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◆-アジア女性基金「慰安婦」各国事業─2005.更新
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▼2008──
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韓日間往来者数5百万人に、45年間で5百倍増加
2010/12/19 14:43 KST
【ソウル・東京19日聯合ニュース】韓日間の年間往来者数が初めて500万人を超えたことが分かった。
韓国観光公社と日本の観光庁が19日に明らかにしたところによると、1月から11月28日までに韓国を訪れた日本人は277万7100人、日本を訪れた韓国人は222万7600人で、合計500万4700人に上る。この勢いが続けばことしの年間往来者数は530万人に達する見通しだ。
釜山と日本の九州は大韓海峡(日本名:対馬海峡)を挟んで約210キロメートルの距離にある。また、釜山と長崎県・対馬との距離は50キロメートルにすぎず、晴れた日は肉眼でも見えるほどだ。しかし、歴史的に続いてきた競争意識や壬辰倭乱(文禄・慶長の役)、日本の植民地支配などによる感情の溝が深まったために、韓日の関係は「近くて遠い国」と表現されてきた。
国交が正常化された1965年の両国間の往来者は約1万人にすぎなかった。しかし、韓国の経済復興や海外旅行自由化により両国間の人的交流は爆発的に増え始め、2004年に初めて年間往来者数が400万人を超え、6年後のことしは500万人を達成し「近くて近い国」となった。
これまで日本人観光客は、少ない費用で旅行できる観光地として韓国を訪れる場合が多かったが、最近はショッピングや韓流に対する関心が高い若い女性が日本人観光客増加に寄与している。ことし韓国を訪問した日本人観光客は昨年(305万人)に比べやや減少すると予想されている。しかし、20代以下の日本人女性観光客は昨年より8.9%増加し、20〜30代女性まで含めると2.2%増加したことが明らかになった。
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日本の高校が初の済州修学旅行
現地高校とも交流 2008/09/29 KST
【済州29日聯合】 日本の高校生が交流や行事訪問目的でなく、修学旅行として初めて済州島を訪れる。済州道は29日、長野県の松代高校の修学旅行生203人が30日に名古屋発のチャーター便で済州を訪れると明らかにした。10月3日まで滞在し、松岳山陣地洞窟や平和博物館、抗日記念館、済州民俗自然史博物館など済州の歴史・文化観光地を訪れる。2日午前には、相互理解の幅を広げる意味で西帰浦高校の生徒との出会いの場も設けられる。
同道の海外マーケティング担当者は、これを機に外国人観光客誘致のニッチ市場(すき間市場)として日本の修学旅行生を活発に誘致していきたいと話した。
NAVER/YTN-TV
「日本の高校生が、修学旅行では初めて済州(チェジュ)を訪れました」「日本の学生達は済州の日本軍戦跡地を見学して、歴史認識を深めて行く時間を持ちました」
「コ・ゼヒョン記者の報道です」 【コ・ゼヒョン記者】 「日本の松代高校の修学旅行団約200人が、済州島に訪れました」「真っ先に動いた場所は、太平洋戦争当時に日本軍が済州島に作った軍事施設です」「3泊4日の修学旅行期間の大部分を、洞窟陣地や日本軍格納庫など、済州地域にある日本軍軍事遺跡の見学に割きました」「この高校が済州にある日帝の戦跡地を、修学旅行に選んだ理由は歴史を忘れないためです」
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日本大衆文化開放から10年、韓日専門家が対談
10月8日 YONHAP NEWS
