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長野県塩尻市

西福寺

2014年05月24日

清林宗泉なる者が明応2(1493)年8月に草庵を造った。5代目の圭獄珠白禅師は博識碩徳で人望があった。このために武田氏の帰依を受けて、永禄8(1565)年11月15日に堂宇造営の助成として一貫二百四十文の寄進を受け、諸堂を建立し、一寺となった。そこで圭獄珠白禅師が開山となっている。天正4(1576)年3月24日、武田勝頼が寺家門前の家5間の分の普請ならびに兵糧運送の諸役を免許した。
(長野県町村誌より)

武田信玄寄進状
永禄8(1565)年11月15日、武田信玄が重臣長坂釣閑斎をして西福寺にあてた一貫二百四十文の寄進状です。これによって西福寺は武田信玄を開基として寺の建立が進められました。

(パンフレット記載文章より)

圭獄珠白を開山とし、武田信玄を開基として、永禄8(1565)年に創建された曹洞宗の寺である。
(信州の仏教寺院より)

塩尻市有形文化財 西福寺開山和尚の袈裟
西福寺は永禄8(1565)年、武田信玄によって開基された曹洞宗の寺で、開山は圭嶽珠白禅師であります。禅師は越前の心月寺住職の才應総芸禅師から永禄3(1560)年8月28日に袈裟を伝えられました。
この袈裟は更に20年後の天正8(1580)年に圭嶽珠白禅師から愛弟子で西福寺二世となった長国宗永禅師へと付与たことが墨書で記され以降代々当寺に伝えられてきました。このように古い時代に師僧から愛弟子に伝えられた袈裟や鉢が残っていることは極めてまれなことです。
(看板資料より)

本堂

庭園

鐘楼



2008年12月30日

清林宗泉なる者が明応2(1493)年8月に草庵を造った。5代目の圭獄珠白禅師は博識碩徳で人望があった。このために武田氏の帰依を受けて、永禄8(1565)年11月15日に堂宇造営の助成として一貫二百四十文の寄進を受け、諸堂を建立し、一寺となった。そこで圭獄珠白禅師が開山となっている。天正4(1576)年3月24日、武田勝頼が寺家門前の家5間の分の普請ならびに兵糧運送の諸役を免許した。
(長野県町村誌より)

武田信玄寄進状
永禄8(1565)年11月15日、武田信玄が重臣長坂釣閑斎をして西福寺にあてた一貫二百四十文の寄進状です。これによって西福寺は武田信玄を開基として寺の建立が進められました。
(パンフレット記載文章より)

圭獄珠白を開山とし、武田信玄を開基として、永禄8(1565)年に創建された曹洞宗の寺である。
(信州の仏教寺院より)

塩尻市有形文化財 西福寺開山和尚の袈裟
西福寺は永禄8(1565)年、武田信玄によって開基された曹洞宗の寺で、開山は圭嶽珠白禅師であります。禅師は越前の心月寺住職の才應総芸禅師から永禄3(1560)年8月28日に袈裟を伝えられました。
この袈裟は更に20年後の天正8(1580)年に圭嶽珠白禅師から愛弟子で西福寺二世となった長国宗永禅師へと付与たことが墨書で記され以降代々当寺に伝えられてきました。このように古い時代に師僧から愛弟子に伝えられた袈裟や鉢が残っていることは極めてまれなことです。
(看板資料より)

太子堂

西福寺は塩尻駅から近いところにありました。達磨が印象的でした。太子堂や庭園などがありました。
住職と思われる方に会うことができましたが、信玄寄進状、勝頼安堵状などがあるが公開はしていないとのことで見せてもらうことはできませんでした。しかしそれらの写真が載っているパンフレットを頂くことができました。

庭園

 
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