エリザベス朝の文学


■「ハムレットは太っていた!」

河合祥一郎 著(白水社)¥2,800
 著者は東大の現役の先生で,その祖母の大叔父は日本で最初にシェイクスピア全作品の翻訳を成し遂げた坪内逍遥であるというから,著者はいわばシェイクスピア学界の王道を歩むサラブレッド研究者である。そういう先生が書く本は,えてして堅苦しくてつまらない本になりがちだが,この本は実におもしろい。シェイクスピアの研究・解説書は邦書に限ってみてもゴマンとあるわけだが,著者の視点は新しい。
 第一に,著者はシェイクスピアの劇作品の初演の舞台を演じた役者たちの姿からシェイクスピア作品を読み解こうと試みている。シェイクスピアの時代は,近代〜現代のように,まず劇が書かれて,それからその作品にふさわしい役者が選ばれて劇が上演されるというのとは違って,劇作家は自分の周りにいる協力者たち(一座の役者仲間)の姿,資質を思い浮かべながら劇を書いたに違いないということなのである。必然的に「初演時の役者たち」は,その劇の成立事情や内容に深く関わっているということになる。
 第二に,著者はシェイクスピア劇の登場人物の「肉体的特徴」から,その作品のキャラクターがもつ時代的・社会的意味を読み解こうとしている。ここで興味深いのは,本書のタイトルにもなっている「ハムレットは太っていた」のように,現代人がもっているキャラクターのイメージとシェイクスピア当時の人々が考えていたイメージがしばしば全く異なるということである。ハムレットの本来の姿は,痩せぎすで神経質な哲学青年ではなく,恰幅のよい太った男であると聞くと,私たちのハムレットに対するイメージも大分変わってくる。往年の名優ローレンス・オリヴィエ演じるところのハムレットも「20世紀」のハムレットなのか…。もちろんシェイクスピア劇のキャラクターをどんな役者がどんなイメージで演じるにせよ,シェイクスピアはシェイクスピアであるところが彼の劇作品の偉大なところなのだが。ちょうど大バッハの鍵盤作品をジャズ風,ポップス風にアレンジしてもバッハの作品はびくともせず,バッハはバッハであるように…。
 研究され尽くされている感のあるシェイクスピアであるが,このようなオリジナリティーのあるおもしろい研究書を読むと,まだまだシェイクスピアには興味深い謎が隠されているのだなという思いを強くする。


■「シェイクスピアを観る」

大場建治 著(岩波新書)¥740
 この本はシェイクスピアを「読む」ためではなく,「観る」ための手引きとして書かれた。さらに言えば,「観る」のは舞台で演じられる劇だけではなく,映画もこれに含まれる。ここで著者が周到に選んだのは喜劇,悲劇,ロマンス劇,歴史劇から1作品ずつ,それぞれ「十二夜」,「ハムレット」,「冬の夜ばなし(冬物語)」,「ヘンリー五世」である。これらの4作品が独立した1章として語られるわけだが,本書のおもしろいのは,紹介の仕方が一様ではなくて,どの章も一つのテーマに焦点を絞っていることである。第1章「それは「十二夜」ではじまった」は,日本におけるシェイクスピア上演の歴史を振り返った興味深い読物。第2章では,今度は本国イギリスに目を移し,「ハムレットはテキストと対決する」と題して,ローレンス・オリヴィエをはじめとする古今のイギリスの名優がどのようにハムレットを捉え,どのように演じたかということが具体的に語られる。「ハムレット」が好きな私にとってはこの章がいちばんおもしろかった。第3章は「「冬の夜ばなし」は腕に覚えの演出家を魅惑する」というタイトルのとおり,演出家の「演出」によってこの作品がどのように変容するかというテーマが中心。日本ではあまりポピュラーでないこの作品は,とくに「読む」より「観る」方が楽しい作品だろうなと思った。終章「映画の中の三人のヘンリー五世」も実際に映画を観た人には感慨深いだろう。ちょうど私が院生の頃ケネス・ブラナーの「ヘンリー五世」が封切られ観に行った。ブラナーがオリヴィエに強い対抗心を持ち,徹底的にオリヴィエの逆をいったというのは,よく考えてみれば監督・俳優として当然という気もするけれども,ビデオでもう一度両者をちゃんと「観」比べたくなった。


