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山梨県甲斐市

黄梅院

2014年07月20日

黄梅院跡
黄梅院は、27歳で無くなった武田信玄の娘(名不詳、法名【黄梅院殿水鳳瑞尼】或いは【黄梅院殿春林宗芳大禅定尼】)の供養のため建立された寺院といわれています。
娘は天文12(1543)年に信玄と三条夫人の長女として生まれ、信玄が北条氏康(相模国)、今川義元(駿河国)と同盟(いわゆる三国同盟)を結んだことにより、同23(1554)年には、北条氏康の嫡男、氏政に嫁ぎました。
しかし永禄11(1568)年には信玄が駿河へ侵攻すると、氏政と離縁させられ、同12(1569)年6月17日に亡くなったといわれています。
黄梅院の正確な建立年代は不明ですが、元亀元(1570)年には信玄が、娘の供養のため、南湖(南アルプス市)の黄梅院知行地を本寺にあたる甲府の大泉寺へ寄進し、塔頭の建立を命じています。
また、寺院の規模については定かではありませんが、慶応4(1868)年7月当時、本堂(庫裏含む)と東司があったと記録されています。
明治初期には廃寺となり、現在は付近から集められた五輪塔など石造物が建てられています。
(看板資料より)

 



2004年12月30日

武田信玄の娘(名不明)北条氏政に嫁し氏直外一、二の子の母と伝えられるが(永禄12年甲相の和議破れ戦禍のため詳細不明)27歳で没す。夫人の死後信玄は供養のため大泉寺に多額の寺領を納め、この地に末寺黄梅院を建立させ法名は「黄梅院殿智永鳳瑞尼」と言う。又小田原伝心庵の過去帳には「黄梅院殿春林宗芳大禅定尼」と記されてある。又寺の本尊は「将軍地蔵」又は「子安地蔵」とも言われ現在滝坂蔵院に安置されている。
(看板資料より)

県道甲府敷島韮崎線を甲府方面に進み、上宿、下宿、大屋敷を経て滝坂付近で左側にそれる小さな道の方に進むと左側の防災無線の鉄塔の下に小さな祠があって黄梅院の看板もあるのですぐに分かると思います。実は私はなかなか見つけることができず、犬の散歩をしている人に尋ねましたが、なんと武田不動尊の場所を訪ねた人でした。

 


早雲寺
黄梅院
富士御室浅間神社

 

 
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