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山梨県甲斐市

回看塚

2013年09月07日

 
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回看塚(みかえりづか)
天正10(1582)年3月2日、武田軍の信州高遠城は織田軍の猛攻撃により落城した。翌3日早朝、この報を受けた武田勝頼は在城わずか68日の新府韮崎城に火を放ち、夫人や子供、わずかな将兵を従えて郡内の岩殿城に向かって逃れた。
言伝えによると、新府を離れ、塩川を渡りこの地を通りかかったときに後ろを振り返り、煙が上がる新府を見て勝頼夫人は、
 春がすみたちいづれどもいくたびか
 あとをかへして三日月の空
と詠み悲しんだという。
この碑は大正12年9月に、塩崎村の有志によって建立されたものである。
昭和61年11月26日に町の文化財に指定された。
(看板資料より)

 



2004年10月24日

回看塚(みかえりづか)
天正10(1582)年3月2日、武田軍の信州高遠城は織田軍の猛攻撃により落城した。翌3日早朝、この報を受けた武田勝頼は在城わずか68日の新府韮崎城に火を放ち、夫人や子供、わずかな将兵を従えて郡内の岩殿城に向かって逃れた。
言伝えによると、新府を離れ、塩川を渡りこの地を通りかかったときに後ろを振り返り、煙が上がる新府を見て勝頼夫人は、
 春がすみたちいづれどもいくたびか
 あとをかへして三日月の空
と詠み悲しんだという。
この碑は大正12年9月に、塩崎村の有志によって建立されたものである。
昭和61年11月26日に町の文化財に指定された。
(看板資料より)

新府城に火を放って東に落ち延びる際に勝頼夫人が、燃え上がる新府城を眺めて泣きながら詩を詠んだという話は、涙の森というところにも似たような話が残っていますが、詠んでいる詩が違うので別の伝説として言い伝えられているのではないかと思いました。
涙の森は燃え上がる新府城を眺めて涙にむせんだとありますが、この回看塚(みかえりづか)では、後ろを振り返って煙が上がる新府城を見て詩を詠んで悲しんだとあります。
2つの場所は非常に近く、涙の森は韮崎市、回看塚は双葉町にありますが、武田勝頼一行は韮崎から東に向っているので先に涙の森を通過し、その後回看塚に達しているものと思われます。従って涙の森新府城を眺めたときはまだ燃え上がっている様子を見ることができて涙を流しましたが、その後しばらくして回看塚を通過するころはその後の新府城の様子が気になって後を振り返ってみたが、既に火の勢いは衰えて煙が上がる様子が見えたと考えるとつじつまがあいますね。

 


涙の森
泣石

 

 
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