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山梨県甲府市

入明寺

2013年09月01日

 
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入明寺の由来
法流山入明寺は、浄土真宗の寺で、御本尊は阿弥陀如来。長享元年、村上天皇の子孫である六条有成卿が、本願寺中興の祖第八世蓮如上人によって得度し、浄閑と名乗り甲州路に入り、武田信玄の庇護のもとに稲積の庄青沼の里(前甲府商業高等学校)に草庵を建立して開山した寺で「長元寺」といった。
二代目誓閑の時代に現在地住吉本町に移った。三代目栄閑の時、入明寺と改め、四代栄順の時、「内藤」と名乗り今日に至っている。
信玄の念願は京にのぼり、天下に武田菱の旗をうちたてることであった。当時京地を風びしていた「一向宗」とのつながりを持つことが必要であった。そこで信玄は入明寺住職が京都の公卿の出であったので、密かにその旨を伝えた。
二代誓閑、三代栄閑(兄弟)の二人であいはかり、石山本願寺第11代法主顕如上人の裏方が三条左大臣従一位公頼卿の息女だったので、裏方にお願いしてその妹と信玄との婚姻をとりもった。
天文5(1536)年、京からはるばる甲州路に輿入れされ、今川義元の媒酌により結婚式があげられた。これが信玄の正室三条夫人で太郎義信、次郎信親の母である。
本来ならば、次郎信親が家督を継ぐべきであったが、幼少より目を患い、生母三条夫人の神仏祈願の甲斐もなく、盲目となってしまったので勝頼があとを継いだ。
信玄は不具の子供である信親をことのほか可愛がり、永禄4年信州の海野の城を攻め落とした時、信親をこの城の城主とし、海野二郎信親と名乗らせた。また髪をそって、半僧半俗の生活をしていたのと、居城が城北の聖道小路にあったことから「お聖道様」とも呼ばれていた。
信親は生来温厚で、武田一門の「和作り」に努力したので、武田家の家臣は信親を非常に尊敬していた。
戦局いよいよ武田家に不利の時、入明寺4代栄順は、武田家への報恩はこの時と、信州海野城より信親を寺に迎えかくまった。
天正10(1582)年3月11日、天目山の悲報が伝わったその夜、信親は入明寺境内で従容として割腹自殺した。行年42歳。栄順は遺骨を寺内に埋め、法号を「長元院殿釈離潭竜宝大居士」といい、「紅梅一本植えて墓標となす。」と甲斐国誌に明記されている。これは敵に悟られないためであった。
入明寺には信親公の墓、位牌、それに武田家八代護信作の信親の木造がある。
国、ならびに山梨県は詮議の結果、入明寺記録と甲斐国誌等の資料により、信玄の正統は竜宝公の子孫であることが確認され、御贈位の御沙汰をした。
現在、15代昌信氏が東京都経堂に在住している。
(看板資料より)


武田信親の墓

武田信親公切腹埋骨の處
武田信玄と正妻三條夫人との間には男子2人があった。長男は太郎義信といい、文武両道にすぐれていた。二男は二郎信親といったが生れ乍らに目を患い、遂には盲目となったが、信州海野城の城主として父信玄の庇護をうけていたが、信玄と諏訪夫人の間に諏訪四郎勝頼が生れてより信玄の跡目相続をめぐって争いが起き、太郎義信は割腹自殺して果てた。家臣武田二十四衆は之にて「武田」も終わりと長篠の合戦にて全員戦死した。
戦雲急を告ぐる時、入明寺四代住職栄順は海野より信親公を自房にかくまっていた。異母弟四郎勝頼東進の時には入明寺に在りて同勢をととのえてやったが、大月の岩殿山城主小山田氏の裏切りにあって天目山に引き返し、天正10年3月11日同勢ことごとく戦死した。
その知らせが入明寺に入るや境内のこの場所にて従容として切腹して果てたが、その後山梨県の治山・治水事業に功績のあった信玄に従三位の位を贈られた時に信親公の子孫に爵位を贈られ終戦までは信親公の子孫は子爵として活躍した。現在東京には15代信昌公が現存している。
甲府市観光課
(看板資料より)

 



2001年02月18日

法流山入明寺は、浄土真宗のお寺で本尊は阿弥陀如来、六条有成が浄閑と名乗って甲州に入って開山し、長元寺といったそうである。
永禄十年(1567)10月に信玄の長男である義信が死んだが次郎信親は盲目であったため勝頼が跡を継ぐことになった。信玄が永禄4年に信濃の海野の城を攻め落としたときに次郎信親をこの城の城主として海野次郎信親と名乗っていた。勝頼の代になって武田氏が落ち目になってくると入明寺住職は海野城より信親を寺に迎えてかくまいました。しかし勝頼滅亡の報が届くと信親は入明寺境内にて自害。嫡子信道は無事のがれることができ、その後甲斐に来た家康に保護された。しかし大久保長安事件に巻き込まれて伊豆大島に流されてしまう。信道の墓は伊豆大島にあるらしい。その後子孫は柳沢吉保に保護され現在第15代昌信氏が東京に在住しているという。
ここのおばさんが親切な人でいろいろ教えてくれたが、15代昌信氏の連絡先を紹介してくれたのには驚いた。

信玄の次男である武田信親の墓


お聖道さま

 

 
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