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長野県筑北村

青柳

2014年11月16日

青柳城跡及び館跡
清長寺の館跡・その下の寺小路の両側の侍屋敷・青柳城山の山城を合わせた中世の城跡である。初めは、坂北村全部と本城村の大部分を本領にしていた青柳氏の城であった。小笠原氏滅亡後、武田信玄は川中島への拠点として改修し天文22(1553)年にここに10日間泊まっている。
武田氏滅亡後は小笠原貞慶がまた川中島への拠点とした。天正11(1583)年4月から翌年までの1年間小笠原貞慶と上杉景勝との間で、ここと麻績城の取り合いが4回繰り返された。天正15年に青柳氏が滅亡して、小笠原氏の家臣の松林氏が在番している。実戦の行われた数少ない城のうちの一つである。山城には武田・小笠原の改修により、各時代の特色が残っている。
(看板資料より)

中世青柳氏累代居城の跡。居館跡とともに長野県の史跡。通称「城山」(標高905メートル)と呼ばれる山頂に築かれ、難攻不落の要害であった。大小8つの郭跡と東に7条の空掘がある。
天文22(1553)年武田氏と上杉氏が、また天正11〜12年(1583〜1584)には小笠原氏と上杉氏が攻防戦を行うなど、数多い実戦のあった山城で、今も各所に石垣や空掘の跡が残っている。
当時の山城としては大規模なもので、その支城として竹場城址(鍋山城址)と仁熊城址(隠城)があった。山頂に立てば眺望はすばらしく、北アルプスの山並みが一望できる。
(歴史の散歩道:麓の看板資料より)


二重堀切

尾根上を通っての攻撃を防ぐためのもの。竪堀に連続させた大規模なものである。
(看板資料より)


竪堀

緊急時には物資補給路(堀底道)としても使用される。
(看板資料より)


二重堀切


土塁

東の尾根からの見通しをさえぎるとともに、攻撃から城の主要部分を守るためのもの。ここから先の原型は青柳氏時代に築かれたものと思われる。
小笠原貞慶時代の構築か。
(看板資料より)


堀切


五の郭

ここから一の郭までが青柳山城の主要部分である。このような広さの郭には建物があったと思われる。
(看板資料より)


土橋

通路部分だけ堀残して通りやすくする。
(看板資料より)


四の郭


三の郭

青柳山城への大手の道はここに上がってくる。二の郭へ登る部分は、少し折れた坂とし右手から攻撃する。ここから一の郭への守りは、土塁と道の折れとを用いて厳重である。
(看板資料より)


冠木門


二の郭


石垣

戦国時代最末期のものと思われる。石の線が横に通っているこのような積み方を布目積みという。小笠原貞慶時代の拡張時に築かれたものと思われる。
(看板資料より)


虎口

一の郭へ登る防備上重要な部分。鍵の手に曲げて登りにくくしている。竹田新家時代のものと思われる。
(看板資料より)


一の郭

平時は見張台、籠城の時は城主の館などが置かれた所。
(看板資料より)

 



2003年09月22日

 

青柳城跡及び館跡
清長寺の館跡・その下の寺小路の両側の侍屋敷・青柳城山の山城を合わせた中世の城跡である。始めは、坂北村全部と本城村の大部分を本領にしていた青柳氏の城であった。小笠原氏滅亡後、武田信玄は川中島への拠点として改修し天文22(1553)年にここに10日間泊まっている。
武田氏滅亡後は小笠原貞慶がまた川中島への拠点とした。天正11(1583)年4月から翌年までの1年間小笠原貞慶と上杉景勝との間で、ここと麻績城の取り合いが4回繰り返された。天正15年に青柳氏が滅亡して、小笠原氏の家臣の松林氏が在番している。実戦の行われた数少ない城のうちの一つである。山城には武田・小笠原の改修により、各時代の特色が残っている。
(看板資料より)

中世青柳氏累代居城の跡。居館跡とともに長野県の史跡。通称「城山」(標高905メートル)と呼ばれる山頂に築かれ、難攻不落の要害であった。大小8つの郭跡と東に7条の空掘がある。
天文22(1553)年武田氏と上杉氏が、また天正11〜12年(1583〜1584)には小笠原氏と上杉氏が攻防戦を行うなど、数多い実戦のあった山城で、今も各所に石垣や空掘の跡が残っている。
当時の山城としては大規模なもので、その支城として竹場城址(鍋山城址)と仁熊城址(隠城)があった。山頂に立てば眺望はすばらしく、北アルプスの山並みが一望できる。
(歴史の散歩道:麓の看板資料より)

土塁

東の尾根からの見通しをさえぎるとともに、攻撃から城の主要部分を守るためのもの。ここから先の原型は青柳時代に築かれたものと思われる。小笠原貞慶時代の遺構か。
(看板資料より)


二重堀切

入口から少し歩いたところにあった二重堀切で写真で見るよりかなり大きな規模のものです。直接通ることはできないので横にまわって先に進みます。


一の郭からの景色

私は山のことは詳しくないので分からないのですが、職場の詳しい人の話では、見えている山は北アルプスの蓮華岳、爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳、唐松岳、白馬岳とのことです。
青柳城は山城のテーマパークのようなところでした。各場所にそれぞれの説明が書いてあるので私のように城跡めぐり素人でも分かりやすくてよかったです。
また一番奥まで行ったところから見える北アルプスの景色は最高でした。ここは史跡巡りに興味がない人でも十分に楽しめるところだと思います。


一の郭の石垣

戦国時代最末期のものと思われる。石の線が横に通っているこのような積み方を布目積みという。小笠原貞慶時代の拡張時に築かれたものと思われる。
(看板資料より)

 

 
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