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長野県飯田市

提灯ずるね

2015年10月12日

提灯ずるね(尾根)つつじ公園
武田軍は大軍がいるかの如く見せかけるため、提灯を掲げかがり火を焚き、山本勘助が一本松(史跡天然記念木山本勘助物見の松)に登り、神之峰床山城の状況を偵察、一気に夜間改め入り焼討ちを行った。御深草天皇正嘉元年より御奈良天皇天文23年の297年間、南信州に君臨した知久信貞より頼元に到る14代の栄光もここに滅亡した。
(石碑文章より)

山本勘助物見の松(通称一本松)から南西の方向、下久堅虎岩と接する尾根筋一帯をいう。武田軍が神之峰床山城攻略にこの地に来た時、武田軍の武将山本勘助は、つる根に沢山の提灯を灯して大軍がいるように見せかけたという。
(上久堅観光協会パンフレットより)

 



2007年04月29日

提灯ずるね(尾根)つつじ公園
武田軍は大軍がいるかの如く見せかけるため、提灯を掲げかがり火を焚き、山本勘助が一本松(史跡天然記念木山本勘助物見の松)に登り、神之峰床山城の状況を偵察、一気に夜間改め入り焼討ちを行った。御深草天皇正嘉元年より御奈良天皇天文23年の297年間、南信州に君臨した知久信貞より頼元に到る14代の栄光もここに滅亡した。
(石碑文章より)

提灯ずるねからの神之峰城

山本勘助物見の松(通称一本松)から南西の方向、下久堅虎岩と接する尾根筋一帯をいう。武田軍が神之峰床山城攻略にこの地に来た時、武田軍の武将山本勘助は、つる根に沢山の提灯を灯して大軍がいるように見せかけたという。
(上久堅観光協会パンフレットより)

ジタジタ峠の近くのお宅で頂いた観光パンフレットで紹介されていた史跡のひとつである「提灯ずるね」にも寄ってきました。山本勘助物見の松のところで場所を聞いてみたらちょうど西側に広がっている丘の斜面のあたりのこととのことでしたので山本勘助物見の松あたりから写真を撮って終わりにしようと思いました。しかしせっかくなので丘の上にも行ってみることにしました。すると提灯ずるねについて説明している石碑を見つけることができました。入ってきてみて良かったです。近所で農作業をしていたおじさんに提灯ずるねについて聞いてみましたが少し奥に神社があり、そこにも石碑のようなものがあるとのことでした。しかし神社まで行ってみましたがそのようなものは見つけることができませんでした。

 


神之峰城
ジタジタ峠
山本勘助物見の松
追取り

 

 
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