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長野県茅野市

安国寺門前古戦場

2014年05月18日

武田晴信(信玄)は天文11(1542)年に諏訪を攻略し、妹婿の諏訪惣領家頼重を自刃させ滅亡させた後、宮川を境に東は武田が直領とし、西は晴信とひそかに通じていた高遠頼継が領するところとなった。しかしあきたらない頼継は急に兵をあげて諏訪を一手におさめようとした。
晴信は直ちに5千の軍団を引き連れ諏訪頼重の遺児虎王を擁して出動。9月25日に安国寺門前のこの辺一帯で両軍の大激戦があり、700余人の戦死者を出して頼継は敗退したのである。
(看板資料より)

 



2005年09月11日

武田晴信(信玄)は天文11(1542)年に諏訪を攻略し、妹婿の諏訪惣領家頼重を自刃させ滅亡させた後、宮川を境に東は武田が直領とし、西は晴信とひそかに通じていた高遠頼継が領するところとなった。しかしあきたらない頼継は急に兵をあげて諏訪を一手におさめようとした。
晴信は直ちに5千の軍団を引き連れ諏訪頼重の遺児虎王を擁して出動。9月25日に安国寺門前のこの辺一帯で両軍の大激戦があり、700余人の戦死者を出して頼継は敗退したのである。
(看板資料より)

この付近で武田軍と高遠軍との間で合戦があったことは知っていたのですが、以前、安国禅寺に来たときにはそれらしき史跡を見つけることができませんでした。しかし今回干沢城に行く途中に再び安国禅寺の前まで来てみたら、「茅野市安国寺区史蹟案内図」というものがあり、その中に安国禅寺の前に「門前古戦場」との記載があったので安国禅寺の向かいを確認してみたら上の写真のように案内看板がありました。

 

 
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