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長野県長野市

尼厳城


2015年06月13日

伝承によれば、尼厳城(別名東条城)は、鎌倉時代以前から築城されていた難攻不落の山城である。周りの霞城、金井山城、寺尾城はその支城と伝えられている。
弘治2(1556)年、武田信玄は真田幸隆に尼厳城の攻略を命じた。城主の東条氏はよくこれに抗したが、高坂弾正らの武田軍の加勢により、ついに城は落城し、東条氏は越後の上杉謙信の元へ逃れた。
その後、城は信玄の命により改築され、永禄3(1560)年頃、山本勘助により海津城(松代城の原形)が完成すると、防衛的な山城として重要視された。
天正10(1582)年、武田勝頼が織田信長との天目山の戦いに敗れ、武田氏が衰退すると、上杉景勝らの援護のもとに、北信濃の所将は旧地を回復し、上杉家臣となっていた東条信広も尼厳城将として復帰した。
慶長3(1598)年、上杉景勝が会津120万石に移封され、これにともなって東条氏ら川中島の将士達も会津に移ったため、尼厳城は400年以上の山城の歴史に幕を閉じ廃城となった。
現在も急峻な山頂一帯に、永い風雪に耐えた本郭、腰郭、堀切などの一部が残っている。
(看板資料より)

本郭


石垣跡

尼厳城は金井山・寺尾両城を見下ろす尼厳山にある。古くは尼厳・金井山・寺尾の三城は一体のもので、尼厳城は詰城として用いられていたと思われる。この城から善光寺平はもちろん、小県郡境まで見通すことができ、見張りには最適の場所である。山麓には古くからこの地を通って小県郡に抜ける地蔵峠道があったことが知られ、日蓮上人が佐渡流罪及び赦免の折に通ったという話も伝えられている。従って尼厳城はこの道を制するためのものと考えることもできる。加えて尼厳山は北を除く周囲に二段にわたって急崖がめぐっている天険の地で、攻めるに難く、守るに易く、詰城に適している。
ところで、尼厳城は東条氏の要害と伝えられているが、金井山・寺尾両城は寺尾氏のものであったという。この事実は、三城一体の考え方にはそぐわない。しかし『諏訪御符札之古書』の長禄4年(寛正元、1460)の項に、東条遠江守が代官を置いてこの地の英多庄中条を知行していることが記されている。またその後の寛正6(1465)年以降に寺尾氏の名が出てきて、なんらかの変動があったことを示している。両氏の間には相対するものがあったらしく、百年を経ずして行われた天文19(1550)年の武田晴信(信玄)の戸石攻めに際し、寺尾氏は村上義清に叛旗を翻した。しかし東条氏がこれを拒んだことは、後に晴信が真田弾正忠宛の書状で、尼厳城を片時も早く落とすよう督促している事実からも知ることができる。落城後、東条氏は越後に走り、晴信は同城の普請を西条氏に命じている。また天正年間(1573〜1592)に上杉景勝の勢力がこの地に及ぶと、同城を旧城主の東条遠江守信広に守らせている。海津外郭城としての役割をもたせていたのであろう。
(日本城郭大系より)

岩場


堀切

山頂南端に幅8m、長さ23mの本郭と、それを取り巻く腰郭があり、本郭上に石組で囲った井戸状のものが現存しているが、なんの遺構かは不明である。本郭西に浅い堀切を隔てて10m四方の二の郭がある。その南東隅は鳥の嘴状のいわゆる出隅であり、本郭との堀切内に井戸跡が残っている。二の郭西に深さ4.5mの堀切を置き、不整形の三の郭と堀切があるが、両者の堀切は腰郭に連続している。四の郭は東の堀切側を土塁状に盛り上げ、傾斜気味の五の郭に続く。山の背はこれ以降北寄りになるが、堀切の後ろに長方形の郭が三つ連続し、深さ5mの大堀切に達する。その後半月形の郭の下に堀切があるが、この堀切と大堀切とは裾の部分で竪堀となってつながっている。つまりこの城の大手は北西である。
(日本城郭大系より)

堀切

本郭南西と腰郭の中間に高さ1m、長さ4mの平石横積みの石垣があり、その下に幅1mの犬走り状の平坦面を置き、さらに石垣がある。かつてはこのような石積みが本郭の周囲にあったのか、それとも搦手との連絡用の通路跡だったのかは不明である。尾根が続く南西に半月状の段郭が二個あり、その法面の北辺に平石が置かれていたように見受けられる。10mほど地山を下ると大きな岩に達するが、そこは断崖の先端となっていて見晴らしがよい。また腰郭北東にも土塁状の施設を配置し、矢竹が群生している。
(日本城郭大系より)

堀切


皆神山

尼厳城の要所、例えば各郭の隅や縁には、適宜、大石を置くなど、しっかりとした築造であるが、これだけ標高の高い山にこのような厳重な構築がされているのは珍しいことといわねばならない。恐らく実戦の結果、このような堅固なものになったのであろう。落城後は武田方によって手を加えられているが、それがどの程度のものであるかは後究に待ちたい。なお、大手・搦手は共に登路が急坂なため、馬などとても使用できそうにない。
(日本城郭大系より)

岩場

 
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