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長野県白馬村

黒川居館跡

2009年05月03日

黒川居館跡
ここは中世の土豪千国氏の居館跡である。数度の地震や姫川の浸蝕で、村人が「本丸」と呼んでいた中心部のわずかな部分を残し、南側が広範囲に抜け落ちているが、現在地すぐ後ろの低い所は空濠で、その南側の落ち込んだ所から浸蝕された断崖まで「本丸」を取り囲む郭になっている。西端の小高い所は土居で、北側の深い空濠になっている。
この居館跡は、先に村史跡の指定を受けた背後の城峯の黒川山城跡と一体のもので、共にこの地方の中世の歴史を知る上に重要な史跡である。
なお、この地籍は以前から縄文時代(主として後期)の遺物が数多く出土しており、その中の何種類かは村有形文化財の指定を受けている。
(看板資料より)

本郭

黒川居館跡は、黒川集落の北西の姫川に突き出た城地籍にあり、前述の縄文遺跡である黒川城遺跡と重なる複合遺跡である。
享保8(1723)年の信府統記によれば「一の平南北十六間半、東西十五間、二の平東西五十四間、南北三十五間」とあり、かなり広かったが姫川の浸蝕等により崩れ落ち、館の存立期よりはだいぶ狭くなって様相を変えている。
館跡入口には進入を防御する空掘が40mに亘って設けられている。空掘を越えると現在畑になっている60m×25mの曲輪がある。また、その他には曲輪の西側先端と空掘の南面の続きに土塁の跡が確認されている。
この館跡は、中世のこの地方の在地領主であった千国氏の居館といわれており、曲輪の土中からは、領主などが使用したと思われる室町時代の青磁碗が出土している。
(小谷村指定文化財調査書より)

空堀

黒川神社で黒川城について聞いたら、老婦人が丁寧かつ正確に教えてくれました。黒川城そのものは山の上にあり普通に行くことはできないだろうとのこと。また居館跡というのが別にあって、南小谷駅から登ってきて2軒目の家から入って行ったところにあるとのことでした。何度か行き来してみたのですがそれらしい場所は見つけることはできず断念しかけました。しかしその2軒目の家で黒川居館跡について聞いてみたところ、ちょうどその場所に畑を持っている人で現地まで案内して頂き詳しく説明してくれました。
低くなっている部分があって畑になっていて現地では堀の畑と呼んでいるのだそうです。そして空堀を越えて高くなっているところに登っていくとそこが本郭とのことでそこにも畑がありました。こちらの畑は城の畑と呼んでいるそうです。もともと上杉方だったが武田に滅ぼされてしまったとのことでした。以前はもっと広かったらしいのですが姫川の浸蝕で崩れてしまったとのことでした。

 

 
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