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長野県長野市

寺尾城


2015年06月13日

寺尾城は松代町東寺尾にある。地の利を生かし、天険の地に築かれた寺尾氏の要害で、平野部に半島状に突き出た城山の最高所にあって、のちには海津城の東方の外郭として重要な位置を占めるようになった。
寺尾氏は戦国時代には村上氏に属していたが、清野氏と共にいち早く甲斐の武田方になびいた。天文19(1550)年、武田晴信の戸石崩れの際、村上義清が高梨政頼と共に寺尾氏を攻めたことを清野氏が報じ、武田方の真田幸隆が救援に赴いているが、その時の攻防はこの城をめぐってのものと推察される(高白斎記)。
天正10(1582)年の武田氏滅亡後は、越後の上杉景勝に属し、依然として同城にあったが、景勝の会津転封に伴い、千六百五十石を給せられて当地を去ったため、寺尾城は廃城になったものと思われる。
(日本城郭大系より)

愛宕社

本郭

寺尾殿之墓

 



2009年10月04日

寺尾殿之墓

今年の5月に来たときには膝を痛めてしまって階段すら登れずに麓の愛宕社の参拝しかできなかったので今回立ち寄りました。階段を登っていくと神殿があってそこに地元の人がいたので寺尾城の場所を聞いてみたら、ここから更に登っていくと教えてくれました。神殿の奥の方から登れるとのことでしたが手前にも登山道らしきものがあったのでそこから登って行きました。途中下の写真のような石垣のゆなものが何箇所かありました。そのうちなかなか何も出てこないのであきらめて下山しようと思ったのですが、ある程度登るとあとはやや平坦になり、そして郭を何段か登り最高部に上の写真のように寺尾殿之墓と彫られた墓石がありました。

石垣跡


2009年05月04日

寺尾城は松代町東寺尾にある。地の利を生かし、天険の地に築かれた寺尾氏の要害で、平野部に半島状に突き出た城山の最高所にあって、のちには海津城の東方の外郭として重要な位置を占めるようになった。
寺尾氏は戦国時代には村上氏に属していたが、清野氏と共にいち早く甲斐の武田方になびいた。天文19(1550)年、武田晴信の戸石崩れの際、村上義清が高梨政頼と共に寺尾氏を攻めたことを清野氏が報じ、武田方の真田幸隆が救援に赴いているが、その時の攻防はこの城をめぐってのものと推察される(高白斎記)。
天正10(1582)年の武田氏滅亡後は、越後の上杉景勝に属し、依然として同城にあったが、景勝の会津転封に伴い、千六百五十石を給せられて当地を去ったため、寺尾城は廃城になったものと思われる。
(日本城郭大系より)

寺尾城を探している時に出会ったご夫婦から寺尾城跡は松代の愛宕社から登っていくことができるという情報を教えてもらったので愛宕社に向いました。階段の横には説明も書かれていました。階段を登りかけたのですがどうしてもそれ以上登ることができず今回は断念しました。

 

 
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