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愛知県新城市

大久保兄弟陣地

2014年08月16日


「先陣の大久保兄弟うって出る」
(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より)

連吾川の下流地域は、両岸が切り立った崖のようになっていて、ちょっとした谷間を形作り、その間を蛇行するように川が流れている。そして、その左岸に上がるとなだらかな傾きを持つ田園地帯が広がって設楽原の南端を占めている。ここが有名な勝楽寺前の激戦の舞台なのである。
5月21日午前6時頃、この勝楽寺前において合戦の火ぶたが切られた。家康の部将大久保忠世・忠佐兄弟がいち早く武田軍に攻撃を仕掛けて、設楽原決戦の開幕としたのであった。もともと大久保兄弟は小川路に布陣していたけれども、織田軍に遅れをとってはならじと機先を制して馬防柵の外に撃って出て、連吾川を渡り、武田軍の左翼を守る山県昌景の部隊に突撃していったのである。
この戦いにおいて示した大久保兄弟の戦の駆引きと指揮ぶりは見事なものでさすがの山県隊も、最後には柵の中に誘い込まれて銃弾の標的となってしまった。
この様子をはるか本陣より観戦していた信長は「徳川殿はよい家来を持って幸せ者よ」と、思わず感嘆の声をもらしたという。
(かるたでつづる設楽原古戦場より)



2003年10月12日


「先陣の大久保兄弟うって出る」
(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より)

 

 
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