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静岡県森町

小国神社

 
2005年02月12日

小国神社は遠江国一宮だそうで、今回訪れる予定は無かったのですが、現地で真田城(一の宮城)を探索中に「武藤刑部亟氏定は武田信玄に属して小国神社にたてこもったので徳川家康に攻略された」との説明を読んで急遽寄ってみることにしたのです。参道には大きな木が立ち並んでいてさすがに歴史を感じさせてくれました。ここに来て初めて分かったのですが、以前NHKの「その時歴史が動いた」の「三方原の戦い」の中で、徳川家康が武田信玄の圧力に苦しみ、領内の神社に「敵は多勢、我は無勢、かくなる上はこの社の神力に頼るのみ」といった願文をおさめたとありましたが、その神社が小国神社だったのです。そういえば小国神社の境内はテレビで見た神社の映像とよく似ていました。
またここにも徳川家康と石に関わる史跡である「立あがり石」(一番下の写真)なるものがあったので、私も人生の再起をかけて腰掛けてきました。

元亀3(1572)年徳川氏の目代武藤刑部氏定が武田信玄に味方し甲斐の軍勢を招き当社に叛いた時、神主小国豊前重勝は霊夢に感じ、子息千松麻呂を人質として徳川氏に訴えた。家康公は神主に命じて御霊前を別所に遷し、願文と三条小鍛冶宗近作の太刀を奉り、戦勝を祈願した後に、社頭に火を放ち全部の社殿を焼失した。その後、徳川方が勝を得て天正3(1575)年家康公は本多重次に命じて先ず本堂を造営、遷宮させその後逐次各殿を造営している。
(パンフレット資料より)


家康公立あがり石

徳川家康公の天下統一の基は浜松在城15年間の苦労の賜ものといわれる。三方原合戦の前年元亀3年9月願文と三条小鍛冶宗近作の太刀を当社に奉りて戦勝を祈願し次いで天正2年4月、犬居城攻略の際に参拝しこの石に腰掛けて休息されたと伝えられる。
以来このことを苦境を乗り越えた「立あがり石」と言われ、石にあやかりたいとして人生の再起を念じて石に腰掛けて帰る人が少なくない。
(看板資料より)


真田城(一の宮城)
犬居城

 

 
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