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長野県飯田市

山本勘助物見の松

2015年10月12日

山本勘助物見の松は一本松、ジタジタ松ともいう。知久氏攻略に進んできた武田の武将山本勘助は、喬木村富田を経て、柏原に侵入、この松によじ登り南正面に見える神之峰床山城を遠望すると、天然要害の地に立つ城を、攻め難く守り易いと判断し、悔しさのあまり松の上でジタジタを踏んだという。初代の松は昭和19年の地震で倒壊。根元は松根油に供出されたが敗戦で役にたたなかった。現在の松は3代目である。
(上久堅観光協会パンフレットより)

 



2007年04月29日

ジタジタ峠の近くのお宅で山本勘助物見の松の場所を聞きました。後で分かったのですがこちらのお宅の方は飯田市上久堅の観光協会の方とのことで、すぐに場所は分かり詳細な地図まで書いてくださりました。神之峰城からジタジタ峠の方角とは少し違った方角で更に山の奥の方とのことでした。何かあったら上久堅自治振興センターの所長を訪ねるようにとのアドバイスもいただきました。また上久堅地区の観光パンフレットも頂きました。最近出来上がったものであるとのことでした。そのパンフレットで以前の山本勘助物見松が紹介されていましたが物凄く立派な松でした。今は枯れてしまって小さな松になっているとのことでした。現地に向かう途中、遺跡などもあり歴史のある地区であることが分かりました。頂いた地図をもとに行ってみたらすぐに見つけることができました。ここからはもちろん神之峰城を見ることができますが、先ほどのジタジタ峠ほどは近くなく思ったより遠くに見えます。ちょうど物見をする程度の距離だったのかもしれませんね。

山本勘助物見の松は一本松、ジタジタ松ともいう。知久氏攻略に進んできた武田の武将山本勘助は、喬木村富田を経て、柏原に侵入、この松によじ登り南正面に見える神之峰床山城を遠望すると、天然要害の地に立つ城を、攻め難く守り易いと判断し、悔しさのあまり松の上でジタジタを踏んだという。初代の松は昭和19年の地震で倒壊。根元は松根油に供出されたが敗戦で役にたたなかった。現在の松は3代目である。
(上久堅観光協会パンフレットより)

 


神之峰城
ジタジタ峠
追取り
提灯ずるね

 

 
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