顕徳寺 |
2005年04月30日 |
天正10(1582)年、武田勝頼が織田、徳川、北条などに攻められた時に、真田昌幸が武田勝頼を岩櫃城に迎え入れるために岩櫃城搦手付近にあたる場所に御殿を建てました。しかし武田勝頼は岩櫃城に来ることなく、小山田信茂を頼って落延びることになりますがその小山田氏に迎え入れられることなく田野の地で滅んでしまいます。勝頼のために用意された御殿はその後潜龍院という寺になります。顕徳寺の本堂(上の写真)はその潜龍院の建物を移築してきたものだそうです。
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