| 牧之島城 | 
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本丸跡

御前水井

本丸跡

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         城は、南、西、北の三方を犀川がめぐり、東部一方が山部に続く舌状台地のほほ中央にあり、自然の断崖絶壁と深沢を利用し、これに人工の堀を加えた平城である。現存する遺構は武田信玄が、甲州流兵学者で築城術に勝れた馬場信房に築かせたもので、江戸時代に記された書物「千曲真砂」には、この城を「甲州流の軍者甚秘の城取となすなり、大兵籠もって狭からず、小兵籠もって広からず、云々」と記し、築城の妙を極めたものと賞している。  | 
    


桝形

二の丸跡

三日月堀

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         牧之島城は、北・西・南の三方を蛇行する犀川に囲まれ、南と北は侵蝕による断崖が連なり、東方だけは開口しているものの、ここには深い谷が南北に走り、要害の場所に築かれた城である。東方の痩せ尾根を断ち切れば、松本−善光寺間を押さえるのに絶好の適地であり、その地形は佐久の岩尾城や伊那の高遠城のある場所に似ている。  | 
    
三日月堀

木橋

千人桝形

空掘

空掘

空掘

2003年09月22日  | 
    

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         この城は、永禄9(1566)年武田信玄が馬場信房(美濃守)に築かせ、越後に対する警衛と更科・水内山部の鎮撫にあてた城である。  | 
    
 
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         国道19号線を長野から松本方面に進み、信州新町役場を過ぎてしばらく行ったところに牧之島城の看板が出て来るのでそれに従って左折して坂を登っていくと神社の鳥居と牧之島城の説明板があるところに出ます。(上の写真)  | 
    
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         そこを過ぎると右側に駐車場がありますが、ここが三ノ丸になっています。三ノ丸の駐車場から橋を渡ると千人桝形があって本丸、二ノ丸へ続き、橋を渡らずに土塁を隔てて反対方向には三日月堀が配されています。(写真下)  | 
    
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         三日月堀は駐車場の入口付近からも見ることができますし、逆に三ノ丸の奥の方からも確認することができます。(一番上の写真)  | 
    
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         橋を渡って千人桝形を通過して本丸に出ると奥には御前水井があり、更にその奥から土塁に登って右の方に進むと馬場信房之城址の碑があります。また本丸から右の方に行くと堀にかけられている橋を渡って広場になっていていてここが二ノ丸になっています。  | 
    
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         また、三ノ丸(駐車場)の奥の先には犀川が見え、思ったより高い所に城があったことが分かります。  |