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静岡県藤枝市

朝比奈城

2014年12月28日

朝比奈城址は、岡部町役場から北西へ朝比奈川に沿って約5q北上した朝比奈郷の中心殿(との)部落背後の山頂にある。
朝比奈郷は駿河北部山間地を東西に走る間道の中継地として早くから開けた所で、すでに弘安7(1284)年7月、左衛門尉頼資が朝比奈山地頭職(じとうしき)に補せられ、以後朝比奈氏を称して数代にわたり本領地として継承された。
朝比奈氏は比較的早い時期に駿河守護職となった今川氏に従属したため、一族の多くは今川家の重職に抜擢され、数多く県内各地に分布したが、同氏に関する研究は進展していない。
(日本城郭大系より)

戦国時代に岡部氏と並ぶ武将朝比奈氏は今川、武田氏に仕え、特に信置という人物は武功を上げ今川氏より感謝状を受けた。戦国雑誌に「止駄郡殿村にあり今川家の功臣朝比奈某の築く所にして永禄年中まで朝比奈家代々の居城なり」とある。山頂に土塁や空濠を作り居館を麓に作ったことから、いわゆる「根古屋式」の城塞といえる。
(看板資料より)

朝比奈城跡・ハイキングコース
このコースは、万年寺のカヤの木の脇から登り始めます。道標に従って茶畑、竹林を経て杉林を登っていくと左に見晴台があり、玉露の里が一望できます。さらに少し急な山道を進むと山頂です。ここから尾根づたいに見晴台へ、ゆるやかな丸木の階段を下り、茶畑に抜けると配水地。遠く山並みを見ながら急坂を下りると善能寺です。入口を出て左に、すぐ新舟バス停です。
(看板資料より)

 



2010年01月23日

朝比奈城址は、岡部町役場から北西へ朝比奈川に沿って約5q北上した朝比奈郷の中心殿(との)部落背後の山頂にある。
朝比奈郷は駿河北部山間地を東西に走る間道の中継地として早くから開けた所で、すでに弘安7(1284)年7月、左衛門尉頼資が朝比奈山地頭職(じとうしき)に補せられ、以後朝比奈氏を称して数代にわたり本領地として継承された。
朝比奈氏は比較的早い時期に駿河守護職となった今川氏に従属したため、一族の多くは今川家の重職に抜擢され、数多く県内各地に分布したが、同氏に関する研究は進展していない。
(日本城郭大系より)


戦国時代に岡部氏と並ぶ武将朝比奈氏は今川、武田氏に仕え、特に信置という人物は武功を上げ今川氏より感謝状を受けた。戦国雑誌に「止駄郡殿村にあり今川家の功臣朝比奈某の築く所にして永禄年中まで朝比奈家代々の居城なり」とある。山頂に土塁や空濠を作り居館を麓に作ったことから、いわゆる「根古屋式」の城塞といえる。
(看板資料より)


朝比奈城跡・ハイキングコース
このコースは、万年寺のカヤの木の脇から登り始めます。道標に従って茶畑、竹林を経て杉林を登っていくと左に見晴台があり、玉露の里が一望できます。さらに少し急な山道を進むと山頂です。ここから尾根づたいに見晴台へ、ゆるやかな丸木の階段を下り、茶畑に抜けると配水地。遠く山並みを見ながら急坂を下りると善能寺です。入口を出て左に、すぐ新舟バス停です。
(看板資料より)

朝比奈城は旧岡部町の道の駅玉露の里の裏山であるとのことでしたので玉露の里を目指しました。比較的小さな道の駅で奥には昆虫館がありました。露店の夫人に朝比奈城について聞いてみたところ道の駅の裏にある山とのことで、向って右側の方から登っていくことができることも教えてくれました。周辺の看板を確認すると万年寺のカヤという所から登っていくことが分かりました。そこまで車で行こうかとも思いましたがとりあえず歩き出してみると万年寺はすぐ近くでした。カヤを通り過ぎて少し行くと駐車場もありました。畑で作業をしていた人の話ではイノシシが出るから気をつけるようにとのことでした。頂上までは40分くらいかかるだろうとのことでした。途中見晴らし台などもあり、遊歩道と看板が整備されていたので迷わずに城跡まではたどり着くことができました。10分もかからないくらいでした。同じ道を戻らずに一周できるとのことでしたのでそのまま先に進みました。途中で六社神社という看板を見つけたのでそちらに向いました。崖を降って行くような道で悪路でした。尾根沿いに下ってくる道で両脇は断崖で深い谷でした。六社神社まで下り、再び玉露の里に戻ってきましたが全体で30分くらいの道のりでした。

 

 
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