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長野県伊那市

市野瀬古城址

2006年12月30日

城山

現地で城山と呼ばれているところがあって上まで登ることができ、頂上には大きな松があるとのことでした。どこから登れば良いのか分からずしばらく街中を行ったり来たりしましたが、郵便局の近くのお宅で登り口を教えてもらってそこから登りました。そんなに高い山ではないので誰でも登ることができます。鳥居をくぐって頂上に出るとかなり広くなっていてすぐ左側に神社のような建物と案内板がありました。

城山の松

市野瀬古城址・城山の松
市野瀬古城址
空掘より西南の平地、東西10間、南北50間の地域で、ここは平惟茂の末裔市野瀬兵庫正保が築城したところである。子孫相伝えて世々200貫文を領して高遠城に属していた。
天文8(1539)年、5代目正光のとき武田晴信(信玄)に属して、甲州に移ったという。遺跡としてこの地を村文化財に指定した。
(看板資料より)

城山の松
城山一円の赤松の老木は樹齢約450年と推定され、現在の7本を天然記念物として村文化財に指定した。
(看板資料より)

地元では城山と呼ばれており、頂上には樹齢450年の堂々とした松「城山の松」があります。ここから下った所は古くから熊野神社がまつられています。この城ははじめ熊野城とよばれ、室町初期の応永年間(1394〜1427)に平惟茂の末孫、市野瀬兵庫正保が築きました。五代目正光が武田信玄に属して甲州に移った後、一ノ瀬越前守直忠が城を新たに整備して一ノ瀬城としました。一ノ瀬氏は三代目勘兵衛が高遠藩主保科正之の移封で出羽へ従行するまで一帯を支配しました。
(伊那市ホームページより)

城山からの景色

城山の頂上に出て右側には祠のようなものもあり、その奥には空掘りのようなもので区切られて更に奥にも曲輪がありました。空堀には小さな橋がかけられているので奥まで行くことができます。頂上全体に大きな松が幾つもあって異様な光景でした。大きな松は竜のような生き物に見えてしまうせいか、異様で不気味ですね。
この城山についても何人かの人に聞いた話をまとめると、ここは城跡ではなく、城跡は近くの平地の部分に築かれていたとのことであり、この山は物見台だったのではないかとのことでした。確かに案内板にも「空掘より西南の平地、東西10間、南北50間の地域」と書かれていました。この地域は熊野森といわれている所で今でも上伊那郡最古の宝筺印塔があるそうです。多分その地域と城山が一体となって城郭を構成していたのでしょう。

室町時代初期の応永年間に市野瀬兵庫正保がこの地に城を築き熊野城と称しました。その後5代目の市野瀬正光は天文8(1539)に武田信玄に属して甲斐の国に移ったそうです。その後、市野瀬正光とは関係のない一瀬越前守直忠(剃髪後に一瀬主水入道直繁と称す)が熊野城とほぼ同じ場所に城を築いて一ノ瀬城と称したとのことです。
今回は城山を見学することはできましたが、肝心な市野瀬古城を確認するのを忘れてしまいました。話によれば既に畑になっているとのことですが次回の宿題ですね。


一瀬越前守直忠の墓石

 

 
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