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長野県楢川村

葬沢

2004年09月19日

葬沢(ほうむりさわ)
天正10(1582)年、木曽義昌が武田勝頼軍に大勝利を収めた古戦場。この時、ここに武田方の戦死者五百余名を葬ったそうです。
(看板資料より)

本沢自然探勝園(葬沢)
天正10(1582)年2月、木曽義昌が武田勝頼の二千余兵を迎撃し、大勝利を収めた鳥居峠の古戦場である。この時、武田方の戦死者五百余名でこの谷が埋もれたといわれ、戦死者を葬った場として、葬沢(ほうむりさわ)と呼ばれる。
(看板資料より)

前日、中央高速諏訪S.Aで一夜を過ごし、早朝から木曽谷へ向って出発しました。塩尻インターで降りて国道19号線をどんどん南下しましたがそのうちだんだん谷が狭くなってきてなんだかワクワクしてきました。現代の高速道路は伊那谷を通っていますが、中仙道や国道19号線は木曽谷を通っており歴史を感じさせる谷です。
今回は木曽にいくのでまずは鳥居峠の周辺に寄ることにしました。鳥居峠といえば武田が滅びる年に起きた武田勝頼の木曽攻めですが、事前調査によると鳥居峠の東側に葬沢(ほうむりさわ)というところがあるとのことなのでそこを目的地にしました。鳥居峠の下を通るトンネルに入る手前で奈良井宿の宿場町のほうに進み、そこに車を止めて歩いて行くことにしました。奈良井宿は昔の宿場町の面影を残していて非常に雰囲気のいいところでした。途中まではアスファルトの道路でしたが突然石畳の道(上の写真)が出現しそちらに行くように案内されていました。熊が出没するので注意!とありましたがどうやって注意すればいいのか考えながら石畳の道を登り始めました。入口の案内板によれば葬沢までは鳥居峠までのちょうど半分くらいなのでなんとかなるだろうとは思いましたが念のため傘とステッキを持ち、靴も履き替えて行きました。15分くらいで葬沢に到着しました。登りもきつくないし心地よい運動になる程度でした。一度軽い峠を越えて少し下ったところに中の茶屋の建物と葬沢の案内板があるので場所はすぐに分かると思います。少し広めのところですがとても大規模な戦闘が行えるようなところではないような気がしましたが谷に向って一礼し、しばらく行ったり来たりしてそのまま鳥居峠まで歩いて登ってしまおうか!と思いましたが、先ほどの石畳の坂のところに書いてあった案内板によれば鳥居峠への昔の旧道(国道)があってどうやら走れそうだったのでここはひとまず戻って車で鳥居峠に向かうことにして、葬沢から下りました。

 

 
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