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山梨県北杜市

清光寺

2013年10月13日

清光寺の総門 附棟札

造立年月日 享和元(1801)年10月
長坂町指定文化財


長坂町指定文化財
歴史資料 清光寺の制札
制札とは、寺社や道ばたなどに立てた、禁止や命令を墨書きした木の札のこと。清光寺には武田勝頼が出した制札と、徳川四奉行が出した制札の2点が現存している。
武田勝頼が天正3(1575)年に発行した制札は、寺内での殺生や乱暴な行いを禁止したものである。甲府にも同様の制札が出されたが、それは長篠の戦の後のもので清光寺のものは、県内に現存する勝頼の制札としては最古のものと考えられている。
もう1点の制札は1603(慶長8)年に徳川4奉行が出したものである。
(看板資料より)

長坂町指定文化財
史跡 清光の墓
逸見冠者黒源太清光は、甲斐源氏の祖、新羅三郎義光の孫で、1110(天永元)年、源義清のあとつぎとして生まれた。常陸国武田郷(茨城県ひたちなか市)にいたが、父義清と共に、甲斐国市河庄(山梨県西八代郡市川大門町)に配流となった。
その後、父と開拓した逸見地方(北巨摩郡一帯)を拠点に勢力を広げ、谷戸(北巨摩郡大泉村)茶臼山に谷戸城を築いた。清光は子に恵まれ、それぞれの子を国中(甲府盆地)へ進出させ、旗下におさめた。
1168(仁安3)年6月8日、59才で谷戸城に没し、城の西側に葬られ、同所の五輪塔(清光の墓)は清光寺本堂裏山に移されて、再建されている。位牌には「清光院殿玄源太公大居士」とある。清光の次男信義は、武田庄(韮崎市)で勢力を培い、武田氏の祖となった。
(看板資料より)

正面:当山開基清光公五輪の宝塔
現住38世太玄弘二謹誌清光は甲斐源氏の祖である新羅三郎義光の孫で刑部三郎義清の嫡男として天永元年6月19日に生まれた。初め常陸国武田郷に居たが、濫行の末、父子ともに甲斐国市河庄に配流となる。その後父と共に逸見一帯を開拓し、逸見冠者また玄源太と称した。武勇にすぐれ、旧豪族を旗下に収め国中の荘園を占領した。仁安3年6月8日谷戸城において59才で没した。
正面右:当山開基清光公の祖父新羅三郎義光公の五輪の宝塔
現住38世太玄弘二謹誌義光は源氏の武将であり且楽人頼義の第三子で近江国新羅明神の社前元服し新羅三郎と称した。
後三年の役当時京都にいたが、兄八幡太郎義家のため官を辞して従軍し乱を平らげ軍功をたてたのち、義光は甲斐の守護となって子孫は甲斐に居た。
(看板資料より)

 



2004年04月24日

長坂町指定文化財
歴史資料 清光寺の制札
制札とは、寺社や道ばたなどに立てた、禁止や命令を墨書きした木の札のこと。清光寺には武田勝頼が出した制札と、徳川四奉行が出した制札の2点が現存している。
武田勝頼が天正3(1575)年に発行した制札は、寺内での殺生や乱暴な行いを禁止したものである。甲府にも同様の制札が出されたが、それは長篠の戦の後のもので清光寺のものは、県内に現存する勝頼の制札としては最古のものと考えられている。
もう1点の制札は1603(慶長8)年に徳川4奉行が出したものである。
(看板資料より)

長坂町指定文化財
史跡 清光の墓
逸見冠者黒源太清光は、甲斐源氏の祖、新羅三郎義光の孫で、1110(天永元)年、源義清のあとつぎとして生まれた。常陸国武田郷(茨城県ひたちなか市)にいたが、父義清と共に、甲斐国市河庄(山梨県西八代郡市川大門町)に配流となった。
その後、父と開拓した逸見地方(北巨摩郡一帯)を拠点に勢力を広げ、谷戸(北巨摩郡大泉村)茶臼山に谷戸城を築いた。清光は子に恵まれ、それぞれの子を国中(甲府盆地)へ進出させ、旗下におさめた。
1168(仁安3)年6月8日、59才で谷戸城に没し、城の西側に葬られ、同所の五輪塔(清光の墓)は清光寺本堂裏山に移されて、再建されている。位牌には「清光院殿玄源太公大居士」とある。清光の次男信義は、武田庄(韮崎市)で勢力を培い、武田氏の祖となった。
(看板資料より)


清光寺の総門 附棟札

造立年月日 享和元(1801)年10月
長坂町指定文化財


史跡 清光の墓

正面:当山開基清光公五輪の宝塔
現住38世太玄弘二謹誌清光は甲斐源氏の祖である新羅三郎義光の孫で刑部三郎義清の嫡男として天永元年6月19日に生まれた。初め常陸国武田郷に居たが、濫行の末、父子ともに甲斐国市河庄に配流となる。その後父と共に逸見一帯を開拓し、逸見冠者また玄源太と称した。武勇にすぐれ、旧豪族を旗下に収め国中の荘園を占領した。仁安3年6月8日谷戸城において59才で没した。
正面右:当山開基清光公の祖父新羅三郎義光公の五輪の宝塔
現住38世太玄弘二謹誌義光は源氏の武将であり且楽人頼義の第三子で近江国新羅明神の社前元服し新羅三郎と称した。
後三年の役当時京都にいたが、兄八幡太郎義家のため官を辞して従軍し乱を平らげ軍功をたてたのち、義光は甲斐の守護となって子孫は甲斐に居た。
(看板資料より)

 


谷戸城
義清神社
円光院
成就院

 

 
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