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長野県諏訪市

頼重院

2014年05月18日

諏訪市有形文化財 頼重院供養塔
天文11(1542)年7月、諏訪頼重は武田信玄に攻められて桑原城に敗れ、甲府において自害した。墓は東光寺(甲府市)にあるが、この地に菩提寺として頼重院が建立され、境内には宝塔を立てて中に宝篋印塔を納めその霊を供養した。宝篋印塔は総高95cmで、基礎・塔身・笠・相輪の各部分の大きさの調和がとれていて美しく、関西形式と関東形式が混在したこの地方特有の作りである。
宝塔は、石造りの覆塔ともいうべきもので、方形の平面の塔身に四注状の笠を乗せ、露盤に請花、宝珠をおく。
境内にはこのほかにも古い墓碑が多く見られる。
(看板資料より)

頼重院供養塔

甲府東光寺の墓には諏訪頼重の胴体が葬られており、頼重院には首が葬られているといわれています。裏側には諏訪頼重の怨念のために7つに割れてしまった大きな石(下の写真)があります。
すぐ隣にある新田次郎の歌碑にも、「陽炎や頼重の無念ゆらゆらと」と書かれていました。

諏訪頼重の怨念のために7つに割れてしまった石



2005年08月27日

諏訪市有形文化財 頼重院供養塔
天文11(1542)年7月、諏訪頼重は武田信玄に攻められて桑原城に敗れ、甲府において自害した。墓は東光寺(甲府市)にあるが、この地に菩提寺として頼重院が建立され、境内には宝塔を立てて中に宝篋印塔を納めその霊を供養した。宝篋印塔は総高95cmで、基礎・塔身・笠・相輪の各部分の大きさの調和がとれていて美しく、関西形式と関東形式が混在したこの地方特有の作りである。
宝塔は、石造りの覆塔ともいうべきもので、方形の平面の塔身に四注状の笠を乗せ、露盤に請花、宝珠をおく。
境内にはこのほかにも古い墓碑が多く見られる。
(看板資料より)

諏訪頼重の墓は甲府の東光寺にあって武田義信と隣同士になっています。頼重院には供養塔があるとのことでお寺の本堂の左側から裏の墓地の方にまわってみましたがそれらしい物を発見できず、お寺の人に供養塔について聞いてみたところ、本堂の向って左側にある大きな石の上であり、供養塔ではなくて墓であるとのことでした。確かに甲府の東光寺には墓がありますが、東光寺の墓には胴体が葬られており、頼重院には首が葬られているとのことでした。その際、諏訪頼重の怨念のために大きな石が7つに割れてしまった(下の写真)のだそうです。すぐ隣にある新田次郎の歌碑にも、「陽炎や頼重の無念ゆらゆらと」と書かれていました。

 
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