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長野県坂城町

満泉寺(村上氏館跡)

2014年11月
08日

この館跡は、村上氏が旧更科郡村上郷から坂城郷に移ったとされる南北朝時代末頃に葛尾城とともに構築し、戦国時代に信濃の一大豪族として活躍し、天文22年4月に村上義清が武田信玄により没落するまで、160年余村上氏代々の居館であった。当時の規模は明確ではないが、現満泉寺を中心とした方170メートルに及ぶ広大なもので、内郭とその周囲を取りまく外郭から成っていたものと推定される。
(看板資料より)

村上義清公に代表される村上氏代々の菩提寺。天正年間、義清の子国清により村上氏の居館跡に建立されたものです。石造りの本尊は県内唯一のもので県宝に指定されています。
(看板資料より)



2003年09月
22日

この館跡は、村上氏が旧更科郡村上郷から坂城郷に移ったとされる南北朝時代末頃に葛尾城とともに構築し、戦国時代に信濃の一大豪族として活躍し、天文22年4月に村上義清が武田信玄により没落するまで、160年余村上氏代々の居館であった。当時の規模は明確ではないが、現満泉寺を中心とした方170メートルに及ぶ広大なもので、内郭とその周囲を取りまく外郭から成っていたものと推定される。
(看板資料より)

坂城神社から下ってくると左手に「村上氏居館跡」の石碑を見つけることができます(写真一番上)。ちょうどそのあたりに車を止めることができるスペースがあります。そこからそのまま道を進んで突き当たりのところに「村上氏館跡」の石の案内板があり(写真上)、その左側には満泉寺があります(写真下)。案内板に書いてある通り当時は広大な屋敷だったものと思われますが、現在はこの満泉寺周辺は住宅地になっており当時の様子をうかがい知ることは難しくなっています。

 
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