■「快読シェイクスピア」

河合隼雄・松岡和子 著(新潮文庫)¥400
 日本を代表するユング派の臨床心理学者である河合隼雄氏と,このページで紹介した「すべての季節のシェイクスピア」の著者であるシェイクスピア翻訳家・劇評論家,松岡和子が組んだシェイクスピア対談集。この2人の組み合わせからいって,対談がおもしろくならないわけがない。河合隼雄さんは,私と同じく関西人だから特別ひいきにいしているというわけではないのだが,駄洒落と冗談を愛し,少しも学者くさくない,それでいて随所に深い知識と洞察を感じさせるところがすばらしいと思う。一方,松岡和子さんはもちろんシェイクスピアの専門家なのだが,「素人」である河合さんが心理学者の視点から指摘した新鮮な作品・キャラクター解釈を会話の中から巧みに引き出している対談上手である。
 取り上げられている全6作は有名作品が多く(「ロミオとジュリエット」,「夏の夜の夢」,「ハムレット」など),どの対談もおもしろくて必ず新しい発見がある。とにかく「一度読んでください」としか言いようがない。今の世情に関係してひとことだけ。最後の章の「リチャード三世」の副題は「悪党は,なぜ興味つきないのでしょう?」である。日本の今の政治家にも小悪党はたくさんいそうだけど,「興味つきない」大物の悪党政治家はいそうにない。時代も国も違うとはいえ,善でも悪でも今の日本は卑小なのか。


■「シェイクスピアの面白さ」

中野好夫 著(新潮社)¥1,300
 最初に出版されたのは1967年と大昔だが,この本の「面白さ」は少しも変わっていない。難しい話は全く抜きにして,シェイクスピアの芝居がどうして面白いのかを軽妙洒脱な筆で綴っている。取り上げられた作品,箇所をもう一度読み直してみたくなること請け合い。


■「シェイクスピアへの旅」

小田島雄志 著(朝日新聞社)¥680
 日本を代表するシェイクスピア研究家・翻訳家の小田島氏が,シェイクスピア本人や作品の舞台を訪ねる旅。昔,朝日新聞の日曜版に連載された企画を単行本にまとめたもの。新聞社の企画だけに美しいカラー写真が多く,文章もシェイクスピアを知り尽くした小田島氏の手によるだけに,ありきたりでない。英国とシェイクスピアを愛するすべての人にお薦めする楽しいシェイクスピアガイド。


■「シェイクスピアと花(カラー花図典)」

金城盛紀 著(東方出版)¥3,800
 著者は神戸女学院の教授であるが,学内に英国から導入された植物を集めた「Shakespeare Garden」を造っているそうである。本書はシェイクスピアの作品に登場したなんと全154種の植物(すべてカラー写真付)と作品を共に解説したもので,大作家がどの作品で,どの花を,どのように取り上げているのか実によく分かる。英国でこのような本があるのか知らないが,日本では他に例がないユニークな本。日本でもおなじみの花も多数載っている。もちろん,シェイクスピアに不案内な読者でも,美しい花図鑑として十分楽しめる。


■「すべての季節のシェイクスピア」

松岡和子 著(筑摩書房)¥2,330
 著者がプロローグに書いているように,シェイクスピアを「読んで」楽しむことと,「見て」楽しむこととの間には差がある。舞台を味わう場合,「書かれていないこと(サブテクスト)」がどのように具体化されているかが,評価の基準だという。本書はシェイクスピアの13作品を取り上げ,演出家や俳優が実際に舞台でどのようにこれらの作品を具体化しているかを分析したものである。シェイクスピアの舞台を味わう入門としても好適であろう。


■「シェイクスピアの劇場―「グローブ座」の歴史」

ウォルター・ホッジス 著 井村君江 訳(ちくま文庫)¥1,165
 400年前の昔,ロンドンテムズ河畔の芝居小屋「グローブ座」でハムレットもオセロもマクベスも,初演が行われた。このグローブ座の歴史,舞台様式,劇場空間の表と裏のすべてがオールカラーで再現されている一冊。当時の人々の衣装も興味深い。


■「シェイクスピアとロンドン」

青山誠子 著(新潮選書)¥800
 シェイクスピアの生きた時代の都市や人々を鮮やかに活写する。シェイクスピアは,このような人間が生き生きと暮らしていた時代に生きていたからこそ,人間臭い劇が書けたのかも知れない。エリザベス朝時代のロンドンにタイムスリップして旅するためのガイドブックのようである。シェイクスピア作品の入門書としても秀逸。
 