【ソウル7日聯合】高麗大学日本研究センターで7日、「日本大衆文化の開放10周年と韓日関係」をテーマに、京都大学の小倉紀蔵准教授と韓国文化観光政策研究院の蔡芝栄(チェ・ジヨン)責任研究員よる座談会が行われた。翌8日に開催される「韓日共同宣言〜21世紀に向けた新たな韓日パートナーシップ〜」10周年記念シンポジウムのオープニングイベントともなるもので、双方は文化開放が韓日に与えた影響、「韓流」「日流」の意味付け、今後の文化交流のあり方などについて率直な意見を交わした。
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金芝河氏が左派批判に乗り出した理由
2008/10/10 朝鮮日報
詩人の金芝河(キム・ジハ)氏が9日付のネット新聞「プレシアン」に投稿した『左翼に問う』と題する文の中で、韓国社会の極左勢力を激しく非難した。ソウル市庁前広場でのキャンドル集会を政権奪取のために利用しようとした一部左派勢力について金氏は「極左」と規定し、「進歩は極左ではない。また、わたしのような中道進歩は極左とは全然違う」と宣言した。
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国会女性委、慰安婦名誉回復決議案を決議
2008/10/08 KST 聯合
決議では、韓国政府は日本政府が謝罪、賠償などを履行するよう積極的な役割を務めることを求めている。
申楽均委員長は、慰安婦被害に関する日本の謝罪と賠償問題は1993年の国連世界人権会議から現在まで提起されている世界的懸案だと指摘し、第18代国会で強制慰安婦名誉回復決議案が採択されるよう最善を尽くすと述べた。
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既存の韓国歴史教育に一石を 代案教科書の李榮薫教授 9月7日産経新聞 2008
民族史観に挑戦した「代案教科書 韓国近・現代史」
対日史観で日本との摩擦がたえない韓国だが、その韓国で新史観の試みが始まっている。あしかけ3年がかりで完成、今春、書店に並んだ「代案教科書 韓国近現代史」は、既存の韓国の歴史教育に一石を投じようという日本時代の新評価を含む“民間版の歴史教科書”だ。金大中、盧武鉉政権と続いた韓国の進歩派政権下で生まれたニューライト運動(新保守運動)としてスタートした。代案教科書の編集責任者、李榮薫(イ・ヨンフン)ソウル大教授(経済学)に目指すところを聞いた。
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10万、5万ウォン札
円・ウォンレート、1万円が現在約8万ウォンで、両替すると万紙幣でかなり分厚くなる。韓国で普通の食事が5000ウォン、携帯電話機が30万ウォン〜50万ウォンくらい。インフレ物価高もあり、万札がどんどん使われる。そこでこんど韓国銀行で10万、5万ウォンの紙幣肖像がきまり、09年から出回ることになった。肖像は、10万には金九(キムグ、対日独立運動、1876〜1949)、5万に申師任堂(シンサイムダン、女性書画家、1504〜51)。
10萬ウォン札に金九
朝鮮日報2007.11.6から
韓国銀行(韓銀)は昨日、2009年から発行する予定の10万ウォン札と5万ウォン札に、それぞれ白凡(ペクポン=号=)・金九(キム・グ)と申師任堂(シンサイムダン)の肖像を採用すると発表した。45年前に発行された100ウォン紙幣の母子像は特定の人物ではなかったため、今回の申師任堂が事実上韓国で初めて紙幣に登場する女性ということになる。
これまで5万ウォン紙幣に採用する肖像については、さまざまな人物が取り沙汰されてきた。その中でも科学者では蒋英實(チャン・ヨンシル)、女性では申師任堂や柳寛順(ユ・グァンスン)が有望視されていた。一方、一部の女性団体は申師任堂の「良妻賢母」的イメージが現代の女性にはふさわしくないとして反対していた。また、世論調査で支持の多かった柳寛順が脱落したことに反発する声もあった。
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「太平洋戦争犠牲者支援法、真の解放へ第一歩」遺族会長
聯合ニュース 2007/07/04から
