飛行機編


オープンチケットを買う
 飛行機で英国に行くときに誰もが考えるのは,料金と,使い勝手やサービスの良さとの兼ね合いである。ただ,文部省在外研究員として渡英した私の場合,個人旅行と事情が少し違って特殊であった。英国での滞在費とは別枠で旅費(航空運賃費用)が支給されるが,この旅費で成田−ロンドンあるいは関空−ロンドン間の1年間有効のオープンチケットを購入しなければならないという規則があった。このオープンチケットの値段は約50万円(98年当時494,700円)もしたが,自分でもっと安いチケットを買って,浮いた分を滞在費に回すというようなことはできなかったし,後でオープンチケットを確かに買って実際に使ったという証拠も提出しなければならなかった。  私は関西に在住していたので,関空−ロンドン便のチケットを買わなければならなかった。当時関空−ロンドン直行便を飛ばしていたのは,JAL,ANA,BAの3社であった。このうち,ANAは帰国予定日に飛行機が飛んでいないということでまずボツ。次に,オープンチケットである以上,私自身はどこの航空会社で行くことにしても料金は一緒であるが,同行する家族(妻と4才・1才(当時))の分のオープンチケットが,JALよりもBAの方が値引率がよかったので,往復共にBAを使うことにした。このことが,帰国するとき大問題になろうとは,そのとき予想もしていなかった。

日本を発つ
 予定通り98年6月1日関空発ロンドン行きのBAで日本を発つ。オープンチケットを買ったからといってとくにサービスがよくなるわけではない。1才の次男には本来座席がないが,席に余裕があったので頼んで確保してもらった。シートベルトをいやがって泣くので,結局は,妻が下の子をずっと抱いてあやさねばならなかった。子供たちは,カラフルなナップザックに入ったパズルやお絵かきセットをもらってはじめはご機嫌だったが,それはほんの一瞬だった。子供のために頼んであったチャイルドミールは,ハンバーガーを中心になかなか充実した内容。でも,飛行機の中では子供の食事に手がかかるので,親の方の食事を時間差で後になって運んでもらわないといけない。大人でも退屈する空の長旅であるから,子供は当然のことながらもっと退屈する。うちの場合はゲームブックやシールブックを機内に何冊か持ち込み,それで子供の気をまぎらわせていた。乗客の大半は大人だからなかなか難しかろうが,短い子供向けの番組でも映画の間に上映してくれたら,大分気分転換になるのだが。

BAの関空−ロンドン便が廃止
 英国に着いて新しい生活が始まると,帰りの飛行機などという先の話は忘れてしまう。帰りの便は帰国の1,2ヶ月前に予約すれば十分と聞いていたので,4人分の帰りのチケットは,泥棒に盗まれないように箪笥の奥にしまい込んだまま思い出すこともなかった。ところが98年12月のはじめ,日本からの風の便りで,BAの関空−ロンドン線が98年10月をもって運航中止になったことを偶然知った。運航中止というよりも,BAの関空からの事実上の撤退というべきか。BAの経営状態は日本の航空会社よりはずっとよいはずだが,それだけに自己経営評価がシビアで,不採算路線はすぐに切り落とすということらしい。たしかに,成田−ロンドン線に比べると,関空−ロンドン線の乗客(とくにビジネス客)数は少なく,これからの著しい増加も期待できそうにない。また,英国人に聞いたところによれば,BAはヴァージン・アトランティックと激しい競争をしており,それも路線の見直しにつながったのではないかと言う。いずれにせよ,成田−ロンドン線は残ったものの,関空を最寄りの空港としている旅行者にはBAを使うメリットがなくなってしまったわけである。例えば,KLMを使って関空−アムステルダム−ロンドンと飛んだ方が,一度関空から成田に出てロンドンに向かうより時間的にも早いし料金も安い。

