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長野県阿南町

心川関所跡

2012年01月01日

この奥100mのところに、心川関所跡があります。この関所は、弘治2(1556)年に戦国大名武田信玄によって設置され、その後、阿島の旗本知久氏が明治の初めまで代々管理してきました。
当時この道は三州街道(飯田-平谷-名古屋)と遠州街道(飯田-大下条-新野-東栄-浜松)とを結ぶ重要なものであり、この心川地域は、和合・売木・旦開方面へ分岐する交通の要地でもあり、関所が設けられました。
(看板資料より)

弘治2(1556)年に甲斐国の武田信玄が上布川に築いたものを、慶長6(1601)年頃に新野へ移し、寛文12(1672)年から和合の心川へ移した。
(長野県の武田信玄伝説より)

弘治2(1556)年に武田信玄の命令で和合に番所を建て、下条信氏に預けた。
(長野県の武田信玄伝説より)

 


帯川の関所跡で知り合った老人に心川の関所の場所も教えてもらいました。阿南から平谷に抜ける道路沿いでした。道路沿いには心川関所跡入口があり、そこに車を止めて民家の裏に登って行ったところに関所跡がありました。

 

 
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