【ソウル4日聯合】3日の国会本会議で「太平洋戦争前後の国外強制動員犠牲者の支援法」が通過したことについて、太平洋戦争犠牲者遺族会本部のヤン・スンイム会長は同日、「『太平洋戦争の犠牲者』と認められたことが最も大きな成果だ。真の解放へ第一歩を踏み出した」とコメントした。
この法案は太平洋戦争前後に国外に強制連行された人のうち、死亡・行方不明になった人の遺族に対しては犠牲者1人当たり2000万ウォンの慰労金を、生存者には1人当たり500万ウォンをそれぞれ支給する内容を骨子とする。
ヤン会長は国会で法案が通過した瞬間、10年以上も前に法案のために苦労して全国行脚した強制連行の生存者が思い浮かんだという。足をはらし血が出ようとも雨に濡れながら行脚を続けた高齢者は「今降る雨は先に旅立った友の涙だ。むしろうれしい」と話していたとして目のふちを赤くした。
ヤン会長が会長を引き受けたのは、義父が日本に強制徴用され死亡したという痛みと、遺族らに対する政府の冷遇のためだ。1971年に政府が「対日請求権」として補償方針を打ち出したことから役所を訪ねたが日本での死亡確認書を求められ、関係機関を回るうちにほかの遺族らも政府から冷遇されていることを知り、遺族会の活動を始めたと説明した。遺族会の活動は1971年から37年に及ぶ。法案通過までの道のりでつらいことも多く会長職を投げ出すことも考えた。しかし、熱心に活動する会員と、国民から次第に忘れ去られようとする太平洋戦争の犠牲者と歴史を考え、歯を食いしばってここまで来たと語った。
ヤン会長は、政府が昨年国会に提出した法案の名称は「日帝強占下の国外強制動員犠牲者などの支援に関する法律案」だったが、「日帝強占下」という用語は国際社会で客観的に認められない国内向けの言葉にすぎないとした。「太平洋戦争」という言葉がふさわしく、これを認められたこともうれしいと述べた。
「法案通過の第一歩を踏み出すまでが大変だった」と話すヤン会長は、今後の目標として、太平洋戦争の戦傷者に対する医療支援金問題と遺族のための奨学基金設立を掲げた。
*注
2007.7.3 「太平洋戦争前後国外強制動員犠牲者など支援に関する法律」が国会本会議で可決された。当初の政府案に対し遺族らの要求により修正を加えたもの。
その内容は(1) 強制動員犠牲者遺族に対して、1家族当り2千万ウォンの慰労金を支給、(2)負傷で障害を受けた人には、1人当り2千万ウォン限度で障害のレベルよって支給、(3)生存者に対しては
1人当り5百万ウォンの慰労金を支給、(4)未収金は1円当たり2千ウォンに換算して支給、(5)
生存者に対して、治療費用の一部を医療支援金で支援することを骨子にしている。
韓国政府は、韓日請求権協定で国家と国民間の財産的価値がある請求権に対して解決されたことであり、強制動員された被害者たちの請求権は消滅しなかったが、政府の外交保護権を放棄したことで権利行使を阻害して来たことに対し、人道的に、道義的な次元で救済措置を用意したと明らかにしている。
韓国を訪問した日本人観光客、昨年は234万人に
2007/01/30 20:57
【ソウル30日聯合】韓国観光公社が30日に明らかにしたところによると、昨年韓国を訪れた日本人の数は233万8900人だった。ウォン高円安で海外観光客誘致競争力が弱まったものの、積極的な広報が効果を上げたと評価した。今年はシルバー層を対象とした高付加価値商品の開発や韓日文化交流事業の拡大などで総力戦をかける計画だ。
一方、昨年日本を訪れた韓国人の数は211万7000人だった。観光公社関係者は、「最近、一部マスコミが、日本を訪問した韓国人の数が韓国を訪問した日本人の数より多いという推測の報道を出しているが、実際の統計事実とは異なる」と強調した。
*注・日本の入管出入国統計06年によると、韓国からの日本入国は約237万人。これは再入国数も含む。
歌手ユンナ、日本政府が観光親善大使に任命
聯合ニュース 2007/05/15 10:55 KST
【東京15日聯合】韓国と日本で活躍する歌手ユンナが、日本政府の観光親善大使に任命された。冬柴鉄三・国土交通相から14日に任命状が渡された。ユンナは「音楽を通じ韓国と日本の仲介者になれるように努力したい」と感想を語った。
