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群馬県安中市

愛宕山城

2009年09月05日

碓氷峠から子持山の尾根を通って東端の跳石に達し、そこから直下200mの急坂を下って坂本に出た。下りつめた所の小丘に愛宕山城が築かれている。位置の関係から、上野側の者の築城ではなく、信濃側からの橋頭堡として構えられたものと推定する。跳石の眼下にあり、この方面からの攻撃に弱い。天文16(1547)年、小田井原・志賀城の戦いに関東勢を撃破した武田方は、一気に碓氷を越え、一部を坂本に駐留させて松井田衆と競り合っている。この城はその頃の築城と思われるが、角馬出しや東の突出部など、天正末の改修があったことを推定させる。
 中山道はこの城の至近を迂回して通り、追手はそこに開く。本丸は75u、高土居と空掘を巡らし、南と西北に虎口がある。南の虎口には角馬出し跡が残り、その南下に「折」のある掘切と櫓台がみられる。西北の虎口には土橋があり、東側の横牆状突出部から側防される。東端の突出部は低土居が巡り櫓台跡と思われる。西北の50m×150mの広場は捨て郭で、西北端に江戸時代の番所跡がある。
(日本城郭大系より)


旧中山道入口から本丸方向

国道18号線を西に進み、横川駅を越えて更に坂本宿を経て霧積温泉方面との分岐地点を目的地として現地に向かいました。国道18号線を少し進むと旧中山道の入口がありました。一方霧積温泉の方では地元の人がいましたが詳しいことは分からないとのことでした。あたご荘で場所を聞いてみたら、ドライブインの裏山であるとのことでしたので先ほどの旧中山道を登ってみることにしました。入口には下図のような案内板もあり、すぐ近くに愛宕山城跡も載っていました。登ろうとしたらマウンテンバイクの人が降りてきたので愛宕山城について聞いてみましたが情報は得られませんでした。登りはじめてしばらくは登り道でした。登山道はまるで愛宕山城の堀のようでした。そのうち番所跡の看板が出てきたので行き過ぎてしまったことが分かり、ちょうどそこから右手前に入っていける獣道のようなものがあったので進んでいきました。しかし雑草で情況が良く分からず、それでも本丸らしきところまで来たと判断し、戻ることにしました。麓のドライブインが営業中に変わっていたのでお話を聞いてみると、ドライブインの裏からも登れるし、以前は旧中仙道入口の手前から登っていかれる道があったが今は季節的にも雑草が多いし、しかも山ヒルがいるのでやめた方がいいとアドバイス頂きました。イノシシが山ヒルを連れてきてしまったとのことでした。朝方から鉄砲の音が聞こえていましたがイノシシ狩りをしているのかもしれません。ドライブインの方も犬がいなくなってしまった時に裏山に登り、本丸やその周辺の空堀のようなものを見たとのことでした。山城を訪れる人は稀だが、鉄道写真を撮影するために山に登る人が多かったとのことでした。

 
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