■「ユートピア文学襍記 ―キャリバンから火の鳥まで―」

野谷 士 著(山口書店)¥3,800
 シェイクスピアの「The Tempest」の世界を切り口として,シェイクスピアの深い人間洞察力の秘密に迫る。ユートピアとは「どこにもない国」という意味だが,この言葉の裏に隠されている,揺れ動く人間像,さらには権力ではなく人間への愛を貫くことに,また貫くことのできる人間のみが自分自身の内にユートピアを見出せるのだという。長年シェイクスピアを研究する著者が,なぜこれほどまでにシェイクスピアに惹かれるのかという理由がここにはあるように思える。
 

■「シェイクスピアと超自然」

石原孝哉 著(南雲堂)¥2,800
 シェイクスピアの全作品の半数以上に登場してくる魔女や妖精といった「超自然な存在」が,どのような場面で,どのように登場しているかということを手掛かりに,シェイクスピアの思想,当時の政治,宗教,哲学を探った,専門的でありながら一般の興味も惹く好著。
 

■「シェイクスピア・カーニヴァル」

ヤン・コット 著/高山 宏 訳(平凡社)¥2,890
 1914年ポーランドに生まれ,反ナチ地下運動の闘士であり,スターリニズムによる粛清の犠牲者であったというヤン・コットは,まさにシェイクスピア批評界の異端児ともいえる存在である。しかし,彼のシェイクスピア論は常に新鮮で斬新である。「The Tempest」のプロスペローやフォースタス博士を「絶望」し,終末観に打ちひしがれた知識人としてとらえるヤン・コットは,歴史や伝統を重んじる文学批評界と対峙する存在であろう。彼の出世作「シェイクスピアは我らが同時代人」もお薦め。


■「ハムレット読本 ―作品をめぐる批評と創作」

笹山 隆 篇(岩波書店)¥2,100
 「ハムレット」は数多くの人に愛読され,繰り返し論じられてきた。また,様々な角度から解釈され批評されてきた。さらには,日本の代表的な作家の創作活動の源ともなってきた。このような「ハムレット」研究の道しるべとなる一冊。「ハムレット」を研究する人のみならず,この作品を愛するすべての読者にお薦めしたい。


■「ハムレットとオィディプス」

アーネスト・ジョーンズ 著/栗原 裕 訳(大修館書店)¥2,300
 シェイクスピアの「ハムレット」を,精神分析論に基づき解釈する古典的名著。ハムレットの元本となった北欧伝承では主人の復讐は直線的であり,決して逡巡することはない。この伝承をシェイクスピアなりに解釈し,作り変えた意図を考察する過程はとても興味深い。


■「シェークスピアは騙しの天才」

田中重弘 著(文芸春秋)¥1,600
 多くの著名なシェイクスピア研究者が長い歴史の中で築いてきたシェイクスピア批評とは全く対立する視点から,シェイクスピア作品を理解し,謎解きしようとする野心作。この本の評価はともかくとして,著者が推理していく過程がとても面白い。読み物としても十分楽しめる一冊。姉妹本として「シェークスピアは推理作家」もある。
   

■「The Tempest テンペスト」

シェイクスピア 作 エドモンド・デュラック絵/伊東杏里 訳(新書館)¥2,400
 大人の絵本とも言える一冊。美しい挿絵は「The Tempest」の魅力を表現している。シェイクスピア劇の台詞が書かれたオリジナルは多少読みにくさを感じるが,これは物語風に書き直されており,大変読みやすい。幻想的な雰囲気がとても素晴らしく読者を惹きつけてやまない。


■「シェイクスピア名言集」

小田島雄志 著(岩波ジュニア新書)¥580
 シェイクスピア翻訳の第一人者が,シェイクスピア劇中の名セリフ100を選んで歴史,出典,意味,エピソードを平易に語った大人が読んでも楽しめる本。All's well that ends well.(終わりよければすべてよし)。


■「エリザベスとエセックス 王冠と恋」

リットン・ストレイチー 著/福田 逸 訳(中公文庫)¥470
 19世紀末に生まれたストレイチーは,イギリスの新伝記文学の創始者と呼ばれる大伝記作家。1928年に生まれたこの古典的伝記文学が今でも生命力を保っているのは,彼の人物描写が即物的な「ノン・フィクション」ではなく,史実に基づきながらも,素材の選択が行われ,大事なところは思う存分たっぷり書くというメリハリが付けられているからであろう。彼のやり方を恣意的,主観的と批判するのは簡単であるが,一人の女としてのエリザベスを生き生きと描いているという点で,並みの史実的伝記や歴史啓蒙書など足もとにも及ばぬ面白さを持っている。