ウォン高円安を背景に日本を訪問する韓国人観光客が急増、昨年は初めて200万人を超え、約211万人を記録した。国土交通省は「韓国は日本の最大観光市場であり、日本が観光客誘致に最も重点を置いている国」と説明している。
ユンナは今後、JVC(ビジットジャパン・キャンペーン)の広報を担うことになる。韓国で放送されるCMに出演するほか、日本を紹介するイベントなどに参加する。
小泉首相靖国参拝違憲・賠償訴訟で、東京高裁は控訴請求を棄却
2001年8月13日、突然小泉首相は(15日を繰り上げて)靖国神社を公式参拝した。この年8月、韓国・遺族会は11日から靖国に座り込み抗議、ハンストを行った。
判決について朝日新聞はつぎの通り報じている。
首相と都知事の靖国参拝訴訟、憲法判断示さず 東京高裁
2006年 6月28日 、朝日新聞
小泉首相と石原慎太郎・東京都知事の靖国神社参拝をめぐり、同神社に肉親が合祀(ごうし)されている日本と韓国の戦没者遺族を含む約140人が首相や都知事などを相手に、参拝の違憲確認と1人あたり3万円の賠償などを求めた訴訟の控訴審判決が28日、東京高裁であった。安倍嘉人裁判長は「原告らの法的に保護されるべき権利が侵害されたとはいえない」と述べ、一審・東京地裁で全面敗訴した原告側の控訴を棄却した。参拝が憲法に違反するかどうかや、公的なものかどうかの判断は示さなかった。
原告側は「憲法判断は不可欠」と主張したが、安倍裁判長は「憲法適合性が原告らにとって重大な関心事であるとしても、本件で憲法判断をしなければならないという理由はない」と退けた。
原告らは、国家によって肉親の死に一定の評価を与えられない権利▽平和への思いを巡らす自由――などが参拝で侵害されたと訴えていた。
問題になったのは、小泉首相の01年8月の参拝と、都知事の00年、01年の参拝。
最高裁も今月、同種の3訴訟で憲法判断を示さないまま原告側の上告を棄却している。
ハン・ミョンスク 韓明淑議員 略歴:
1944年平壌生まれ。梨花女子大女性学科大学院修士、御茶ノ水大学博士課程修了。韓国女性団体連合共同代表、女性部長官、環境部長官など歴任。第16〜17代国会議員。開かれたウリ党常任中央委員(現)
強制徴用での死亡者に2000万ウォンの支援方針
2006/03/07 聯合
日本植民地時代に強制徴用され海外で徴用期間中に死亡した被害者の家族に対し、政府は被害者1人あたり2000万ウォンを支払う内容を盛り込んだ強制徴用被害者支援案を8日までに確定する方針を固めた。
政府当局者は7日、あす午前に韓日会談文章公開後続対策関連官民共同委員会の会議を開き、強制徴用被害者支援案を確定する計画だと明らかにした。政府がまとめた支援法案は、日本植民地時代に海外に強制徴用された韓国人約103万人のうち、徴用期間中に死亡または負傷した10万人の被害に対し金銭面で支援するもの。無事帰国した約90万人に対しては未払い賃金の支払いや医療支援など、社会福祉レベルで優遇する内容も含むという。
強制徴用期間に死亡した場合については、海外の事例などを検討した結果、1人あたり2000万ウォン支払うと暫定決定した。8日の会議で意見を取りまとめ、最終的に支援額を決定する予定。また、未払い賃金は当時の1円を現在の120円に換算し、1990年代の台湾の事例を参考に適切な額を支援する方針だ。
政府当局者は、「韓国政府に法的責任があると認め補償を行うわけではなく、韓日請求権協定後の韓国政府の保証が不十分だったとの認識に基づき、道義的、国民和合の意味で支援を行う」と説明した。
政府は8日の会議で同支援案を決定後、立法予告し、公聴会などの過程を経て法案を国会に上程する計画だ。しかし、被害者団体が政府案に反対を表明しており、難航が予想される。
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安重根の伊藤博文射殺から、この10月、100周年。
いまソウル南山に新館建築中の記念館。現在の訪問者は、どうも日本人が多いらしい。韓国で、そう報道されている。
ソウルタワーの建つ南山は、日本時代に朝鮮神宮をおいたところ。
歴史の皮肉?
