前山城 |
2014年05月02日 |
本丸
前山城跡は、蓼科山の一支脈突端に位置し、本丸、二ノ丸、三ノ丸がほぼ一線につらなっている。北方は断崖の下を中沢川が流れ、東、南の二方は急傾斜で曲輪を設け、さらに屋根筋は堀切りによって防御線を構成している。 |
本丸から浅間山方面
『高白斎記』によれば天文17(1548)年9月、武田晴信は「従諏訪向佐久郡前山被出御馬(中略)11日、辰刻打立臼田、大雨、前山責落ス、敵数百人被為討取」、続いて21日には城之普請を開始している。以降武田氏はここを佐久の有力な基地とし、伴野氏は武田氏に従った。 |
本丸(東の郭より)
本丸(二の丸より)
城の軸は概ね東北から西南に延び、北側は比高40mほどの崖をなして、その下を北沢川が流れる。本丸から西南へ一段下がって二の丸・一郭と堀切があって三の丸に続き、その外側に土塁・堀切があり、更に60mほどの所に二重の堀切を築いて備えとしている。 |
前山城跡堀切跡
三の丸西の掘切
2003年09月23日 |
前山城跡は、蓼科山の一支脈突端に位置し、本丸、二ノ丸、三ノ丸がほぼ一線につらなっている。北方は断崖の下を中沢川が流れ、東、南の二方は急傾斜で曲輪を設け、さらに屋根筋は堀切りによって防御線を構成している。 前山城を探している最中におじちゃんに聞いたのですが前山城周辺にはいくつかの小さな出城のようなものがあるとのことで、ちょうど話をしていたところも昔の出城だったところだそうです。前山城の場所は事前に佐久市役所の方に地図を郵送しておいてもらっていたのでそれを頼りに進んだのですが、ちょうど道路を掃除していたおじいさんに道を聞いたところ、前山寺を通り過ぎ更にどんどん進むとほとんど車で上まで登ることができると聞きその通り進みましたが失敗。結局、前山地区運動公園の前に車を止めさせてもらいそこから歩くことにしました。おじちゃんのアドバイス通り、それなりの靴を用意すべきですね。登り始めれば途中リンゴ畑の中を通り、10分もかからずに登ることができます。本丸の奥には堀切跡があってその先には上からロープが垂れ下がっているのでそれを頼りに登ると棒が打ち込まれていて何かが書かれていましたがもう読めなくなっています。私が帰ろうとしたら本丸の裏側から地元の子供達が登ってきました。裏の道を下るとどこに行くのか彼らに聞いてみましたがよく分からなかったので登ってきた道を下ることにしました。リンゴと浅間山がきれいに見えました。 前山城は信玄の佐久攻略の拠点になったところで、天文15(1546)年、内山城にこもる大井貞隆の子の貞清を攻める際に前山城に入っている。 |
前山城跡堀切跡
前山城から見える浅間山とリンゴ
前山城への登り口