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長野県佐久市

望月

2003年09月23日

ここから南方の総合体育館裏山までの約2千メートルの間が望月城跡であり、望月氏の居城である。本地が本城で、主郭から三の郭までが構築され、南方の支城には五の郭までが確認できる。雄大にして堅固な山城で、腰曲輪や帯曲輪、空堀り等整然と構築され保存状態も良好である。望月氏は鎌倉時代に眼下に見下ろす天神城を築城し落城後室町時代に望月城を築城したとされており、戦国時代(天正10年)に落城している。
(看板資料より)

この望月城跡から北へ広がる台地を御牧が原といい、望月の牧です。古代信濃の官牧御料牧場として名馬が飼育され、その牧監が望月氏で代々の居城主になっていた。清和天皇(源氏)の血を引く滋野家(望月海野弥津)の中で特に望月氏は優れた馬を豊富に持ち、その勢力も目立っていたという。
(看板資料より)

一番掘跡

前回(2003年06月29日)に来たときは、既に多くの史跡を歩き右足の膝が痛くなってしまって登るのを断念してしまったのですが、今回同じところから登ってみました。麓の案内板には所要時間30分と書いてありますが10分ちょっとで登ることができました。道を登りきったところが本郭になっていていろいろな案内板などがありました。本郭でお会いした地元の方に聞いたところ、最近整備されたとのことでした。そこから奥に進むと二の郭、三の郭と続いていて、堀の跡も案内されていました。反対側へ着てみると車が置いてあり先ほどの方もこちらから来たとのこと。なんと車でこれるのだそうです。最近できた老人ホームをべ座していけば来れるとのことでしたが、その後望月城から前山城に向かう途中(国道142号線沿い?)に望月城入口の看板を発見しました。

二番堀跡

二の郭跡


2003年06月29日

望月城への入口

昼食後、右足の膝が曲がらなくなりつつも引き続き史跡探索を続行。望月城の場所はすぐに分かりましたが看板には片道徒歩30分との記述があり今日は断念しました。


望月山城光院

曹洞宗、甲州北巨摩郡大八田村清光寺。文明7(1475)年望月城主望月遠江守光恒の開基。南浦宗清和尚の開山と伝えられ望月城跡西方の麓にあって望月氏代々の菩提寺である。本堂は享和期(江戸後期)の建築であって、本尊阿弥陀如来坐像は室町初期の作。望月氏の祖と称せられる善淵王像は、江戸中期安永の造像である。本堂裏に室町末期永正年間の宝筐印塔2基がある。
(看板資料より)

 

 
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