ソウル・南山の安重根記念館、日本人「ざんげ」の場に
聯合ニュース 2009/10/22 16:40:17 入力
【ソウル22日聯合ニュース】独立運動家・安重根(アン・ジュングン)が日本の伊藤博文を射殺してから、ことしで100年となる。ソウル・南山の安重根義士記念館では、若い観覧客の姿が目につく。
彼らは安重根の生涯を紹介する映像や写真などを観覧し、北東アジアの平和を願った故人の志をたたえた。ある30代の観覧客は、「南山公園はよく訪れていたが、記念館には初めて足を運んだ。1度も来たことがないのは恥ずかしいと思って」と語り、記念館に入って行った。
記念館は、南山図書館前に位置するが、ここには日帝占領期、日本の朝鮮支配を象徴する朝鮮神宮が建てられていた。朝鮮を植民地化した日帝は、精神的・宗教的支配を図るため、1920年に南山に官立の神社を建立し、朝鮮人に参拝を強要した。
解放後に神社を解体した韓国政府は、伊藤博文を射殺し殉国した安重根の生涯をたたえ、崇高な愛国精神と平和思想を内外に広めるため、1970年に跡地に記念館を建てた。
記念館が設立されて以来、同地は日本人観光客が訪れるようになり、朝鮮侵略をざんげする場所となった。2005年には、明成皇后(閔妃)の殺害(乙未事変)に関与したとされる日本人の孫らが記念館を訪れ、涙を流した。安重根を研究する宮城県の市民団体が毎年3月に訪れているほか、安重根が旅順刑務所に収監されていた当時、担当看守だった千葉十七氏の遺族も、記念館と交流を続けている。
記念館関係者は、「韓国に来て真っ先に記念館を訪れるという日本人観光客もいる。彼らはここで安重根の志を振り返り、過去の侵略先戦争を反省する」と伝えた。
一方で、韓国人の足は記念館から遠のく一方だ。1日の訪問者数は100〜300人水準で、毎年減っていると、記念館関係者は話す。学校の団体見学がなければ、むしろ日本人観光客のほうが多いと感じられるほどだという。訪問客が減る理由は、「歴史認識が薄れているため」との指摘もあるがあくまで推測で、これといって思い当たらないとしている。現在の建物の裏に新しく建設中の記念館が完工すれば、また多くの市民が記念館を訪れるのではと期待をかけている。
約150億ウォン(約11億5000万円)の建築費が投入された新しい記念館は、延べ面積約3800平方メートル(現在は約590平方メートル)で、地上2階、地下2階建て。2010年10月の完工を目指している。安重根の遺物・遺品をはじめ、伊藤博文暗殺を誓い左手薬指を切断した「断指同盟」会員12人の遺物などが展示されるほか、サイバー焼香所や映像資料上映館なども設けられる。インターネットポータルサイトなどで行われた記念館設立募金運動には、15日現在5000人余りが参加し、15億ウォンほどが集まった。
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西大門独立公園、一般開放ソウル
聯合ニュース 2009.10.27
【ソウル27日聯合ニュース】ソウル市は27日、西大門独立公園を28日から一般開放すると明らかにした。
西大門独立公園の再造成事業は、239億ウォン(約19億円)余りを投じ昨年8月から進められてきた。間違った空間設計により無秩序に配置されていた独立門や3・1独立宣言記念塔、独立館、西大門刑務所歴史館など公園内の各施設を有機的に連結した。
また、独立門の周りには1万平方メートルの独立広場が造成された。門を囲んでいた鉄のフェンスは撤去され、門の下を自由に行き来できるようになった。独立門は独立協会の募金により1897年に自主独立の象徴として建てられたが、1979年の城山大路開設に伴い道路の中央に移されからは、立ち入りが制限されてきた。
市は、公園を観光客が訪れるだけでなく、学生たちの生きた歴史教育の場として活用され民族の独立精神を広める空間になるものと、期待を寄せている。
28日午前10時から完工式と西大門刑務所歴史館芸術祭が、同日午後7時には記念祭が開催される。