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山梨県北杜市

小荒間口留番所跡

2013年10月13日

国境で旅人や物資の移動を監視するのが、口留番所です。江戸時代、甲斐国には25ヶ所置かれていました。小荒間口留番所は天文年間(1532〜55)に信州大門峠へ通じる棒道(大門嶺口)に設置されたものといわれており、江戸時代には近隣の農民が村役で警備を担当する番役に当たりました。
門(高さ約3.6m)、矢来(門から左右に約10m)、茅葺の番所小屋(約5.4×3.6m)などからなり、明治になると民間に払い下げられ、更に1933(昭和8)年の小海線の開通によって移築され消滅しました。
(看板資料より)

 



2008年04月05日

以前に来た時には説明が書かれた看板があったのですが、今回は無くなっていました。この先には棒道が続いていますが今回は棒道の入口付近まで行って確認することができました。次回は棒道を歩いてみたいと思います。

 



2003年08月30日

 

甲府から逸見路を経て、大芦(大泉村)に至る古道がある。そこより小荒間を通って八ヶ岳を西廻りに信州へ至る道(棒道と呼ばれる)に備えられた番所が、小荒間番所である。戦国時代の天文年間(1532〜1555)に、武田氏が設置したと言われている。
江戸時代になって、旅人や物資の移動を監視する口留番所が、甲州には25ヶ所置かれたが、小荒間番所はその一つとして整備された。警備を担当する衛士には、小荒間村・白井沢村(長坂町)・松向村(小淵沢町)の3村が当ったという。番所は、門、矢来、道具建、石垣、番所小屋から成り、門は高さ1丈2尺(約3.6m)・幅9尺(2.7m)、矢来は門の左右に5間4尺(約10m)延び、門の脇には鉄砲や刺股など警備道具が備えられていた。
(看板資料より)

 

 
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