素晴らしき街Bath


 英国南西部に位置する人口8万人の小都市バースは,1987年に英国唯一のUNESCO世界文化遺産都市に指定された。それはなぜだろうか。
 Bathの歴史は伝説のブラダッド王子(シェイクスピアのリア王の父)が豚たちを連れて疲れた足を引きずり、温泉のそばの清らかな流れにたどり着いたときから始まる。後にブリテン島に進攻したローマ人は,Bathの町に温泉が湧き出ているのを発見し,この町にアクア・スリスという名前をつけ,聖なる泉の女神ミネルヴァの神殿と共にいくつもの浴場を建設した。これが現在は博物館になっているRoman Bathである。
 それから長い年月がたち、18世紀にはジョージ王朝様式の優雅な建築が立ち並んだ。「北のフィレンツェ」と呼ばれるバースの新しい街並がここに完成したのである。18世紀のバースは同時に当時の英国の社交界の中心でもあった。19世紀初頭の大女流作家ジェイン・オースティンは「いったい誰がBathという街に飽きることがありましょうか。」と述べ,同じ世紀の作家ウィリアム・サッカレーは,「歴史上の誰もが訪ね、湯浴みをし,その水を飲んだBath」という言葉を残し,共にBathの比べるもののない魅力を称えている。
 バースが今日あるように優美な建築の宝庫となったのは,上に述べたように18世紀のジョージ王朝の時代である。その代表的建築ロイヤル・クレセントやサーカスだけをとっても,内外の有名人や文化人が集って次々に居を構えていたから,それによって名声はますます高まった。サーカスに住んだ有名人としては,有名な政治家のウイリアム・ピット(大ピット),大肖像画家トマス・ゲインズボロなどがいる。ロイヤル・クレセントの11番地に住んでいたエリザベス・リンリーは1772年にリチャード・B・シェリダンと駆け落ちした。エリザベスの父親トーマス・リンリーは当時のBathの音楽監督だった。また末弟のトーマス・リンリーJrはモーツァルトと同年生れの天才的作曲家で少年時代イタリアでモーツァルトと親交を結んでいる。彼の素晴らしい作品は英国HYPERIONレーベルのCDで聴くことができる。
 ヨーゼフ・ハイドンは1794年に,「今日市街を見て回った。坂を半分ほど上がったところに,ロンドンのどの建物もかなわないような半月形のみごとな建物があった。」と記している。この半月形(Crescent)の建物こそ,ヨーロッパ最高の建築のひとつとされるロイヤル・クレセントのことを指しているのは言うまでもない。ロイヤル・クレセントはバース・ストーンの建物30棟が素晴らしい左右対称のカーブを描き,シンプルなイオニア式の柱と繊細な装飾が施されている。このイングランド初の集合住宅クレセントは,1767年にジョン・ウッド(息子)によって設計された。彼にインスピレーシヨンを与えたのは,ローマのサン・ピエトロ広場を囲むベルニー二作の柱廊だったことは興味深い。
 しかし,何もロイヤル・クレセントやサーカスのような有名な建物だけを焦って見に行く必要は少しもない。しばし人混みを離れて自分の足でゆっくりバースの街なかを歩けば,誰もが必ず素敵な建物や風景を見つけることができるだろう。まさに「飽きることがない」街,それがバースなのである。

Bathこぼれ話
 日本のガイドブックにはBathをAvon州にある街だと記述しているものが多い。しかしながら,実はBathは"Bath&North East Somerset"というCountyに属する。Avon州の州都はBristolであるから,BathとBristolはとても近いのだが、全く違うCountyなのである。しかしながら、英国人でもBathをAvon州の一つの街であると勘違いしている人もいるようである。ちなみに,この地域のCathedral(大聖堂)も昔はBathにあるAbbeyだったらしいが,今はWells(ここには名前の由来となった美しい泉が湧いている)にある美しく壮大な教会がCathedralである。BristoにもCathedralはあるが。
 また,Bathを流れるAvon川はShakespeareの故郷Stratford-upon-Avonを流れるAvon川と異なる。英国には4つのAvon川が流れているそうだ。