チケットをBAからJALに変更できるよう交渉する
 BAの関空−ロンドン線が廃止されたことで,行きと同様帰りもBAを使うつもりだった私たちは困惑した。チケットを購入した日本の旅行業者にFAXで問い合わせると,成田−関空間の運賃はBAが負担するから,BAのロンドン−成田便に乗ってほしいとのこと。それでは,何のために航空会社を変更できる高いオープンチケットを購入したか分からない。そもそも,BAの都合で関空−ロンドン線が廃止されたのに,他会社の関空−ロンドン線に変更できないのはおかしい。そこで,もう一度交渉してみると,私自身と子供2人のチケットは,何の制限もないオープンチケットなのでJALに変更することができるが,妻のチケットは,オープンチケットはオープンチケットでも,帰りもBAを使うことを条件にディスカウントしたチケットなので,チケットをBA以外に変えることはできないという。ロンドンから関空までダイレクトに帰ってくるだけでも小さい子供2人にとっては大変なのに,成田経由にしてさらに時間を無駄にするのはとんでもない話だ。といって妻だけ別の飛行機で成田経由で帰るわけにもいかない。そこで旅行業者に重ねて陳情すると,とりあえず妻のチケットを日本まで一度返送してくれということになった。…それからは,すんなりとはいかなかったけれども,旅行業者の担当者の尽力により,BA大阪支店が98年12月にクローズするギリギリ前に,妻のチケットを他の航空会社に変更(Endorse)できるチケットに変えることができた。

Endorseの手続きをする
 これで4人とも成田を経由せずにJALで関空に帰れることになったが,Endorseの手続きがまだ残っていた。これは,BAで発行したチケットをBAのカウンターに持参し,Endorsed(権利譲渡)のスタンプを押してもらうものである。BAが他の航空会社に権利を譲渡するという形をとるわけである。これによって,はじめて他の航空会社でも有効なチケットとして使うことができる。旅行業者の話では,帰国日にヒースローでBAでのEndorseの手続きと,JALでの搭乗手続きをいっぺんにやることも可能だという話であったが,手続きがすんなりいくか心もとなかったので,帰国2ヶ月程前にロンドンに用事があったときに,市内のBAオフィスでまずEndorseの手続きをし,続いてJALのオフィスに行って変更の手続きを完了した。余談だが,幼時料金で乗る次男にはチャイルドミールが付いていないので,行きよりもずっと成長していた次男が,一つしかないチャイルドミールのことで長男ともめるのは必至であった。4人とも正規料金の高いチケットを持っているわけだし,大した値段でもないであろうチャイルドミール一つくらいサービスしてくれてもいいのに,JALは子供料金との差額(10万円以上)を払わなければ次男にチャイルドミールは出せないの一点張りだった。JALがそんなにけちくさいとは思わなかった。  ともかく,BAの関空−ロンドン線廃止に端を発した騒動はこれで一件落着となった。98年の12月にBAの運航中止に偶然気付かなかったら,おそらく成田経由で関空まで帰るハメになっていたであろう。いちいち運航中止を英国まで知らせてくれるほど,航空会社や旅行業者は親切ではない(自分たちには少しも得にならないことなのだからなおさらである)。大きな航空会社でも,いつ突然運航中止になるかわからない,だから航空会社の運航状況には常に注意を払っていなければならないということが教訓として残った。

子連れの飛行機旅は大変
 いずれにせよ,小さい子供連れには大変な飛行機旅。下の子はお兄ちゃんのチャイルドミールを羨ましがり,食事のたびに大騒ぎになった。もちろん彼のミールは本来ならば付いていない。スチュワーデスの配慮で大人のミールをおまけしてもらったのだから文句は言えないのだが,上の子も弟に譲ってやれるほど大きくないだけに,その喧嘩の仲裁で妻はほとんど食事をゆっくり取れる状態ではなかった。この大騒ぎが食事のたびにあり,また極度の興奮状態で,下の子はフライトの間一睡もしなかった,それどころかシートベルト着用のサインがつき,イスに縛り付けようとするたびに大泣きであった。BAではイスに座れない子供を大人のひざの上にのせる際の補助ベルトを貸してもらえたが,JALにはそのようなものがないと言われる。ひたすら泣き喚き自分で必死にベルトをはずそうとする我が子を隣の席から慰めるしかない。それでも泣き止まないので,見るに見かねたスチュワーデスさんは機内にあるありとあらゆるおまけのおもちゃを持ってきてせいじの懐柔作戦にでたが,ほとんど効果はなかった。ようやく関空についた頃には親はぐったり疲れてしまったが,妻は「よく寝られてよかったね!私はずっと眠れもしなかっただけでなく,座りも出来なかったんだからね!」という嫌みを私に投げつけたのだ。子連れには地獄の12時間であった。