札南野球部の甲子園出場に寄せて

 2000年8月9日水曜日,わが母校札幌南高校の野球部は昭和14年(1939年)以来61年ぶりに甲子園に出場した。結果は大阪の強豪PL学園を相手に7-0の完敗であったが,7月27日の南北海道大会決勝以来の2週間は,すべての同窓生にとって夢のような時間であったであろう。はるか昔に卒業した高校のことで,こんなにも胸躍る経験というのは,一生の間に何回もできることではない。
 私の住んでいるところで,地方大会(南北海道大会)の模様をテレビで見ることは不可能である。注目の選手がいるわけでもないので,新聞で大きく取り上げられることもない。「61年ぶりの奇跡」の原動力となった皆方君のピッチングを実際に見たのは初めてだ。前半は守備の乱れもあって,大量点を許したが,後半のピッチングは見事だった。
 私が在校生の頃,札南野球部が甲子園に出るなどということは,想像すら出来なかった。全道大会どころか,札幌地区予選で1回勝てればよい方だったからである。高校の記念アルバムに,札幌一中時代の野球部が戦前甲子園に出たときの白黒写真がある。はるか遠い昔の伝説にして,二度と適わぬ夢と思っていた人は多いはずだ。戦前と違い出場校も増え,スポーツ私学全盛の現代にあって,今回の出場は戦前の2回の出場に比べて何倍も価値がある。
 普通の公立校が甲子園に出場できるのは,北海道という「田舎」だからという人がいる。確かにそうかもしれない。神奈川や大阪から公立校が勝ち上がってくるという状況は想像しにくい。しかし,だからこそ,普通の公立校には頑張って欲しい。体格に恵まれなくても(札南には身長160cm代の選手が目立った),専用のグラウンドや室内グラウンドがなくても,創意工夫によって達成できることがあることを示して欲しい。
 2000年の野球部と投手の皆方君は,札幌南高校の歴史で今後「伝説」的存在に祭り上げられるだろう。だが,それで終わってはいけない。伝説は継続してこそ意義がある。次は61年後と言わず,また近いうちに甲子園で「札南」のユニフォームが見られることを期待しつつ。