヴァイオリンはイタリアらしい明るく艶やかな音色で耳に心地よい。最初のルクレールのソナタ第3番ニ長調は,明るく華やかな舞曲調のメロディーが楽しい。次のエックレス・ソナタト短調は,この曲をして彼の名を今日に留めさせている唯一の作品。ヴァイオリン学習者なら鈴木の教則本でおなじみの曲であろう。第1楽章冒頭でゆったりと高雅に弾き出される主題は不朽の名旋律。教則本に載っているような技術的には易しい曲でもプロが弾くとこうも違うものか…。3曲目は一番の難曲タルティーニ「悪魔のトリル」。稀代の難曲だけあって,アーヨでさえ技術的にやや苦しいところがあり,音色は美しいのだが全体的に満足感はもうひとつ。「悪魔のトリル」に関する限り,昔モノラルのLPで愛聴したグリュミオー盤の迫力の方が上。小品2曲(パラディス「シチリアーノ」とデプラーヌ「イントラーダ」)はメロディーがきれいな曲だけにアーヨの美質が遺憾なく発揮されている。欲をいえば,ついでにというには難曲だが,もう1曲ヴィターリの「シャコンヌ」も入れてほしかった。しかし,最近はバロックのヴァイオリン・ソナタ集といえば,オリジナル楽器でピッチを下げてヴィヴラートも抑え気味に弾くのが当たり前になっているだけに,今やこういう「現代的」演奏はかえって貴重である。